かげろうか、はたまたしんきろうか。何だっていい。とにかくそのひとの存在ってもの自体がゆらゆらとたよりなく、今にも消えてしまいそうだっておもうくらいには薄っぺらだったから、何とことばをかける前に翻った細腕をつかみあげた。
ことばのままに、正しく。つかみあげたのだ。
いやにゆったりとした動作でふりかえったそのひとはおれをみるとめを細め、声をやわらかく崩していたいよ、とわらう。慌ててぎゅうぎゅうにちからを入れていたてのひらを弛緩させれば赤ちんはもっとえみを深めて、すこしばかり赤くなってしまった自分の手首をなぞった。
どこにも行かねえさ、と。赤ちんの隣でおかしそうにかおをゆがめて峰ちんは言い、がさり、脇にさげていた紙袋をゆらす。
そうしてぐらんとゆらしてそのまんま、目の前につきだされた黒の袋。受け取る暇もなくすぐに峰ちんはちからを抜いてしまうから、地面にすいこまれるように落ちていくそれをぎりぎりでうけとめた。嘆息。赤ちんはやっぱりゆるゆるわらう。
「中身はケーキと柿ピーの、何か変なヤツ・・・・チーズ味だったけか。それだから。まァ、そのままとっとけ」
ケーキは赤ちんで柿ピーは峰ちん、だろう。それだけはわかったけれど、逆に、それしかわからない。判断材料がすくなすぎて、もともと、思考ってやつがあんまりすきではないおれの頭ははやくもかんがえることにたいして逃げようとしている。
だからもうことばを捜すのが億劫でとりあえずうんとだけ頷けば、満足げにめじりをさげた峰ちんが何がたのしいのか快活にわらった、めずらしくも。
そのあいだ赤ちんはずっと黙っている。
めずらしい、と言えば赤ちんと峰ちんのコンビかもしれない。赤ちんとミドチンとか、峰ちんと黒ちんとか、そう言う中学のときよくみかけたふたりの取り合わせじゃあなくてなんで、こう言う切り出し、なんだろう。ど派手で存在感がすばらしいことこのうえない、って言うのは共通点であって接点ではないし、そもそも赤ちんみたいなベクトルの華やかさってだけなら黄瀬ちんのほうが目を惹くし。
かみ合わない。そもそもおれの選択肢のなかに、このふたりをくっつけるって言うものが存在さえもしてないんだから。
「ハピーバースデー、トゥ、ユウ」
けだるげなこと、この上ない。とでも言いたげな、覇気のかけらもない声でそう言いきった峰ちんがぱちぱちと二回、カラッポの拍手をしてさっきのえがおはどこへやら、面倒そうに首裏をかきあくびをひとつ。
赤ちんはちいさな声でそんな峰ちんを注意したけれど、本人はどこふくかぜでしらりとしている。
選択肢はなかったけれど、よく見た風景だった。
「お前の誕生日と言うものを、涼太に知らされてね。そう言えばことばもかけていなかったとおもっていたんだよ。そうしたら大輝まで知らなかったと言うじゃないか・・・・ああ、そのとき丁度連絡を取っていて。まあ、そこでね」
「祝ってやろうかー、って、なあ?」
同意をもとめるように語尾なんかあげられてもこまるのだ。
突然駅でまってろとか峰ちんからメールがきて、意味もわからないままとりあえずいそいで向かって着いてみれば、数ヶ月はあっていなかった真っ赤っかとあおざめた真っ青けがふたりゆらゆら、立っていたのだから。
何も理解できていないまま、ああでも消えてほしくはないまぼろしだよなあなんておもいながら腕をつかみあげた。それだけのこと。
それから十分とたっていない今。
ながれるように出来事がながされすぎて、おれ自身が流されちゃって、ちょっとわけがわからない。
「つか、赤司、お前も祝えよなあ。祝うかほらせめて、何か言えよ」
「何だその言い方は。スピーチじゃないんだぞ大輝」
マイペース、自分が世界の中心――――赤ちんにいたっては、自分が世界をまわしているとでも言いだしそうでもある。そんなふたりだ。おれの存在を歯牙にもかけず、かげろうでもしんきろうでもないままにゆらぎながら会話をつづけている。ふたり、ずっと。声ばかり軽い音で。
やっぱりしんきろうかも、しれなかった。
だってよく見た光景だった、中学時代、赤ちんがもっとふつうの誰かで峰ちんがただバスケの上手なただの部員だったころ、ミドチンは居たけれど黄瀬ちんと黒ちんが居なかった頃。よく見た日常だった。いつの間にやらなくなってしまった“接点”、だったけれど。
だからやっぱりしんきろう。ここに居る誰ひとりとして触れないまぼろし。
それは奇麗ではないまぼろしだけれど、すこしだけ、惜しい。おれにとってはそんな何かだったし、ふたりにもそんなものなのだろう。
惜しいだけで、欲しくない。そんな感じ。
「なあ、敦」
今があるなら昔はいいや、おれと峰ちんと赤ちんはそんなさんにんだったからこその、この奇妙な空間なんだろう。てんでちぐはぐである。未だに消化しきれないでいる黒ちんだったり、やさしいばっかりのさっちんが居たとしたら、またべつの空間になったにちがいないのだけれど。
「有難う」
ぼんやりと思考を飛ばしていたのに、一気に一点に収束したのが自分でわかった。赤ちん、散漫にぼやけていた頭の中がそれだけでうめられて、意外そうに軽く瞠目している峰ちんだって見えていないわけじゃあないのに処理しきれない。
しきれないまま答えた。なにが。我ながらうわずってかすれた声。赤ちんはくびすじに浮きあがる血管をなぞるように喉元に指をはわせてくつり、とわらう。
「生きていてくれて。さ」
産まれてくれて、ではなかった。
「生きていてくれて有難う。もう忘れてしまったいつかだけれど、僕とすごしてくれたこと。お前と言う存在のまま確立していてくれたこと。感謝している。・・・まあこれは大輝にもあてはまることだが、お前にいっとう、言いたかった」
峰ちんが何かをおもうように目を眇めて、おれも、忘れてしまったいつかについてすこしだけ考えてみた。
だけど、やっぱり忘れてて。
仕方ないから今めのまえのそのひとだけを記憶に貼っていく。切り貼りって言うよりも、転写。ムービーって言うよりも、写真。
「有難う」
彼は繰り返す。おめでとう、ではなく、何度も何度もありがとう、と、感謝ばっかりを。風にあおられた紙袋ががさりと音を立てながらゆらいで、ちらりとみえた柿ピーのパッケージにはチーズではなくわさび醤油味、と書いてあった。峰ちんまちがってんじゃん、ばか。
赤ちんはゆるゆるわらう。
秋空のうろこぐもを上手に背負えていないそのすこしだけぎこちないえがおに、けれど何て無垢なものを飼っているひとなのだろうと、ひさしく、おもった。
自分を生かすことがへたくそなひとのへたくそな生き方。もうおれは辿らなくなったその変な無垢さとたまらなくぶきようなひとの道。交点はなく、平行なまま、哀れみにも似た情のままにおれはずうっとなぞるに違いがなかった。
直感。
峰ちんはどうおもったんだろう。やっぱり苦く何かをおもうような顔をしたまま、けだるげに立っている。うろこぐもなんて見てさえいない。
「・・・・ねえ、赤ちん」
彼は言うだろうか。峰ちんだったらぞんざいにふてぶでしく祝えとでものたまいそうなその日、自分の産まれた日にやっぱり似合っていないえがおをへたくそに浮かべたまま、『僕を生かしてくれて有難う』だなんて言うのかな。
峰ちんを見る。同じことを考えている、おもってちょっとだけ首をかしげれば、わるがきそのものみたいなわらいかたをして峰ちんはゆっくり、赤ちんに見えない位置で音もなくくちびるをうごかした。言うだろうな。
なまなましいふたりの存在は、しんきろうでもなんでもない。赤ちんと峰ちんはおれの前、当然みたいな顔をして居座っている。日常の合間にすべりこんできたくせに、日常みたいなふりをしている。
ああでもそれはふしぎと、わるい気持ちではなかった。
「おれ」
生きててよかった。なんて、安っぽすぎるちんぷさだ。そのかわりのようにちいさく、本当にちいさく、自分で確認しながら。
「バスケ、ちょっとだけすきだったみたいなんだよね」
峰ちんはやっぱりな、みたいな顔をしていたけれど、赤ちんは驚いたみたいに目をみひらいてふとことばを失う。そのままただ、頷く。浮かぶのは安堵にも似た表情だった。
脇にたれさがっている赤ちんの手首はおれがちからをいれすぎて赤くなってしまったまま、まだ腫れはひいていない。
「――――・・・・おめでとう」
よかった、でもなく。有難う、でもなく。
「おめでとう、敦」
赤ちんはそうちいさく言って、峰ちんはやっぱりカラッポの音でぱちぱち二回拍手をする。今すぐ消えてくれっておもっちゃうくらいにはふたりとも、むかつく顔で雰囲気で。どこにでも行っちまえ。さっさと帰れ。言いたくなる。このふたりとプラスおれでつくられちゃったこの空間、居心地が悪い。
だって何なのかふたりとも、らしくもなくうれしそうにわらっているのだ。
テンポラリーの墓場にて
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