もう3年くらい前からだろうか。
たまに、ほんとにたまにだけど、途方もない虚しさに駆られることがあった。理由はよくわからない。考えても考えても、わからない。それどころか、考えるたびに逆にどんどんわからなくなって、ぐるぐるして、もやもやして。
そんな気持ちになったとき、俺は大概、この小高い丘にのぼって、芝生に寝そべって空を眺める。それは早朝の白んだ空だったり、真昼の眩しい空だったり、夕方の滲むような空だったり。
そして、今は、夜だった。
星がきらきら、きらきら、この丘からはよく見える。そういえば前彼女に、なぜこういう場所からなら星が綺麗に見えるのか、長々と説明したことがある。俺の部屋にある大きい望遠鏡を持ち出してきて、夏の大三角を探す彼女の瞳は、満天の星空よりきらきら輝いていて。俺も受け売りの知識をひけらかして、少しでも彼女の気をひこうとしていた。今となってはそれももう、甘酸っぱい青春の思い出。あのころ俺たちはほんとに、些細なことに心を弾ませていた。

「ここから見える星は相変わらず綺麗だよね」

彼女が言って、そうだね、と返す。
あのころ俺はほんとのところ、彼女が隣にいるからこんなに綺麗に見えるんだと思っていたんだけど、そんなこと言ったら彼女は馬鹿じゃないの、なんて言って、照れてしばらく黙ってしまうので、心のなかでこっそり呟くだけにしていた。今なら言ってもいいかな、と思ったけど、今日の星はあのころより綺麗じゃない。

「ねえヒロト」
「うん?」

後悔してないの?

彼女が微笑みながらそう言うので、俺はすこしびっくりしてしまって、えぇ、なんて声を漏らした。彼女はどのことを言ってるんだろう?人生なんて後悔ばっかりだから、俺は彼女の言う『後悔』がいったいいつのことなのかわからない。

「あの子のことだよ」

表情を変えないまま、彼女が。 ……ああ、それか。俺はくすくすと笑って、後悔なんてしてないよ、と彼女に教えた。 だってあの子には、俺なんかよりもっといい男が現れると思うんだよ。未だに元カノのことを引きずってる俺が、あんないい子を幸せに出来るはずなんてないだろう? 言ったら、彼女はなんだか痛そうに顔をしかめる。どこが痛いの、と聞く前に、彼女の白いてのひらが頬に触れて、俺は口を開いたままかたまってしまう。

「ヒロト、好き」

なんでそんな顔して言うの? 「俺も好きだよ」 言っても彼女はいつもみたいに明るく笑ってくれない。痛そうに、悲しそうに、すこしだけ目を伏せて。 「ごめんね」 「なんで君が謝るの」 白い白い手のひらにそっと自分の手を重ねようとしたけれど、触れる直前に彼女がひっこめてしまったので、それはかなわなかった。行き場をなくした俺の手はぱたりと芝生の上に落ちる。隣に寝そべっている彼女は俺から目を逸らして、上を見上げるので、俺も空を仰ぐ。

「明日、あの望遠鏡を持ってこようと思うんだ」

彼女が聞いてるのかどうかはわからないけど、俺は話し続けた。彼女はいつだってそうだ。俺の長い話を聞いてないようでしっかり聞いていて、俺が話したのを忘れたころにぽつりとその話をする。あのときわたしはこう思ったの、とか、ここが面白かったよ、とか。俺が話して何日も経ってからそんなことを言うので、なんでなのか聞いてみたら、今までずっとなんて言おうか考えていたの、と。彼女のそういうところももちろん好きだったけれど、でも、あの日の話の感想はまだ聞いてなかった気がするなあ。

「どのあたりにいるの?」
「夏の大三角の近くだよ」
「君ってそんなに夏の大三角好きなの」
「ううん、ヒロトにすぐ見つけてもらえるかなと思って」
「はは、気が利くなあ」

彼女はでしょ、と言って小さく笑って、ひとりごとみたいに呟いた。 「そういえば返事、まだだったよね」 うん?ああ、あれか。あれの返事は、イエスじゃないと困る。お互い、お互いが好きで好きでたまらなかったんだから、ノーなんて言われたら俺立ち直れないよ。だから、

「続きは言わなくていいよ」
「そう?」
「うん。わかってるから」
「そっかあ」

星が綺麗に見えるのは、このあたりに街灯がないからだ。街灯があると、星の光が負けてしまって、綺麗に見えないのだ。今、星があんまり綺麗じゃないのは、俺の隣にある光が強すぎるからで。

「じゃあわたし、そろそろ帰るね。ヒロト、また今度」
「今度っていつ?」
「来年の今日かな」
「去年もおんなじこと言ってたよ、覚えてる?」
「覚えてる」
「ねえ」
「なあに」
「……なんでもない。またね、ばいばい」
「うん、ばいばい」

大好きだった、いや、今でも大好きな、彼女のやさしいせっけんの匂いが、夜風に乗ってふわりと空に舞い上がる。行かないで、と、叫びそうになった。星空がさっきより明るくなったような気がした。夏の大三角のそばで瞬き出した星にそっと手を伸ばしてみたけれど、さっきとおんなじで、やっぱり触れられなかった。

明日、望遠鏡を持ってこよう。

俺は目を閉じて、そう思った。子供みたいにはしゃいでいた彼女の体温が、あの望遠鏡に残っているかもしれないと、すこしだけ期待した。俺の最初で最後のプロポーズに、ノーなんて言わせない、と呟いたら、途端にまた虚しさが込み上げてきて、俺は気づいてしまった。きっとこの感情はぜんぶ、彼女のせいなのだ。

「なまえ、好きだよ、大好き」

ねえ、俺の話、聞いてるの?
今考え中? そう、わかった、じゃあもう少し待ってあげる。



エトワール


20100706


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イナズマ3の合宿所のヒロトの部屋になぜか望遠鏡あったからなんとなく思いついたお話ですヒロト天文とか興味ありそうな気がするなあ。お盆の時期ってなんとなくそわそわします、大切な人がかえってくるかもしれない なんて







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