あなたの居ない日々を過ごしている。と言えども、少女ティックな感傷に浸りはしない。

「それこそどうしようもない物理的距離の遠さがあるのですが」
「、うん」

 景色が緩やかに流れるのを眺めながらそう言えば、何とも言いがたい顔をして氷室さんが首をすくめた。目的地もないままの徒歩、散歩は、彼相手だと途端退屈とはまた違った淡々とした空気に支配されてしまう。

「・・・・です、が」

 センチメンタルな気分に陥ることもなければ寂しさに泣きたくなるような夜を耐えることもなく、僕は彼の居ない日常を極めて平凡な日常として捉えるのみなのだ。
 電話もメールもしないけれど、苦しくはない辛くない。

 冷えている、とも違う。倦怠期ではない。
 僕と彼はずうっとこんな風にして今までを過ごして来たし、きっとこれからもそうやって、平行のまま交点を探すような不毛さと共に時を過ごすに違いないのだ。
 一緒には居ない。時を空間を共有するだけ。

 その、それこそ冷えているとでも評されそうな関係はとても居心地がよかった。彼はなんだかんだと言いつつも僕の勝手に付き合ってくれるし、急な訪問にだって無理矢理に時間を作ってくれる。嫌だと言えども取り消してはくれないが、妥協案を示してくれるような。譲歩が上手いと、言うのかな。兎に角そんなひとだった。
 恋人同士だとはお互い思っては居ないが、しかしそうとしか言いようのない関係はいささか滑稽でけれども愉快で、僕は惰性とも違う情のままずるずると、氷室さんに逢いに行ったり来て貰ったり、そんなごっこ遊びじみた関係を続けている。

 僕の、すきなところ。あるんですか

 いつかのごっこ遊びの延長の、彼女か又は彼氏の真似の僕のことばでさえ氷室さんは至極真面目な顔をして一瞬その面を伏せ、そうしていやに語気を強め、

 目、かな

 言われたときはらしくもなく湧き上がる笑みを抑えることが出来ないままに腹を抱えたものだ。眉を寄せ、不快感を前面に押し出したそのひとの様子も愉快だったし、何よりも答えが愉快で愉快でたまらなかった。
 らしくもなく笑い転げ、珍しくも目頭から涙を流した。それくらいに可笑しかった。

 僕もですよ。

 そう、伝えたかは忘れたが。
 僕も、僕もだったのだ。僕も氷室さんの目が嫌いではなく、むしろ好いている部位であったのだ。

「あなたに逢いたくてたまらない日なんて、過ごしたことなどないのですよ」

 目鼻立ちのはっきりとした柔らかい印象をもたれがちな顔。だがそれは表情が柔らかいからであって、本気で怒り狂った彼の迫力はそれはもう普段とは別人であると言われたって否定は出来ないだろう程に凄まじい。勢いもそうだが、吐き捨てるような口調で混ぜられる英語でのスラングだって普段とはまるで結び付かないものだ。そして喧嘩も出来ない訳ではない、と言う。

 おもしろいひとだった。
 僕の周りには余り居ないタイプの彼は裏表が激しいと言うか、二面ある自分の中の何かを無理矢理一面に押し込めるからこそこじれているような、そんな不器用さが滲み出ている。故に面白く愉快で、共に居て会話こそ少ないが退屈はしなかった。

「ふうん」

 興味なさげに吐かれた返事はだが刺々しく、少しばかり不満に思われているのが手に取るように解る。僕だが、彼も大概にして自分の感情を扱うと言うものが得意ではないらしい。制御は出来るが素直に押し出すことは出来ない、そんなところだろう。その感覚はよく知っている。

 扱い方が解らないのだ。嬉しければ、有難う嬉しいよ、そう言いそうして――――どうすればいいのかが解らない。
 氷室さんは僕よりもいくばくかは上手だったからそう言った感情は素直に表現できていたけれど、どうにもマイナスやら負やらと銘打たれる感情は抑え込みがちらしく途端にことば少なになる。溜め込み抑え込み最後には爆発するだけ、やはり僕よりは色々と上手なのかもしれないが。

「・・・・あなたは、どうですか」
「さあ、覚えてないな」
「そうですか」

 少しだけ首を傾げてこちらをちらりと見下ろしたそのひとはちいさく笑い、悪戯っぽく肩をすくめる。覚えているだろう、思っているだろう、言いそうになったすべてのことばを喉の奥に押し込めて、僕も控えめに笑うだけに留めておく。
 そのまま沈黙。氷室さんがペットボトルを潰す、ばりばりと乾いた音だけが僕と彼の間を流れた。

「僕も覚えていません」
「そう」

 丸く潰されたペットボトルが奇麗な放物線を描いて道の端のゴミ箱に放り込まれる。余りにも奇麗な軌道は彼のシュートにも似ていて、瞬間ネットをボールが突き破るあの音が鼓膜を揺さぶった気がして。
 思わず息を呑んだ。

 賞賛のことばの代わりに僕は二回掌を打ち合わせて、僕が先ほどまで口をつけていたコーヒーの缶も彼に預けた。
 苦笑気味に、口角を緩めたまま無言で受け取った氷室さんが、ペットボトルよりもいささかぞんざいに片手で投げ込むのをしっかりと見届け、また、歩く。普段誰相手でも陣取る位置、一歩前。

 でなく、隣を。

「聞いてもいいかな」
「何をです?」
「理由を」
「――――ああ、」

 理由。口内で転がせば、余りにも味気のないその単語を唾と共に地面に吐き捨てたくなって顔を歪めた。そんなこと、しはしないけれども。

 歪んだ顔のまま彼を見上げた。氷室さんは少しだけ困ったように眉を寄せたまま、続きを促すようなことばを紡ぐ。ほら、だったか、うん、だったか、居た堪れなさから出されたような意味のない音だ。
 打ち消すように、僕は笑う。今度は鈍く。

「あなたに逢いたい時がないなんて、そんな寂しい・・・こと、言いません」

 あえて間を挟んで顔を伺えば、どんどん顔を苦笑に崩していくそのひとが可笑しくて可笑しくて、吹き出しそうになってしまう。その衝動をすべて笑みに押し込めれば、ほら、満面。人形だとか鉄だとか言われがちの僕の表情だが、笑顔にだってなる。

「無為に過ごさないだけです。僕は逢いたくてたまらない、なんて思わない。逢いたいから逢いに行く」

 息を呑む、音がした。

「僕は今日あなたに逢いに来た」

 彼の通う学校、最寄の駅より徒歩五分、閑静な住宅街。こどもの遊び場だろう公園を過ぎた辺りの道路、午後二時。到着報告三十分前。彼は慌てたように声を裏返らせ、今から行く、待ってる、しきりに繰り返しながらことば通りにだけどどうしてか、駅のホームに立っていた。定期あったから、言い訳じみた口調でそう言っていたけれど、氷室さん、あなたしっかりと行き先が青森とか言う意味の解らない切符を握り締めていたでしょう。

 そんな彼を、見た。どうしようもなくなって、居てもたっても居られなくなって、行動での表し方が解らないままにただ笑った。
 逢いたかった、とは、僕は言わなかったのだ。

「逢えた。それで、いい。感傷なんてすぐに忘れますよ。だってそれだけで、僕は今とても嬉しいから」

 だからどうすることも出来ないのだけれど――――感情を行動に移すことは、どうも上手に出来ないのだけれど。僕よりもいささか上手く出来る氷室さんが眉を寄せたまま僕のてのひらを掴み、そうして指を絡ませて来るから。
 ああこうすればいいのか、と、するりと納得して、しっかりとぬくみを握り返す。

 まるでこいびとみたいですね。揶揄するようにそう言えば、ごっこ遊びも悪くない。と、やはり言い訳じみた口調で氷室さんは呟き僕のすきな部位である目を細め、一度だけ繋がれた左手を揺すった。



どうぞゆりかごで揺り起こして



嘘月さまへ!
70000打、キリ番フリーリクエストにて氷赤を頂戴しました。嘘月さまのみ、お好きにしてやって下さい。有難う御座いました!