「赤司っち、おれたちはやっぱり、敵かな」

 ぐるりと螺旋を描く階段にひとけはなく、閉じた空間のなかおれの声はうわんとこもるようにして広がりながら響いた。その音を後頭部で受け取った赤司っちはゆる、首を傾げ、ゆったりとした動作で振り返っておれを見る。
 ひとみは澄んでいて。相変わらずの左右非対称の美しさを湛えていた。

 孤を描くのはくちびるだったか、まぶただったか。兎に角笑んだのだろうことしかわからない不恰好な表情のつくりかたばかりが相変わらずで、今すぐにでもこのぐるぐると鬱陶しいばかりの階段を駆け上がって赤司っちの肩を抱き込みたい衝動に駆られる。
 理由はなく、ただ、ほんとうにそう言う衝動だったのだ。
 衝動のまま地を蹴りそうになった足をぎりぎり抑止できたのは赤司っちが途端笑みを消したからで、ひとみの奥にくゆる冷えた色にはぞくりと背筋が冷えてかなわない。

 来るな。触れるな。関わるな。
 野良猫のようだと茶化すにしては、おれと赤司っちの距離はあまりにも遠すぎた。

「敵、」

 語尾は上がらない。問い返すと言うよりも反芻するような呟きの落とし方は静かで、まとうとげとげしい雰囲気とは噛み合わない。ひとみは未だに冷えていて、おれのくちびるはかさついたまま。舐めてみたけれど味はなかった。

 指先がおれを、指差す。正しくはおれの胸だろうか、解らないけれど真ん中を。指すように示したつるりとした白の指が上向いて反転する。
 そのまま彼自身で顎に突き立てた指。そこでもう一度、敵、と繰り返した赤司っちの声はどうにもからっぽで、繰り返すわりには思考がされていないような空虚さばかりを織り交ぜていた。

「まず・・・うんそうだね、問おう。涼太」

 黄瀬、と。怒鳴りつけていた声と同一だとはまるで思えないほどに静かな声だ。海原のような静けさは、やはり海原そのもので荒れることも知っていたけれど。

 かつん、赤司っちが一度階段に叩き付けたつまさきから流れた音は反響のせいだろうか、おんなのヒールが傲慢に散らすような音になって聞こえる。階段にヒールに魔法の解けていない真っ赤なシンデレラ、なあんて、毒々しいことこの上ないメルヘンで。
 もう一度ことばと共につまさきを打ち付けた赤司っちはゆるりと首を傾げ、睥睨するようにおれを見る。

「まず、味方であったのか」

 わかりやすい拒絶をことのはに乗せて、珍しくも態度にも表して彼はおれを視線ばかりで射抜き、ひらいたてのひらでてすりを捉えた。
 パイプをつたうゆびさきの仕草は丹念なもので、彼はそのときだけ慈愛の篭ったひとみをする。とろけたひとみの芯は甘く、甘くて、ほんとうにこのひとが何を考えているのかがわからない。

 たとえば赤司っちの魔法が勝利だとして。十二時をすぎてもなおくるくる回り続ける呪いのようなものだとして。つまさきを切ってかかとを切って足をねじこんだ靴は、きっと王子様の硝子の靴なんかじゃあないんだろう。

 どちらかと言えば、それこそ赤い靴。足ごとばつりと飛ばしてしまうまで踊り続けなければならない、魔法。おれじゃあきこりにはなれない何かのマジック。
 ひとつ、童話と違うのだとすれば、赤司っちは踊りながらも辛いだなんて思わないことだろうか。だって安易に想像がつく。自分を傷つけるのがじょうずなひとの奇麗な自虐が、まるで、目の前で行われているように。

 味方であったのか、と声音を冷やした赤司っちはてすりにゆびさきを乗せたまま一歩、または一段、だけおれに歩み寄り、馬鹿みたいに丁寧に笑みをつくった。
 相変わらずの不器用だった。

「わからないよ、そんなの」

 寒い。身震いをして、くしゃみ。わずかに片眉を上げたけれど赤司っちは何も言わず、体調管理がどうだとか大会が近いからなんだとか並べ立てていたくちびるは整ったかたちのままぴたりと閉じている。
 螺旋階段十段分の距離は、あまりにも広く深くおれと赤司っちを隔てているのだ。

「わからないけど、」

 ヒールが上げるような傲慢な声を出す赤司っちのつまさきは、不規則に音を刻みながら左右に揺れる。叩きつけるような鋭さのわりに、どうしてだろう、浮いているかのような頼りなさがある。

 ふざけて、両腕開いて、おいでよとか笑ったのならば彼は今だけでも勝利をかなぐり捨てて飛んでくれたりするのだろうか、だなんてちょっとだけ考えて自分で笑った。ありえねえ。
 いつもいつもてっぺんで、山なんてのは頂上に行けば行くほど気温は下がるしひとは減るし足場だって悪くなっていくし、いちばん上はあまりにもちいさな面積しかないと言うのにそこに立っている赤司っち。物好き、とか言うにしては随分とどろりとした何か。

 絶対に負けられないと言う怖さを、おれは未だ知らないのだ。

「わからないけど、おれはともだちのつもりだったっスよ」
「・・・・友達?」

 だからかわりに、握手のかたちに開いたてのひらを彼に突き出した。ぐるぐる回った上、少しだけ目を見開いた赤司っちがこころもとなさそうにてすりの上でてのひらを躍らせる。掴み、撫でるゆびはわずかに震えていて、おれのことをはかりかねているのだと知る。
 理解なんて無理にするものじゃあないと、おれは思うのだけれど。ことばを尽くすのも面倒で、ただ中空で突き出した腕のまま静止するだけだ。

「あんたが望むのならば、こいびとだったって表現したって構わない。・・・・けど、赤司っちはそんなの嫌悪しそうだし?まあ近いのはともだち、かなあと」

 仲間でも味方でも協力者でもなく、友達と言う誰か。それに名乗りをあげてみただけだと言うのに、赤司っちははくりはくりと息をしているのか怪しい動作でくちびるを開けたり閉じたり繰り返して、最後、淡く困ったように笑った。
 ひとみの奥にくゆるのは、赤と限りなく橙に近い金のようにも見える色だけ。冷徹さも、酷さも、すべてがどこかに溶け出してしまったみたいに見えない眼球だ。

 形作るような笑顔は、相変わらず歪だ。好戦的に口角をつりあげるさまはあんなにも似合っているのに、こう、微笑むと言うやつがどうにも不恰好に見える。

「だった、そうだね、それは認めたってまあいいとしよう。だが、涼太。違う」

 それは魔法だ。十二時に解ける魔法。十二時まで解けない、呪いのようなマジック。硝子の靴なんかじゃあなくて赤い靴で踊り続けなければならないシンデレラ。きっと彼には王子様は現れず、彼自身も王子の存在なんて望んでいない。

 ぐるり回る螺旋階段では、急いで駆け下りた所で足を滑らせて転がり落ちるだけだ。
 靴が脱げることもなく。

「だった、が今は――敵だ」

 今度こそ、蹴った。水をひたひたに注いでいたような静けさが打ち破られて、表面張力が消え去って、溢れる。
 溢れる。

 溢れたままに、引き倒した。

「・・・・どうした」

 頭を床に打ち付けることのないように、と咄嗟に滑り込ませた腕が鈍く痛むのは、恐らくおれが飛び込んだままのちからを受け取った赤司っちが受身を取ることもなく突っ込んできたからだろう。
 おれがそうすると見ていたのか、それともどうでもよかったのか。後者でもありそうだから、全くこわいひと。

 ステンドグラス、だろうか。ふと横を見れば、何だろう、おんなのひとを模したようなカラフルな硝子が階段に同じ色の影を落としている。赤司っちが立つ場所には、なるほどあつらえられたかのように似合っているではないか。

 まるで陶器で作られたかのようにつるりとした頬に、顎に、ゆびを這わせて息を吐く。本当に誰も居ない、ここだけ隔絶されているかのように錯覚してしまうような螺旋階段の沈黙は濃く深く、ああもう、おれはいつから溺れているのだろう。
 ひとみを隠したがるように垂らされていた前髪は今はない。パフォーマンス、ことばのままに切って落とされた。

「・・・・今は敵、それでも、構わないっスよ」

 だからと。言い訳のようにつけたした音はみっともなく震えていた。いっそ赤司っちのつまさきのように傲慢に叩き壊せたのならと、そんなことを思う。

「だから今だけ」

 心臓の辺りを、おれの左胸を、赤司っちのてのひらが覆う。掌握。彼のボールに向き合うあのてのひらがおれの心臓をまるごと掴み上げているみたいな感覚。その錯覚はどうしようもなく甘美で、くらりぐらりとひとり酔う。

 いまだけ?
 問い返すかたちに上がった語尾は、甘やかしたがるかのようにほどけている。それも知らない声の色。彼はいつの間に、声で誰かを虜にする方法なんて覚えたの。
 赤司っち、と言う存在を知る期間として当てられた三年間はあまりにも短くて、たった数ヶ月、それだけの期間でまた別の何かになってしまった彼のことをおれはまるで知らないひとのように思えている。
 だから知りたい、そうことばにすることさえかなわないのは、やっぱり、距離か。

「今だけは、おれだけを特別にしてよ」

 勝利でもなく、チームメイトでもなく、おれを。今だけのあなたのとくべつにして。
 おんなのこがするみたいな弱いちからで縋りながらのそんなひとことを、しぼりだすかのように切れ切れに呟くおれは全く格好悪いことこの上なくて、暴れる心臓の音なんてとっくに赤司っちのてのひらのなかで転がされていて。

 螺旋階段、途中。駆け上がった瞬間に抜けた靴はおれのもの。これじゃあ誰がヒロインだろう。
 赤司っちはお姫様を探しもしないのだろうけど。

「特別にしてあげる、とは、言わないんだ」
「・・・・そんなの、傲慢でしょう」

 魔法が解ける前に。十二時の鐘がなってすべてが夢になってしまう前に。

「赤司っち、今の君だけを、頂戴よ」

 今だけおれが魔法を解くような、そんな魔法をかけてあげるなんて台詞はやっぱり陳腐で傲慢で、嫌になるくらいに甘ったるい。
 それでも胸を彼の指先が突く。まるでえぐるように爪を立てる。別のひとのように思えるそのひとの体温ばかりが知ったもので、泣きたくなるくらいに懐かしい。どうしてだろう、懐かしいのだ。
 頬に落ちる色の影さえ奇麗に貼り付けるそのひとの顔が、どうしてだろう、よく見えない。

「―――・・・泣くな、」

 赤司っち、おれは見つけるだけの王子様なんかじゃあなくて、君を変える魔法使いになりたい。

 おれの頭を抱きこむ赤司っちの腕はあたたかいのに、心臓をまさぐるゆびは嫌になるくらいに冷えている。呻くように彼の名前を呼んだけれど、ぎゅうぎゅうに抱き込まれて音は殺された。
 なんで泣いているんだろう。かなしいとばかり思うのに、理由がわからない。そんなのただの馬鹿で。

「赤司、っち」
「うん」

 戯れのように落とされる後頭部へのくちづけが彼から落ちてくる。触れるだけの、ちいさなこどもがするような行為。
 吐息は冷えていて。くちびるは熱い。

「、すき」
「・・・・うん」

 敵だ、言い切ったときと全く変わらない声音でそう言った赤司っちはもう一度おれにくちづけを落として、それっきり、何も話さなくなる。



このまま消えてしまえる魔法




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