そのおとこは、さきがみえるのだと言う。誰も知らない、誰もまだみたことがない、一秒三秒十秒さき。一瞬とも言える時間のショートカット。それが自分には出来るのだ、とそのおとこは言う。
 普通、すなわち、ただ学生生活を送っているだけだったならばそこまで役立たなかっただろうちからだ。もしかしたら、彼自身がその才能に気がつかなかったかもしれない。

 けれども、赤司はバスケをしていて。
 だからこそこのちからは大いに役立つのだよ、と、どこかのだれかの真似のような口調で彼は笑む。

「・・・・さきをみる、ねえ」
「未来予知と言うと少々大袈裟だろうね。まあ、人力での先見と言ったところさ。きみだってすこし・・・・・否かなり、努力をすれば、もしかしたら似たようなことくらいはできるかもしれないよ」
「いや、むりむり」
「なんだ諦めるのか。試合終了だぞ降旗」
「なに楽しんでんだよお前・・・・」

 あはは、と、笑い声は軽い。初対面時の感想は何だこのおっかない奴だと言う恐怖心だけで、そのときは彼がこんなにも自然に目元をゆるめるひとだとは知らなかった。
 まあ確かに、表情筋はあまり鍛えられていないらしい。彼曰く、ふと思い立って鏡の前で口角を上げて歯を見せてみたら頬が痙攣したそうだ。つまりそれほどに普段は笑わないのだと言う。

 まなざしがこんなにも多彩にうつろうひとを、少なくとも今のおれは、彼以外では知らない。喜怒哀楽、それ以上を、ただまなざしだけで語るひとを。

 そのぶん、目力ってやつだろうか、もかなり異常なほどではあるひとだけど。
 激怒しているときの冷え切っための怖いこと怖いこと、もともと赤司にはあまり強く出られないのだけれど、冷え切っているくせに奥底ではどろどろと怒りが煮立っているようなかれのめを前にしてしまったときはいつも以上の降参のはやさで、毎度その場で即平謝り決行だったりする。

 ま、コントだ。

 最初こそ本気で機嫌が急降下することが多々みられたけれど、最近の赤司は冗談で怒ったふりを―――まあ、それでも迫力は物凄い―――する。
 表情も声も最初のことのまま淡々としていて、かなり酷いことを言ってくれはする割りに、気安い仲だと思っていただいているらしい。意外にも。

「僕のものは完璧な予知だけれど、言い方を変えるとするのならば予測、だよ。筋肉がこう動くのならばこうだろう、身体をこう傾けているけれど疲れはこれくらい溜まっている筈だから恐らくフェイント、みたいなね」
「うーん、とりあえずおれには出来ないことがわかった」
「ああ、そう。まあ別に無理にとは言わないよ。きみのその恐ろしく用心深いゲームメイクには思うところが多々あるけどね」
「だ、駄目なのかよう」
「駄目とは言っていないだろう。面白いなと思ってはいるだけで」

 言い、結構豪快にハンバーガーにかぶりつきながら赤司はめだけでおれに笑って見せた。からかいを含んだ口調に額辺りをなでられるのは何とも言いがたい羞恥を呼んで、思わず絡まっていた視線を振りほどいて床に落とす。マジバのカラフルな床の色にちょっとだけめまい。

「うーん、」

 他人とちょっとだけちがう赤司のめは、他人よりもちょっとだけさきがみえる。昔から、めの色がちがうひとたちはまっくろのめのおれとは別の景色がみえていたりするんだろうか、とか夢見がちなことを考えていたのだけれど、どうやら本当に違う景色が見えているらしい。

 まあ自他共に認めるモブAのおれは赤司くんに対してだーれだ、って通用するんだろうか、と言う物凄くちっちゃい疑問を抱くだけだ。

 知らない景色のことについては何も言えないし。百聞は一見にしかず。彼のみているすべてについて、おれなんかは口を出す権利を持たない。いやたまにぺろっとことばが落ちちゃったりはするけれど。仕方ない、ことばが浮かんだと思ったら自分の中で消化して煮詰めて選別、する暇もなく食道を駆け上がってくるのだから。
 黒子とか、赤司もだけど、やっぱりすごい。必要最低限しか話さないってつまり、必要なことが何なのかをきちんと理解して会話できてるってことだと思うし。勝手に。

 最低限の単語、文章で、最大の威力を持つ意味を詰め込む。しかも推敲の許されている文字ではなく、出してしまえば打ち消せないことばに対してそれが出来る。

「・・・・ああ、そう言えばテツヤはどうだ。今更被害者ぶってでもいるかな」
「ひが、・・・・・・?ん、様子ってんなら普通だよ。悩んで練習して負けて勝って上手くなって火神殴って」
「ええと、とりあえず最後は普通に入るのか否かを議題にパネルディスカッションでもしようか」
「何それ本格的」

 ぢくり、と。見落としてしまうほどの密やかさでことばの端にくるまれていた棘に指先が痛んだ。赤司の歪められた目頭が解り易すぎる嘲笑を語り、ことばこそ冗談じみている癖に声音はしんと静かだ。
 冷えているのでは、なかった。
 どこまでも静かで波打っていない。無感動、と言うのだったかな、確か。

 赤司は恐らくことばの通りに黒子を気にかけてなんていないのだろう。おれとの会話の一端として、共通の知人である黒子を引っ張り出してきた、ところか。
 何と言うか、―――何と言うか。だ。

「みえていた」
「え、」
「細かいことはわかんねんだけど、あいつの端的な情報から察するに、バスケ部を辞めたか赤司たちと縁切ったか何かしたんだろ。だから、さ。それもみえてたのかなーって」
「・・・・・どう思う」
「さ、わかんね。おれ凡人だしね」

 ストローで吸い上げたのはバニラシェイク。けれど溶けきってしまっていて、シェイクと言うよりはジュースに近くなまぬるい。
 どろりともせず、突っかかりもせず、まるで自然に胃に落ちてゆく液体。
 不思議と甘さは感じなかった。

「凡。並。普通。君は多数派の意見を尊重したい人間なのか、降旗くん」
「えっ、えっ。何」
「別に何でもないさ。ただ、君は意外と狡猾なのだろうと言っただけ」
「こ、こうかつ」
「国語辞典でも買って来な。どうやらおまえはあまり国語には明るくないようだから」
「う。いや、でも、持ってるつうの」
「ところで降旗君、開かれない本は最早本ではないと言うのが僕の持論でね」
「回りくどく刺してきますねえ赤司くん!」

 ファーストフード店と、赤司。最初は浮くだろうと思っていた彼の存在、だったのだけれどそれは杞憂に終わった。オーソドックスなチーズバーガーを頼み、席に座り、自然に咀嚼をする赤司は恐ろしくその場になじんでいた。
 ひとのあふれた店内、お世辞にも上品だとは言えないそこで。赤司は主役ではない。

 コートの上、絶対的、圧倒的に存在している赤司は。
 少なくとも目の前には居なかった。

「みえていたのなら」

 ぽつ、と。染みさえつくられることのないだろうちいさなその、ひとりごとじみた囁きは、それでもただおれだけの鼓膜を揺らした。
 この場にはたくさんの人がいて、店内は騒々しいと言うのに、おれだけが。

「みえていたのなら、俺は今こんな風にして生きていないさ」

 聞いた。

「でも残念ながら俺は神様にはなれない。せいぜい王様止まりなんだよ、降旗くん」
「、良いことじゃねえの」
「良いことかな」
「うん、ま、少なくともおれは、ね。だって神様はみえないけど王様はみえるじゃん」

 あと触れるし、生きているし。いやしかし何と言うか、赤司が神様でなくて本当に良かった。ファーストフード店でここまで寛げる王様が居て良いものかはとりあえず脇に寄せておいて。

「あ、ねえねえ赤司くん。もし本当にさきが、動きとかじゃなくてさ、みえたとしてさ。どうしたい。何がみたいとかあんの」
「なに、ね。特にないかな」
「夢がないなー」
「ふん。僕も君も生きているのは現実だろう」
「そうだけどさー」

 知らない景色って言うものに対しては、正直、興味がある。そんでどきどきと少しの焦燥が入り混じったような、走り出したくなるのに知らないから飛び込めない臆病さも露呈してちょっと居心地悪くなっちゃうような、すなわち、ひとりぐるぐると思い悩んだりもする。

 ふと、思った。さきがみえるひとのこと。そんなひとの試合について。

 知らないことのない、予測できてしまう動きに応戦すると言うのは、もしかしたらとてつもなくつまらないことなんじゃないかな、とか。通りすがりAの想像でしかない思考だ。

 ただ、ほんとうにふと思う。
 赤司がもしおれと同じ名なしのAなのだとしたら、もうちょっと素直に景色をみていたのかもしれないな、と。
 か、言っちゃって。

「赤司くん、卒業旅行行こうよ」
「どこに」
「ウェリントン」
「しかし何故そこをセレクトしてしまったんだ」

 赤司がもし、未来さえみえたとする。おれと彼についてもうみえきっていたとする。そうしたら赤司は何を選択するのかな、何がみえるのかな、なんて全部ありえないもしもの話だった。
 目の前に居るのは、王様止まりで神様気取りの、何の変哲もない、ありふれたファーストフード店の馴染んでいるただの赤司、で。未来はみえないバージョンで。

 赤司に出来ないことは多いなんて、初対面時には思いもしなかった。



イニシャルAの凡人