はっきり言って、南雲さんに良いイメージなんて抱いたことがなかったし、むしろ抱こうと思ったことすらなかった。まず彼のいいところが見つからない。いや、顔がかっこいいとか、仕事ができるとかそういうのは抜きにして、そう、性格面で。だからこそ、わたしが彼と親しくなることはないだろうと思っていたし、1ヶ月に1回仕事の話をするだけでも珍しいことだった。それがどうしてこんなことになった。

わたしはタクシーの窓から外を眺め、深くため息をついた。重要書類をつっこんだカバンをぎゅうと押さえる。まったく、あのおばかな部長め。なんでこんな雑用をわたしなんかに押し付けるのよ。わたしと南雲さんの妙な関係を把握してからにしてよ、……と思ったけど、わたしがもし南雲さんとの関係をバラしたら、社内恋愛禁止のあの会社のなかでどんな騒動になるかは知れている。南雲さんはもともと頼られてるひとだから移動くらいですむかもだけど、入って間もないわたしはばっさり切られるだろう。……ほんとに迷惑な話だ。全て南雲さんが悪い。わたしみたいな平凡な一社員にすきだなんて、……ねえ。疑ってかかったらあげくのはてには資料室に連れ込まれて(正直なところちょっとドキドキしちゃったけど)、無理矢理キスされて(それもすごいやつ)、もうなにがなんだか。強引すぎるっていうか、わたしのきもちなんてちっとも考えてくれてない。付き合うこと、真剣に考えてくれ、なんて言われたけど、やっぱり答えは変わらない。あんなひとのせいでせっかく見つけた仕事失いたくないしね。

「着きましたよ」

運転手さんが抑揚のない声で言った。わたしは部長が渡してくれたお金で料金を払ってタクシーを出る。目の前にそびえ立つ高級そうなマンション。南雲さんの自宅。……さっさと用事すませて帰ろう、と心に決めて一歩踏み出した。





*





『助けてくれ』

機械ごしに聞こえたのは弱々しい声だった。わたしは思わず一瞬フリーズ。エントランスホールのロックを解除してもらうために呼び出しかけたのに、わたしの方が助けを求められてるって、いったいどういうこと。

「な、なにかあったんですか南雲さん」
『……死にそうなんだ。いますぐ来てくれ。鍵は開いてる』

あの南雲さんが、死にそう? いやいやあのひとに限ってそんなことないない――と思ったものの、彼の言葉にはいつもみたいな威圧感がない。……ほんとになにかあったんだろうか? 部長によると、熱を出したということだったけど、やっぱりつらいのかな。うーん、恨みはあるけど仕方ないか。

「わかりました、今すぐ行きますからエントランスの――」

言い終わる前にウイィ、と音をたてガラス戸が開いた。同時にインターホンの通信が切れる。どうやら南雲さんの限界がきたらしかった。

こんな仕事を押し付けられることもあるし残業なんてするもんじゃないなあ、と思いながらエレベーターに乗り込んだ。やっぱり綺麗な造りだった。ちくしょう金持ちめ。 部長によればわたしのカバンのなかにある書類は明日までに提出のようだけど、南雲さんはあんな状態だし、間に合うんだろうか。最悪の場合わたしがどうにかしなくちゃならなくなるかも……、ボーナスはずんでくれるなら大喜びでやるんだけどなあ。
チン!と音がし、エレベーターが目的の階についた。ええと、部屋番号いくつだっけ?

「……――っと、あったあった」

ネームプレートには手書きの汚い字で"南雲"と書かれていた。取っ手に手を伸ばし、がちゃり、開けたその瞬間。 「捕まえた」 にやり、笑った南雲さんの目はぎらぎら輝いていた。腕を掴まれたかと思うと一瞬で横抱きにされ、部屋の中に連れ込まれる。わたしは全てを理解した。騙された。





*





「やっ、やだやだやだやだ!離してくださいっ」
「いてっ!おま、こら、暴れんな!」
「これが暴れずにいられますか!?やだああああ!いやあああ!」
「馬鹿野郎、今何時だと思ってんだ!叫ぶな!」
「南雲さんだって叫んでるじゃないですか!!」

どさり、おろされたのは案の定ベッドの上で、わたしはいよいよ貞操の危機におびえる。こ、この男、最悪、最低!女の敵!もうだめ我慢できない、明日会社で南雲晴矢は強姦魔ですって言い回ってやるんだから!認められなかったら訴訟おこしてやる!

「頼むから助けてくれって」
「だ、黙ってあなたに襲われろっていうんですか!」
「……はあ?襲わねえよ、何勘違いしてんだおまえ」
「…………え?」

ぽん、と手の上に乗せられたのは、竹製の細長い棒。片方の端には白くてふさふさした羽がついている。

「……これって、」
「耳。かゆくて死ぬ」

わたしに何も言わせてくれないまま、南雲さんは膝の上に頭を乗っけてきた。……ええと、つまり、なに?わたしに耳掃除をしてほしかった、わけ……?





*





「あっ、……や、あ、イイっ」

部屋の電気が煌々とついているのに、わたしはそれを見ることすら叶わないまま。彼に振り回されてばかりの自分に涙が出る。

「ん、っ……!ぁ、そこっ、」

ぴくぴく、つま先が跳ねる。うわ、すごい声出てる。……は、恥ずかしい。

「あ、っ!?や、やめっ、それは、っ」
「……――あの、南雲さん、つかぬことをお聞きしますが、……耳弱いんですか?」
「う、るせ、馬鹿!早くしろ!」

南雲さんが怒鳴るけれど、その目には涙が滲んでいてちっとも怖くない。誤解のないように言っておくけど、わたしがしてあげてるのはただの耳掃除。毎日ひとの何倍もの仕事をこなす南雲さんがまさか、ひとりで耳掃除も出来ないだなんて。 恨めしそうに見上げてくる彼が、なんだかいまはとても可愛くみえた。

「なに笑ってんだよなまえ!」
「い、いや、可愛いなあと思って」
「は?誰が」
「え、南雲さんが」

ぴたり。流れていたおだやかな空気が動きをとめた。 「……へえ?」 南雲さんが不敵に笑ったときわたしはすでに冷や汗をかいていた。やってしまった。 「なまえ、おまえ――」 「ななな、なぐ、南雲さん!耳掃除も終わったことですし、ほら、書類!部長が明日までに出してほしいって言ってましたから、今からやらないと間に合わないですよ!」 迫ってくる南雲さんに向かって必死になってそう言った。なんとかこの状況から抜け出さねば。 「ん……そうだな……」 南雲さんはがしがしと頭をかいて、わたしのカバンに目を向ける。よ、よし、これで帰れる―― 「そんなもんよりもさ、俺にはやらなきゃいけないことがあんだけど」 南雲さんが淡々と言う。

「……おまえ、一人暮らしの男の家来て、無事に帰れると思ってんの?」

視界が反転し天井が見えた。わたしに覆い被さった南雲さんがさも嬉しそうに笑う。 「いただきます」 耳かきで鼓膜ぶっさしてやればよかったと今さら後悔した。もう遅い。











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