ごくごく小さな音がイヤホンから流れる。授業中に降り積もった雪を踏みしめながら、中庭を横切っていた。グラウンドではサッカー部がこの寒い中練習をしている。
今日は宿題もないし、家に帰ったら何をしようか考えをめぐらせる。久々にお昼寝するのもいいし、冷蔵庫のプリンを片手に昨日録画したバラエティ番組を見てもいいし。聴こえてくる曲はだいすきなアーティストのニューシングル。ああ、なんて平和でしあわせな日。乗るたびにふぎゅ、というような音をたてる雪を穏やかな気持ちで見つめながら歩いていたら、
「あぶない!!」
突然の大声にびっくりして顔を上げたら、何故か目の前は白と黒。避ける間もなくサッカーボールはわたしの顔面に直撃して、ぽおんと宙に跳ねたあと地面に落ちた。尻もちをついたのは雪の上で、スカートがじんわり湿ってくる。鼻がじんじんするのが痛みのせいか寒さのせいかわからない。
「ごめんね、大丈夫?」
駆け寄ってきたのはこの豪速球をわたしにぶつけた張本人だろう。せっかく機嫌よく下校していたというのに、ひどいことをするもんだ。文句のひとつでも言ってやらねばと目を上げたら、そこにいたのは。
「あ、」
うちの学校じゃ知らない人はいないであろう超有名人。白恋中サッカー部キャプテン、吹雪士郎だった。
「えっと、となりのクラスのなまえさん、だよね?ほんとごめんね、僕、蹴り損なっちゃって。立てる?保健室行かないと」
「い、いや、大丈夫、大丈夫ですから」
鈍い痛みが続いている鼻を隠すように押さえながら必死になって言った。嘘みたい、吹雪くんがこんなに近くにいる。話してる。しかも、ぜんぜん接点のないわたしの名前を知っててくれた。嘘みたい。
吹雪くんの白い手のひらがわたしを支えて立たせてくれた。ああ、平和じゃないけどなんてしあわせな、
「だめだよ、ちゃんと手当てしないと」
「えっと、でもあの吹雪くん練習は」
「そんなのはいいの!」
吹雪くんはグラウンドで心配そうにこちらを見ていたチームメイトたちに手を振って合図する。それを見たチームメイトたちは各自練習に戻っていった。わたしは吹雪くんに肩を支えられながら天にも昇る気持ちで校舎へ向かって歩く。時折送られてくる吹雪くんの視線に素直に反応できなくて思わずうつむく。吹雪くんは誰にだって優しいから、こんなことされたって期待したりなんかしないけど、でも。わたしだって彼に叶わない恋をする女の子のうちのひとりなのだから、ドキドキしてしまうのは仕方がないことで。
*
「座って、なまえさん」
「う、うん」
吹雪くんはわたしを丸イスに座らせて、慣れた手つきで引き出しを探る。外出中らしい保険医が帰ってきませんように、……なんて。
痛みはずいぶん引いてきた鼻を撫でたら、すこしだけぴりっと痛んだ。どうやら皮がむけてしまっているらしい。あーあ、と思いつつも、あのボールを蹴ったのが彼でよかったなあとか考えてるわたしはゲンキンにもほどがある。
消毒液と綿と絆創膏を持った吹雪くんがわたしの真ん前に座った。うわ、これ緊張する
「いっ」
綿に染み込ませられた消毒液が傷口にしみて、思わず声を上げてしまい、吹雪くんがまた申し訳なさそうに謝る。むしろぶつけてくれてありがとうございますなんて思ってるとは言えない。ぺたりと貼られた絆創膏が突っ張ってちょっと変なかんじ。
「ごめんね、痛かったでしょ、あんなボール」
「寒さであんまりわかんなかったよ」
「でも、女の子なのに、顔に怪我させちゃうなんて、僕」
「いいのいいの、ほっとけば治、」
いまだに心配そうな吹雪くんを安心させようと思って、へらっと笑ったら、前触れもなく伸びてきた腕に捕まった。吹雪くんのふわふわした髪が首筋に当たってこそばゆい。…え、なにこれ。背中に回ってきた手は確かに吹雪くんのもので、耳にかすかに届く小さな息づかいも吹雪くんのもので。ぎゅう、と抱き締めてくるこの体温も吹雪くんのものだとわかったとき、わたしは頭がパニックになりそうだった。
「ふぶきく」
「責任はとるよ」
「へっ?」
「僕のお嫁さんになって」
びっくりして言葉を失って黙り込んでしまったわたしの顔を覗きこんで、「いや?」なんて聞いてくるもんだから、わたしに残された選択肢なんてたったひとつしかなくて。
衝突唐突プロポーズ
20100506
20100826加筆