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その時の彼の嬉しそうな顔って言ったら。今まで数々の試合での彼を見てきたけど、いつよりも心から勝利を喜んで、次への大いなる期待に夢をふくらませ、先を見つめる目はらんらんと輝いていた。だからこそわたしは監督に頼み込んで、お母さんとお父さんに頭下げて、彼と彼の率いるチームと、ライオコット島に行くことを許してもらったのだ。もちろん、ただついていくだけっていうわけじゃない。マネージャーとして、選手の健康管理や練習メニューを考えたり、その他炊事洗濯と雑用もぜんぶ手伝う、という条件付き。何年も前から彼のそばで応援してきたわたしにとって、それは決して苦ではなく、むしろ楽しくて面白くて、光栄なことだった。

出発の朝。彼はガラスの向こう側の小型ジェット機を見つめながら、やっぱりすごく嬉しそうな顔をしていて、わたしも思わず顔がほころぶ。 「フィディオ」 呼んだら、振り返って、ああ、と言って、そのきらきらした顔でわたしを見る。

「昨日はよく眠れた?」
「いや、今日が楽しみで、あんまり。なまえは?」
「わたしもおんなじ」

言ったら、フィディオは明るくわらって、わたしもわらった。ここ数年で、彼はすごく大人っぽくなったと思う。ほんの少し前まで、わたしより背もひくくって、なまえちゃんなまえちゃん、ぼくゴールきめたよ、みててくれた?、なんて言ってわたしのもとに走ってきてたのになあ。急にしっかりしてしまうところが、彼も男の子なんだと思わせる。誰にでもわけへだてなく優しいところと、まぶしいくらいのその笑顔はずっと変わらないけれど。

「頑張ってね、……じゃないや、頑張ろうね、フィディオ」
「……うん、よろしくね、なまえ!」

フィディオが右手をさしだして、ちょっとびっくりしたけれど、わたしはすぐ微笑んで、その手に自分の右手を重ねた。……彼と握手なんてするの、いつぶりかなあ。知らない間に、わたしより一回りくらいおおきくなっている彼の手のひらを離すのは、なんとなく名残惜しかった。



*



どさり、脇にカバンを置いて、思いっきりベッドへとダイブした。思った通り、ふかふかだ。スプリングに身をまかせてぽよぽよと跳ねながら、さっき通ってきた道のことを思い出す。各国の選手が持ってる力を最大限発揮できるようにと、母国の街並みが再現されてるらしく、ほんとにここが南の島だったか忘れるほど、この地区はイタリアの街そっくりだった。移動中、思わず選手たちから歓声があがったもんだ。

……さて、そうゆっくりもしてられない。我らがキャプテン、フィディオ・アルデナが、早く練習をはじめたいと言っていた。この宿泊所のすぐそばにコートがあったし、さっそくそこではじめる気だろう。 わたしはカバンからノートや笛や、色々と使うものを取り出し、髪を束ねて部屋を出た。



オルフェウス――、それがイタリア代表チームの名前。率いる彼、フィディオは"白い流星"という呼び名をもつ、ヨーロッパでも有名なストライカー。 小学校からの馴染みであるわたし、みょうじなまえは、彼をずっと応援し続けてきた。 「俺は君たちと世界一になりたい」 フィディオがそういったのは、FFIヨーロッパ予選一回戦の直前。強くて統率力もあって志が高くて、なによりサッカーがすきな彼だからこそ、チームのみんなはこれまで彼と戦ってきた。そして、わたしも。 近くて遠いところにいる白い流星に手を伸ばし、恋い焦がれるようになったのはいつからだったっけ。



絶好調。一言で言えばそれだった。慣れない気候で、すぐバテてねをあげるかと思いきや、むしろ逆にいつもよりいいプレーができていた。それはあのイタリアの街並みのおかげか、それともキャプテンの楽しそうな表情があるからか。ノートに細かい字で書き込みながら、わたしは微笑んだ。ほんと、彼以上のキャプテンなんていないんじゃないかなあ、なんて考える。



*



日が傾き暗くなってきたので、練習を切り上げて先にシャワーを済ませて、夕食にすることになった。作るのはもちろんわたしなので、みんなよりも先にてっとりばやくシャワーを浴びて、食堂とつながっている調理場へ向かった。 扉を開けたら、コップで水を飲んでる選手がひとり。もうすでにシャワーを浴びてきたあとらしく、頭から白いタオルをかぶっていた。

「は、早いんですね」

誰だかわからなかったのでそう声をかけると、その選手はこちらを向いた。おおきな目がわたしをとらえる。

「あ、なんだ、フィディオだったんだ」
「ごめん、びっくりさせちゃったかな?……君こそ早いね」
「わたしは、晩ごはん作らなきゃいけないから……」

どきん、どきん、心臓がうるさい。まさかフィディオだったなんて。思ってもみなかった。わたしは内心すこし喜びながらも決して顔には出さないようにしながら、冷蔵庫の取っ手に手をかけた。

「なまえ」

フィディオが、背後でわたしの名前を呼んだ。なに、と振り返る前に、頭の上に白いタオルが落ちてきた。

「わっ……!?」
「髪、濡れてる。ちゃんと乾かさないと風邪をひくよ」
「え、あ、ありがとう……」

わしゃわしゃ、フィディオの手が動いて、髪を拭いてくれる。わたしはどうすることもできないで、彼と冷蔵庫にはさまれて突っ立ったまま、胸がはりさけそうだと思った。

「……綺麗になったよね、なまえ」
「へっ、……な、なに言ってんのフィディオ、急に」
「いや、そう思ったから」
「な、なにそれ」
「なまえ、……こっち、向いてよ」

フィディオの手のひらが肩に触れて、わたしをゆっくりと振りむかせる。わたしに拒否権なんてものは、はじめから、ない。

「フィ……フィディオ……?」

深い海のような群青色をした瞳に、わたしが映っていた。まばたきの仕方を忘れてしまったかのように、わたしは彼を見つめ返す。肩にあった手が頬に移動する。こんなに近くにいたら心臓の音がきこえてしまう、なんていうわたしの思いなんて気づかないフィディオが、もう片方の手の指で私のくちびるをなぞった。

「なまえ、俺――」

その時、食堂の扉が勢いよく開いて、わたしとフィディオはびくりと身体を跳ねあげた。仕切りがあるから、覗き込まれないかぎり見つかることはないけれど、条件反射でわたしたちはあわててはなれた。正確に言うと、フィディオが持ち前のスピードで飛びのいた。ばくばくばくばく、心臓が脈打っている。今ので絶対わたし、寿命縮んだ…!

「マネージャー、水ちょうだーい…って、あれ、何してんのフィディオ」
「いっ、……や、俺も、水もらおうと思って、さ」
「あ、そうなの?」

髪から水をしたたらせているその選手に水をついであげ、ありがとー、と言って出ていったのを確かめてから、わたしはへなへなと調理場の床に座り込んだ。しばらくして、フィディオがためらいがちに話しかけてくる。

「……あの、なまえ、さ、さっきは、ごめん、その、俺」
「う、ううん、大丈夫、だよ」

何を言いかけたの、何をしようとしたの、とは、聞けなかった。そんなこと聞けるような状態じゃなかった。

「あ、明日からも、試合にむけて練習頑張ろう、ね、フィディオ」
「あ、ああ……」

頭の中がぐるぐるぐるぐると渦を巻いている。もうなにがなんだかよくわからない。ただひとつ言えるとしたら、さっき、まったく抵抗しようと思わなかったこと、くらい。
まだ来てから1日も経っていないこの南の島で、なにかが、少しずつ変わろうとしていた。




20100629

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