何かを終わらせるようなてつきで、彼の指先がブックカバーを折りたたむ。酷くていねいで酷くおくゆかしいそのさかなみたいな指先が几帳面に折り目をなぞり、かたちを教え込むように数度つよく左右にスライドする。
 しゅる、時たまそんな摩擦音が漏れる、それだけの行為だった。

 瞳は乾いている。

「・・・・なかないの?」

 おれだってないていないのに、そんなことを尋ねてしまう。今までずうっと静かばかりだった部屋のせいで声はいやに大きく響いて、少しばかり驚いた様子の赤ちんが落とすまばたきの音でさえ聞こえそうなくらいだ。

「なく?」

 彼にしてはめずらしいひらがな発音、くちのなかでもごもごと数度呟いて、赤ちんはほんとうにわけがわからないと言ったような顔をして眉を寄せる。こどもみたいなその顔にどうしようもなくなって、フローリングの上に投げ出されていた彼の指先を何となしに軽くなぞる。
 赤ちんは何も言わない。手をつなぐ、にも満たないつたない接触を、ただ目を細めて眺めているだけ。

「その本。なんか、感動するってきいたから」

 ガラス張りのテーブルの上、投げ出すように置かれている厚めの本は確かクラスメイトあたりに聞いた流行の本のタイトルと同じもの。泣けるだとか、共感しただとか、そんな良く聞くキャッチフレーズと共に語られたいやに凝った煽り文のひっついた帯の書籍。
 帯が帯なら装丁も装丁らしく、すこし見てみればきどったフォントと共に作者名が踊っていた。

 明らかに赤ちんの趣味ではないように思える本だ。いろどりあざやかな愛を囁くおとこのひとと、自分をかわいそうがるのがとくいなおんなのひとによる悲恋もの、だったかな。来年の春に映画の放映も決定しているらしい、何故人気なのか理解できない系統の文章。そのあまったるさは赤ちんとはてんで結びつかない陳腐さだと思う。
 だったらどうしてそんな、なかないのか、なんてことを聞いたのかと問われても、わからないと言うほかない。

 ただ、赤ちんの瞳が無感動に乾いていたからかもしれないし、沈黙を埋めるためだけの質問だったのかもしれなかった。どちらにせよ、赤ちんが言うところの無駄な会話、だ。

 無駄。言うときの赤ちんはいつも、冷たい冷たい切って捨てるような口調と、射抜くようでいて冷め切っている視線を、みなもでも覗き込むかのような自然さでまとうのだ。
 睥睨、と言うよりはただ、無。

「・・・・ああ、これね。感想を聞くと言われたから、読むほかがなかっただけだよ。感想はお前の思っている通りさ敦。あまったるくてくだらない話だった。無駄な時間を過ごしてしまったよ」

 ていねいに、ていねいに、反射でも教え込むようなてつきで指先がブックカバーに這う。魔法のようにかたちを変えていくそれはどんどんちいさくなって行って、そのうちに消えてしまうんではないだろうかと、そんなばかなことを考えた。
 それくらいに指先はたまらなくやさしい動作で、いちまいいちまいていねいに、仕舞いこむように紙のカバーを折りたたんでゆくのだ。
 本には一瞥もくれないまま。

「最後は、」
「おんながおとこの後を追い命を絶つが、男は実は生きていた。そうして永遠の愛を誓う。ふ、突飛がすぎる話だ。逆転ロミオとジュリエットだと思えばいい」
「ふうん」

 まるで赤ちんみたいだね。

 とは、言えなかった。気づいているのかもしれなかったし、気づいていないのかもしれない。そんなふうの赤ちんの横顔はどこか焦燥が滲んでいて、今にもひびわれそうな無表情。
 赤ちんは何もかも捨ててしまったけれど、それが少しはやすぎたって、知っているのかな。

 指先が踊る。さかなが泳いで、ブックカバーは折り目だらけのいびつになった。あまりにもていねいなその仕草にどうしてかおれが泣きたくなってきて、足元に転がるスポーズドリンクのペットボトルに無意味に手を伸ばす。
 だって、赤ちんははやすぎることを知っていて、遅くなる前に全部捨てたのかもしれないとか。そんなことに気付いてしまったら、どうすればいいんだろう。
 
 赤ちんの部屋は相変わらず、テーブルとベッドとゴミ箱しかない。そのゴミ箱だって、おれが家に上がりこんでいるときしか使われている形跡がないのに。
 このひとはいつどこで、どんなふうにして生きているのか。おれはそれがいまだにわからないままだ。

「もらい泣きってことばがあるけど」

 赤ちんはふとそんなことを言いながら腕をしならせる。
 何かをおわらせるようなてつきで織り込まれたブックカバーがふわり、放物線を描いて空間に浮いた。柔らかな軌道のわりにははやさを持ったそのかたまりはすぐに落下して、吸い込まれるようにゴミ箱の中へ。
 今日彼が出したゴミはそれだけ。捨てる、と言うよりも、落とすばかりのひとだからだろうか。それとも全部捨ててしまった後だからだろうか。まるではじめて恋を知ったおんなのこにでもなってしまったようなきもちで、このひとをどうにかしてやりたいとそんなことを、思う。

「その場に居るだれかが先に泣くことで、泣けなくなったりもするらしいね」

 つるりとした爪ごと指先を握れば、今度は嫌がるように腕ごと引かれそうになったから、その前に完全に握りこんでやる。赤ちんは困ったように眉を寄せたけれど、やっぱり、何も言わなかった。

「・・・・・それ、あんたのことっしょ」

 なきたくならないひとではないと、思うのだ。感情の起伏が激しいほうではないだろうけれどまあ、人並みの感性とかいうものを持ち合わせていないこともないらしいし。
 けれど赤ちんはけたはずれに強い。それだけ。彼がなきそうになった頃、他のだれかはもうなきつかれてねむっていて、そこで赤ちんはなけなくなっちゃって、羽織ってる上着でもかけてやるんだろう。

 たまらなくていねいなしぐさで。

「そうかな」

 なけないことにも気がついていないらしいばかなひとは、思い出したように机の上に投げ出された本に手を伸ばす。持ち上げる所作は荒く、ほんとうに執着がないんだろう、冷えた目でカラフルな表紙を見下ろしている。きっとこの本も彼は捨ててしまうのだろう。そんなふうにしてこのひとは生きている。

「そうだよ」

 赤ちんがないているときに、おれはまだなかないでいられるかなあと、そんなことを考えた。
 今になってやっと、おれの指先を握り返してくれるそのひとの不器用さにどうしようもなくなっちゃって、おれのほうがはやくもなきたいのに、だ。本当にままならない恋である。

 おれは赤ちんに永遠をおしえてあげたいのかもしれない。



あなたへ、終わらない朝を



黒木さまへ!
88888打、キリ番フリーリクエストにて紫赤を頂戴しました。黒木さまのみお好きにしてやって下さいませ。有難う御座いました!
※書き直し受け付けております・・・!