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「……なまえ?」

私が声をかけると、しゃがみこんでいた彼女はゆっくりと振り返った。風になびく髪を押さえる仕草はあの頃と変わっていない。 「風介くん」 数秒後、なまえは微笑みながら私の名前を口にした。とても、懐かしい感じがした。私たちはお互いに成長こそしていたけれど、確かにまだ昔の面影が消えていない。 立ち上がった彼女は相も変わらずしゃんと背を伸ばす。私が彼女の後ろ姿に焦がれていたのは、そう遠くはない日の話だった。 「久しぶりだね」 彼女は水の入ったプラスチックのバケツを持ち上げると、少し話さない?と訊ねた。私はもちろん、と返し、彼女に手を差し出した。 「持つよ」 「えっ?いいよ、べつに」 「いいから」 私が言うと、彼女は遠慮がちに私の手にバケツをひっかけた。 ざあっと風が吹いて、今しがた彼女が差し替えたばかりの花々がふわりと揺れた。沈黙を破らない石に囲まれたこの空間で初恋の女の子と偶然にも出会ったのは、これが二度目になる。





*





かたくなだった私がやっと園内のほかのこどもたちとうちとけてきたとき、みょうじなまえはお日さま園にやってきた。彼女は私と同じで、両親をうしない、ここにあずけけられたのだった。 大きな目に涙をいっぱいためて、連れてきた親せきのひとにすがりついているのを、私は縁側からぼおっとながめていた。

「やだ、おばさん、わたしいいこにするから、おいていかないで、おねがい」
「なまえちゃん、悪いけどね、あなたを養っていくお金はうちにはないの。ここで他の子たちと暮らしなさい」
「やだ、やだ、おばさん、わたしひとりぼっちになっちゃうよ!もう、いや、おかあさんも、おとうさんもいないのに、こんどはおばさんまでいなくなるの?」
「……ごめんなさいね、なまえちゃん」

大声をはりあげ泣き出した彼女を好奇の目で見たりはしなかった。べつに、めずらしいことではないのだ。ここに連れてこられた子がいやがって大泣きするのなんて。 人とかかわるのがあまりすきではない私は、入ったばかりのころから一人でこの縁側に腰をおろすことが多かった。だからたまにあたらしい子がやってくると、よくこんな光景を目にしたものだ。 自分自身、大泣きなどしたことのないわたしにとって、泣き出すこどもはふしぎだったのを覚えている。ここはこんなにおだやかであたたかい、それこそお日さまのような場所なのに、どうしてみんないやがるのか。 ……まあ私は、両親がいなくなったあと引き取ってくれた家でぎゃくたいを受けたから、ここに入れられることがむしろうれしかったのかもしれないが。

数分後、園内のこどもたちが集められ、彼女がしょうかいされた。

「みょうじなまえさんだ、みんな仲良くするんだよ」

父さまが私たちに言って、何人かがはあいと返事をするなか、私は彼女の真っ赤になった目を見つめた。まだはなをすすっている彼女はきっとついさっきまで泣いていたのだろうと思った。だからと言って私が気にすることでもないが、 「みょうじ、なまえ、です」 とぎれとぎれに彼女が言った。わたしはおどろいた。 「よろしくおねがいします」 ぺこ、と小さく頭を下げる彼女がなぜだか、すごく大人っぽくみえた。ここで暮らす覚悟をきめたような、意思のつよい目をしていた。



*



風呂あがり、私は縁側にすわりのんびりと時間をすごすのが日課だったのだが、今日はふっとねむたくなって、気づいたらうたた寝をしてしまっていた。いま何時だろう、と顔を上げた私の目には、体育ずわりでまっすぐ前を見つめている彼女、みょうじなまえがうつった。

「……いつから、」

きこうとして、やめた。べつにここは私だけの場所じゃないのだ。体勢を立て直して、私も虫が鳴いている庭を見つめることにした。彼女は何も言わなかった。放心しているようにも見える。私は彼女に話しかけようとは思わなかった。しばらくして就寝時間がきて、私は彼女を縁側にのこして部屋へ戻った。


次の日、もうすでに宿題を終えていた私は他の子どもたちと机には向かわず、太陽の照りつける庭をなんともなしにながめていた。この時間がいちばんすきだったのだが、今日はいつもとはちがうところがあった。 距離をはさんで向こうがわに、みょうじなまえがいるのだ。 彼女もここが気に入ったんだろうか。思ったけれど、あいかわらず私も彼女もお互いに話しかけたりしなかった。
次の日も、その次の日も彼女はやっぱりそこにいた。気まずいというわけではないにしろ、やはりなんだかへんなかんじがした。彼女がもそもそと動くたび、私はえも言えぬ感覚におそわれた。こころがざわざわした。こんなことが1週間ほど続いたある日、なんとなく思った。私はおそらく、彼女と話がしたいのだ。だけど自分から話しかける勇気はなくて、彼女から話しかけてくれるのを待っている。彼女が動くたび、私は期待をしているらしかった。 彼女は私のなまえも知らないだろうし、もしかしたら全く興味なんてないのかもしれない。それでも待っていた。私は彼女が知りたかった。

2日後、天気は久々の雨だった。開けっぱなしでいると雨がはいりこんでくるので、私は朝いちばんから雨戸を閉めにやってきた。ぜんぶ閉め終わったとき振り返るとちょうど彼女が縁側へ歩いてきていた。私と、ばちり、目が合った。自然とくちびるが動く。

「あの、」
「あーっ、ここにいたのかよ!」

私の言葉をさえぎるように飛び出してきた晴矢は彼女の腕をぱっとつかんで、 「みんな待ってるぜ」 と言った。私も彼女も目を丸くしていた。 「今日10時に父さんが来たら、おまえの歓迎会やるんだよ、なまえ」 「かんげい、かい?」 「そー。いつもは来てから2、3日後にやるんだけどよ、父さんの仕事がいそがしくて遅れちまったんだってさ」 彼女はぽかんとして、晴矢を見つめている。 「わたし、行ってもいいの?」 「なに言ってんだよ、主役がいなきゃ歓迎会になんねーだろ。……あ、風介も、準備するから手伝いにこいよ!」 突然ふられた私は思わずびくりとしてしまった。私がなにかいう前に晴矢は彼女の手を引いて奥へ行ってしまった。 私はなぜだか晴矢をすこし憎いと思った。いままさに私が彼女に話しかけようとしたというのに。



*



予定通り父さまが来て、みょうじなまえの歓迎会が行われた。私と同じで、人付き合いが下手で無口なのかもしれないと思っていた彼女は、他の女の子とわらいあい、とても楽しそうだった。私ははしっこのイスに腰かけ、さびしさをかみしめていた。やっぱり、……やっぱり。こういうものなのだ。

その日を境に、みょうじなまえは縁側に来なくなった。晴れの日は庭でみんなと走り回って遊んでいた。私はかわらず縁側からそれを見つめていた。晴矢の投げたボールが宙に浮く。とてもおだやかであたたかい、いつもとおなじの時間なのに、私はめっぽう寂しかった。元々一人きりの空間だったここに、彼女が入ってきて二人になって、そして出ていって一人に戻った、それだけなのに。話したこともない彼女が、もう手のとどかないところにいる気がしていた。





*





墓地を抜けて、私となまえは二人で並んで歩いた。 「なまえ、身長縮んだか?」 ふと気になり訊いてみると、 「風介くんが伸びたんだよ」 と少し拗ねたような声で返された。ああ、そうか私が伸びたのか。

「別れてからもう何年になるっけ」
「5年くらいだな」
「そっか。……風介くん、かっこよくなったね」
「なまえは綺麗になった」
「ほんと?」
「ああ」

彼女がお日さま園を出ていった日のことは、いまでもはっきりと覚えている。はじめて出会ったときのように泣き出したなまえの頭を撫でて、いつでも帰ってこい、と声をかけたのだ。なまえは泣きながらも微笑んで、力強くうなずいた。私は彼女を引き止めたい心を必死に抑え込んだものだ。

「あ、ねえ、晴矢はどうしてる?」
「まじめに大学に行っているよ」
「うそ、あの晴矢が?」
「あの晴矢が」
「ふーん、そっかあ。がんばってるんだね」

なまえの口から晴矢の名前が出ると、相変わらず私は胸が苦しくなった。まるで中学の時のようだ。 ねえ風介くん、わたし晴矢がすきかもしれない、と、なまえに相談された日は柄にもなく悔し泣きしそうだった。すきな女の子の恋の応援しか出来ない無力な自分を嘆いた。本当のところ、晴矢から奪い取ってしまいたいくらいだったのに、我慢して二人の相談にのり続けた私はあの時、高ぶる感情を抑えきれない今より大人だったかもしれない。

「まだ晴矢がすきなのか」

私の上ずった声になまえは一瞬きょとんとして、それから笑い出した。

「まさか、そんなわけないでしょ。5年も引きずらないよ」

旅立つ彼女の見送りにも来なかった晴矢をあの後私が殴った事など知らないなまえは、本当に無邪気に、それこそ昔のまんまの笑顔を私に向ける。 じゃあ今はすきなやつがいるのか、訊こうか悩んだが、訊いたところで何も変わりやしないと思ったので、やめた。引きずっているのは私の方なのだ。

「なまえは今どうしてるんだ?」
「わたし?わたしはアパート借りてバイト生活してるよ。あ、よかったら風介くん、家来る?散らかってるけど、ほら久々に会えたし、どうかな」

どくん、どくん、高鳴る心臓に、ああ、やはり。私はまだなまえのことがすきなんだろう。なまえはただの昔馴染みとして誘ってくれているのだと、わかってはいるものの、もしかしたら、もしかしたらと期待している自分がいる。これも中学の時と同じだ。よく私のところにやってきては、教室であったこと、クラブのこと、いやそうにテストの話などをしてくれて。風介くん、風介くんとばかり言うから、てっきり、私に気があるんじゃないかと思ったのだ。バレンタインのチョコレートだって、私のだけ包装が違ったりだなんてするから、もしかしたら、と。ただ、恥ずかしがり屋の彼女が、本当に好きな男の前では素直になれなかったというだけだったのに。

「行ってもいいのか?」
「もちろん!風介くんなら大歓迎だよ」
「……じゃあ、寄って行こうかな」

無用心な子だなと思った。仮にも自分に想いを寄せる男を、易々と家に上げるだなんて。なまえは本当に私の気持ちに気づいていないんだと思うとなんだか切なかった。結構あからさまにアピールしたこともあったはずなのに、やっぱりなまえは晴矢の方ばかり見ていたんだろう。

「あっ、でもわたし、晩ごはん用に買い物しなきゃ」
「それくらい付き合うよ」
「本当に?」
「ああ」
「ありがとう、風介くん」

なまえの笑顔を、私だけのものにしたいと考えたことが、いったい何度あったことか。なまえと付き合えたら、なまえの彼氏になれたら、と、馬鹿みたいに想像してみた事もあった。……はは、私はなかなかに純粋かつくだらない男だったみたいだ。たった一人の女の子に、こんなに執着したりして。

「優しいところ、変わってないんだね」

なまえがぽつりと呟いて、私は堪らなく彼女を抱き締めたいと思った。どうしてこの子は私のものじゃないのだろう、こんなに、こんなにすきなのに。私はなまえと離れてから幾度か告白というものをされた事があったし、そのうち何回か付き合ってみた事もあったが、やはり、彼女以上にすきになれた事は、一度たりともなかった。私には、彼女しか駄目なのだと思った。もう二度と会う事もないかもしれないのに、そんな事はわかっていたのに、それでもずっと彼女の事ばかり考えていた。彼女がすきだった。……そして今日、こうしてまた私は彼女と出会ってしまった。笑顔は変わらないまま大人になった彼女をいつかの縁側での事のようにすぐ横にして、想いは加速するばかりだ。 「暑いな」 私が一言呟くと、 「そうだね、風介くん暑いの嫌いだもんね」 と律義に彼女が返してくれるうちはおそらく、なまえをすきじゃなくなる事など、私には到底出来ないのだろう。 「……すきだよ、なまえ」 聞こえないくらいの声でならこんなにも簡単に言えるのに。




next coming soon...






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