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思えば、彼は昔からああだった。優しい、っていうのはそりゃあもちろん、利点だ。だけどそれは度を超えると恐ろしい。イタリアの男はみんな女の子がだいすきなのだ。常に優しく接し、好かれるよう振る舞う。フィディオにその意思があるのかどうかは知らないけれど、何人もの女の子に慕われ追いかけまわされていたのも、そのうちの数人と交際したことがあるのも事実。血は争えないというか、なんというか。先天的に女好きの遺伝子が組み込まれているんだから、仕方ないと言ってしまえばそれまでだとはわかっているけど。わかってはいるけど、でも、彼が他の女の子にあの笑顔を向けるたび、内臓をねじられるような、なんとも言えない気分になったのもまた、事実だった。
(……あれは、なんだったんだろう……)
窓から差し込む月明かりは、母国イタリアとあんまり変わらない。薄暗いなか、ベッドの上で寝返りをうつ。ぱさり、髪が顔にかかって、タオルで拭いてくれた手を思い出した。……フィディオは、ずるいな。他の女の子だけじゃなくて、わたしにもちゃんと優しくするから、目の前でどんなことしてたって嫌いになれない。手をつないでデートしてるところも見たし、額にキスしてるのも見たし。それなのにまだ彼をあきらめきれないわたしは、どうかしている。…今日だって、あんなふうに、惑わすようなことされて。
「……キス、かあ…」
つい何時間か前、フィディオの指が触れたくちびるを、自分の指でなぞってみた。フィディオはきっと、もう何回もしてるんだろうなあ。可愛い女の子に、してってせがまれたら、いいよって言って躊躇いもなくその子のくちびるに自分のくちびるをくっつけるんだろう。
わたしも言ってみればよかったかな。フィディオ、わたしにキスして、って。そうしたら、優しい彼はしてくれたかもしれない。仕方ないな、なんて言ってわらって、それこそコップに水を汲んであげるような気軽さで。……それでしてもらえたところで、そこに愛がないのなら、わたしにはなんの意味もないんだけどね。
「フィディオのバーカ」
いつか、彼は美人でボインな女の子と結婚するだろうから、わたしはフィディオよりかっこよくて優しい男の子と結婚しよう。そして彼の目の前で手をつないだりキスしたりしてやるのだ。まあそんなの見たところで彼はなんとも思わないかもしれないけど。むしろ逆にやっと彼氏ができたんだねとか言ってお祝いされそうな気がする。ふん、余計なお世話よ。誰のせいで彼氏いない歴=年齢という悲しい女の記録を更新し続けていると思ってるんだか。
――コンコン。
軽快な音が部屋に響いた。起き上がるのは面倒だったので、頭だけドアの方に向ける。
「――どなた?」
少し間があいて、 「俺だけど」 と控えめな声。……おさまっていた心臓が、また。
*
「何考えてんの、こんな時間に女の子の部屋訪れるなんて」
「えーっと、……夜這い?」
「笑顔で言わないで」
きっと睨むと、フィディオは冗談だよ、と言ってわらった。わたしはため息をついて、ベッドに腰かけた。 「どこに座ればいい?」 「どこでもいいよ」 「となりでもいいの?」 「いいけど」 「不用心だな、なまえ」 「なにが」 「そう軽々と男とベッドに座っちゃだめ」 「座りたいって言ったのフィディオじゃない」 「……いいなら座るけど」 スプリングがギシ、と音を立てて軋んだ。となり、って言っても、10センチ20センチあけてとなりじゃなくて、肩と肩が触れるほど近い、ほんとのとなり。どきどきするのは必然というか、しない方がおかしいというか。
「……眠れないの?フィディオ」
「まあ、そんなところかな」
「どうせわくわくしてんでしょ、試合に」
「それもあるけど……」
「他になにかあるの?」
フィディオの瞳が、月明かりを反射して輝いた。シャワーの後の出来事を思い出す。今なら、聞けそうな気がした。
「ねえフィディオ」
「うん」
「さっきの、あれ……なに?」
「あれ?」
「……調理場で」
「ああ、……えっと」
「言いづらいこと?」
「……実はね、俺最近悩みがあって。なまえに相談しようと思ったんだ」
フィディオのこんなに深刻そうな表情をみたのはいつぶりだろう。きっとあんなところでわたしにだけ言おうとするくらいだから、あんまり言えないチームの選手のこととか、そんなのかな?ライオコット島に滞在する期間だけだけど、一応マネージャーという役についてるわたしにしか相談できないようなことなんだろう。チームのキャプテンである彼の悩みは真面目に聞いてあげるべきだ。……それを、わたしは。何を勘違いして、勝手に舞い上がっていたんだか。
「そういうことなら、今ちゃんと聞く。どうしたの?」
「……びっくりすると思うよ」
「そんなの聞かなきゃわかんないじゃない、はやく言ってみて」
「その悩みっていうの、……みょうじなまえのことなんだけど」
「…………え?」
わ、……わたし……?
そんな、うそでしょ?確かにマネージャーになりたてで、いたらないところはたくさんあると思うし、自負していたけど。まさか、フィディオを悩ませるくらいに、不十分な働きしかできていなかったなんて。びっくりするとかいうよりは、ただただショックだった。……わたし、馬鹿だ。フィディオといっしょに世界に行けて、浮かれてた。うれしくて、うれしくて、仕事もろくにできないくせに、それを直そうともしないで。
「フィディオ……、わたし、あの」
「……えっ、ちょっと、なまえ!?なんで泣くの、」
「ごめん、ごめんね、わたし、なんにもわかってなくて……フィディオ、辛かったよね……」
「い、いやまあ辛かったと言えば辛かったけど……」
辛かったんだ……、わたしがこんな役に立たない女だから、フィディオの負担になってしまっていたんだね。
「フィディオ、わたし、イタリアに帰るよ。画面の向こうから応援する」
「え、待って、何言ってるのなまえ」
「これ以上フィディオたちの足を引っ張るなら、わたしなんていない方がいいの」
「ちょっ、えぇ、何それ。き、君がいてくれなきゃ、俺、どんな試合も勝てないよ!」
「……、へ?」
らしくないくらい、ものすごく慌てた顔でフィディオがそう言って、わたしは目をしばたく。頭がうまく働かなくて、言葉を見つけられない。ど……どういうこと?フィディオにつよくつよく抱きしめられて、思考回路はショート。もうなにがなんだか。嬉しいやら悲しいやら幸せやらでぐっちゃぐちゃになって、ちょっと異常なくらい涙がぼたぼた。フィディオの寝間着にでっかい染みをいくつも作っちゃって、ああ、もう。フィディオが紛らわしい言い方するから。
「何、勘違いしてるの……、イタリアに帰るなんて、冗談でも言わないでくれよ」
伝わってくる熱は、この南の島でずっと触れているには少しあつすぎた、だけどはなしたくなかったし、はなさないでと思った。しがみついた背中の大きさにやきもちをやく。また勝手に成長しちゃって。
「俺はね、どうすれば君の好きな人になれるか、考えていたんだよ。夜も眠れないくらい、ずっと。世界一を決める大事な試合が近いのに、オルフェウスのキャプテンなのに、俺、どうかしてる。でも、君がマネージャーになって、いっしょにここへ来て、こんなに近くにいて、抑えられるわけないよ。君を好きだって気持ちを、俺はずっと前から抱いていたんだから」
フィディオの手のひらがそうっと後ろ髪を撫でて、なんだか、すごく心地いいと思った。彼の肩に頭を乗せたら、ふわりとせっけんの匂い。この匂いだけは昔からずっと変わっていないなあ。
「なまえ、俺のこと好きになって」
「……白い流星の洞察力もたいしたことないね」
もう好きだよ、 と言ったら、後ろ頭をつかまれたままいきなりキスされて、それがあまりに突然だったのでびっくりしたわたしはバランスを崩して、そのままベッドに倒れ込んだ。天井を背景に、フィディオが見える。
「……こらフィディオ」
「ごめん、思わず」
苦笑いを浮かべるフィディオにすこしあきれながらも、今の状況を考えてちょっと冷や汗が出た。たしかに、男とベッドなんかに座るもんじゃないなあ。まあ相手がフィディオだから、あのとき許したんだけどね。
「なまえ」
「ん」
「寝たい」
「それはどっちの意味で」
「通常の意味で」
「ならいいよ」
「通常じゃない方は?」
「……イタリア帰ってからね」
「約束だよ」
「フィディオの破廉恥」
月明かりだけがわたしたちを見ていた、なんて、ありきたりな表現。でもほんとにそうだった。遠くで聞こえる波の音と、家から持ってきた目覚まし時計の音が重なって、子守唄みたい。わたしの部屋のベッドはひとり用だから、フィディオと寝そべるにはちょっとせまくて、お互いすこし照れながら近寄った。フィディオがどんな顔をしてるのか気になって、ちらりと見たら目が合って、恥ずかしくて逸らす。
「なまえ、手、つなごうよ」
「……うん、」
そっと手を伸ばすと彼の手のひらにつかまって、ちょっと骨ばった男の子の指が絡められる。フィディオはなんだか、嬉しそうに目を細めていて、それがなぜかすごくすごくかっこよく見えて、思わず見とれてしまう。本当にわたしなんかでいいのか不安になったけど、つないだ手から伝わる彼の心音がこんなに速いうちは大丈夫だと言い聞かせた。甘く優しい声でフィディオがわたしを呼ぶ。南の島の夜にとろけて消えてしまいそう。
「Ti Amo、なまえ」
どっちからともなくくっつけたくちびるはあまりに不器用で不慣れで、わたしは自分の杞憂に苦笑い。彼とわたしのセカンドキスは幸せにまみれていてもったいないくらいで、すこし涙が出てしまったけれど、それを拭ってくれる指は彼のものだったから、わたしは。つながった手のひらをきゅうと握りしめ、わたしがどれだけ彼を好きか、ここから伝わればいいのになあと思った。
愛
を
伝
え
るプロセス
20100630
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初キスは好きな子のために
残してるといいよイタリアン