今晩は星が落ちる日らしい。
 もうちょっと別のいいかたあったっしょ、とか。せめて流星群っていおーぜ、とか。思ったけれどそれは一瞬で。

 ベッドにごろり猫みたい、肢体を無気力に投げ出したひとが透明のひとみで窓の向こうをみやるから、つられておれもそちらをみる。夜空、ではあるけれどずいぶんと明るい――――コンビニの看板が煌々と、夜に不釣合いなほどにぎらぎらと黒を食う勢いで輝いているだけ。
 いや、事実食っているんだろう。薄く色付いている程度の空が天体観測に向くわけも無く、窓で切り取られた空もそれは例外じゃなくて、星なんかこれっぽっちもみえやしない。むしろ飛行機の通り過ぎる軌道の方がはっきりとみえたくらいだ。

「落ちるんだ」
「そう。落下だよ。流れた先は地面だもの。逆に流れ星なんて言い方の方に語弊があると僕は思うね。落下星とか、落ち星とかさ・・・・燃え尽きるんだから落ちるって言うのもおかしいのかな」
「んー、どうでもいいわ」
「だろうね」

 願い事をする星が、落ちる。何ともまああれだよなあと思ったけれど黙っていた。赤ちんがいいなら、それでいい。赤ちんがただしいなら、それがいちばん正義。

 枕に右の頬をぺたりとくっつけて、熱心に夜空を視線だけで探るそのひとの表情は平坦だ。やわらかくはあるけれどゆたかでもない、そんな顔。無感情ではないんだ、ただ、無表情。
 白いシーツに広がる赤の髪を眺めるほうが、みえやしない星をさがすよりもたのしいよ。
 言おうとして、やめた。その代わりに隣に滑り込めば壁際に身体を押し込んで、赤ちんはちいさくさむいとつぶやいて布団に包まる。ちなみに端を寄越してくれることはなかった。

 窓は開け放されていた。

「落ちればただの石ころなのさ。輝いているときはあんなにも、うつくしいのに」
「うつくしい、」
「刹那。一瞬。期間限定ってことばに惹かれる女性」
「・・・・・ああ成程、ね」

 ずっとはないからこそうつくしいのだと、赤ちんはそういいたいのだろう。ひとみさえ恐ろしく無表情を貫いているのに声音だけはどこか弾んでいる理由はそれらしい。

 御覧。
 みてよ、敦。

「遠く。目を凝らすんだ」

 時計は午前三時を記録していた。
 赤ちんによると落ちる星、流星群がみえるのは午後三時から朝六時半――――白んだ空で星がみれるわけがないから、実質みえるのは今から三十分から一時間の四時まで、くらいかな。

「敦の部屋のものって、全体的におおきいよね」
「そりゃあね」

 いわれるままに空を眺めた。コンビニの看板、空に突っ込むその明かりは相変わらず邪魔ではあったけれど、確かにいわれたとおりにみているとちらちらと、気のせいかと思うほどのものがちらりちらりと横切っている、ような。流れているような。
 薄い白い、線が、斜め上から斜め下に、あるいは横一直線に、たくさん。きっと山にでも行けばもっとよくみえるんだろう星たちは確かに、落ちていた。

 隣で赤ちんが一瞬、ほんの一瞬息を止める。あるいは息をのんでいた。彼にもみえたんだろう、薄っすら、あるかないかどうかさえ曖昧な星の軌道を。
 同じものを、みている。言われなければ気付かないほどの希薄なものを一緒に。

「みえる、ね」
「・・・・・・・・うん」

 お世辞にもきれいとはいいがたい。街灯、店、まだ寝ていないだれかさんの家の電灯。それらにかき消されかけている都会の流星は、どう表現してみたってきれいなわけがないんだ。
 なのにどうして。なのにどうして、一瞬をふたりでとらえているってそれだけで、こんなにもうつくしいと思ってしまうのか。

 何をみるかじゃない、誰とみるかだ。そんなの迷信のはずだった。

 そしてふいに、白が裂いた。夜を、コンビニの光を、街灯の人工的な明るさを突っ切って、ちょうど窓の右上から左下まで一直線に、白が横切った。
 数秒。
 赤ちんが喉を鳴らす。おれはベッドから跳ね起きて、窓辺に両手をつく。いま、と喘ぐようにちいさな声で赤ちんはいった。うん、と答えるおれの声はなぜかどうしてか震えてかすれてる。

「み、た?」
「みた、星、流れ星が・・・・みた?」
「みえた、みたよ、当然さ」
「だ、だよね、今のって、うん、ええ・・・すげえ・・・・」
「願う暇なんて、ないね」
「願うとかもうそんなんじゃねー・・・」

 ひとつ。流れ星がひとつ。みえただけ。

 敦は、と。敦はさ、言いながら赤ちんも窓辺に寄ってきて、おれを端に寄せながら無理矢理自分のスペースを確保して。

「敦はさ、三回。何願う?」
「やさしいですように。うん?何か違うかな。日本語難しいわー」
「やさしい?」

 頷きながら、隣の腰に腕を絡ませた。赤ちんは振り払いもせず寄りかかりもせず、ただされるがまま、熱心に窓の外を眺め続けている。
 問いというよりも反芻、やさしい、の意味はそこまで聞きたいと思っていないんだろう、意識のかけらだってこっちに向いてやしないんだからこのこはもう。

「やさしいねえ・・・・僕は、うん、そうだなあ。敦にやさしいひとがもっと増えますように、とか」

 自分の願い事をしなよ。苦笑気味に腰を揺すれば、至極真面目くさった顔でどうしてと返されてしまった。心底わからないらしい、心底からおれに降る願いを思ったらしい。
 そこは自分の願い事でしょう。僕の願い事だけど。いやそうじゃなくてさあ。え、だったら何があるっていうの。
 そんな堂々巡り。このひとは本当に、選択肢から自分を除外しすぎる気があるんだから。

「赤ちんだけでいいよ、他のひとのやさしさなんて、どうでもいい」

 ふたりで何もかもが完成されたらそれこそ願ったり叶ったりだし、出来上がった世界はとんでもなくうつくしいだろう。かすみかけの星なんかめじゃないくらいにきれいだろう。
 でもそうは行かないから。そんな世界は出来上がったりはしないから。
 もっと生き易く、赤ちんが生きることができるようになるんなら、こんな世界でもいいと思う。今は未だ、駄目だけれど。いつか赤ちん自身は気付いてくれるかな。

「いつか敦が、僕なんて必要としなくなって、ひとりで強く生きやがりますように」
「・・・・・わかってないなあ」

 そんな日は来ないし。
 来たって強く生きるなんかできないし。

 赤ちんを必要としなくなるおれになったのなら、それは多分、ただの限界だ。どうすることも出来なくなって行き詰っただけで、決して強くなった結果じゃないとそう思う。
 おれはずっとそう。むしろおれが強くなるよりも、赤ちんがもう少し弱くなってくれたらって思う。

 そうしたら共倒れでも何でもする。支えて欲しければ支えるし、踏み台が必要なら躊躇なくはいつくばるだろう、おれは。泣きたいなら抱きしめる、笑いたいなら渾身のギャグ、気晴らしをしたいのならそうだな、どこかにさらうだろう。
 それを必要としないくらいに赤ちんは強い。ぎりぎりで踏ん張れてしまう強いひとは強いからこそ、向けられる感情に愚鈍すぎる。

「くっきりと明るいの、もういっこみえないかなあ、ねえ敦――――・・・」

 願うどころじゃあないとしても、やさしいですように。やさしくありますように。
 腰に回した腕に僅かにちからを込める。赤ちんは何も言わない。おれから送られる体温の意味がどうでもいいんじゃない、理解できないんだ。わからないんだ。
 わかることがいけないと思っている、だから、もっともっとやさしく。

「みえたら、いいなあ・・・・」

 このばからしいところで一番ばかなこのひとが、赤ちんがもっともっと。理解して、知って、それを良しとして。好意とかやさしさを甘んじてではなく、当然として受け入れられるようになれますように。

「・・・・・・・何を願おうかなあ」

 赤ちん自身にやさしくなれますように。



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