いちばん知ってる。なんでも知ってる。
 なあんてぜんぶ、傲慢だったのです。とか。

「ゆえにだよ室ちんおれはさーつまりはね、こどもだったんだよ。ああ今も餓鬼っぽい自覚は大有りですことよ。・・・・ん、だけど、ね」

 シュートフォームを確認していた室ちんは、体育館の隅っこでだらりと四肢を伸ばしているおれを苦笑気味に振り返りながら、うん、とだけ頷く。なめたこと言ってるとぶち切れてそれはもう酷いことになる室ちんは、普段はべつじんみたいにおだやかなのだ。

「じぶんのことわっかんないくせに、君の事をわかってるーなんてさ、やっぱりさ、ドラマの中だけなんだよね。や、ドラマちゃんとみたことないけど」

 わかってる。知ってる。理解してる。とか言っちゃって、そんなの傲慢もいいところだ。

 だと言うのに室ちんは、おれのそんなものばかりできれいにコーティングされたそれらを聞いてなお、しらりとしたまままたボールを構えている。きれいなシュートフォームに狂いはない。才能じゃなくて、ぜんぶ努力なのさと彼は自嘲さえ通り越してなじるような調子で言ったけれど、努力したものを呼吸するようにくりだせるようになったらそれはもう才能だと思うわけだ。まあ、赤ちんの受け売りなんだけど。うざったいながらもそう思うものは思うのだからしかたない。

「アツシは、赤司くんのことをどう思っていたの」
「かみさまで、おれのすべて」

 息を吸うのさえ忘れて間髪居れずに即答すれば、切れ長のめをこれでもかと言うほどみひらいた室ちんがおれを振り返り、今度はそのまま凝視してくる。黒く透き通ったちいさめのひとみが焦点を外さないまま震えて、するりと、瞼が細まった。
 途端、湿気が喉にへばりついてくる。なんか室ちんおこってんじゃん、思ったおれの身体にかかるニュートンが更に増えた気がする。

「おれの世界」
「アツシ、」
「・・・・・だったんだよ」

 わざと過去形で締め括れば、言いかけたことばをのみこんじゃった室ちんが困ったように眉を寄せ、ついで、ぎらぎら光ってためから剣呑さをぜんぶ消し去ってまた穏やかを振舞った。べっとり張り付いている笑顔がいつ剥がれるもんかと思っているけれど、室ちんの余裕きどりは極限に切れたときでしか削れないっぽいと最近知ったので、できればおめにかかりたくはないもんだ。
 そんなおれの心境ってやつ、知ってか知らずかたん、てん、軽くバスケットボールを地面に打ち付けながら言いあぐねるようにして室ちんは唇を薄く開いたり閉じたりを繰り返して、やっぱり、困った顔。

「アツシは、・・・・もしかしたらきみたちは。赤司征十郎くんを区切っていたんじゃないだろうか。差別でなく、そうだね、区別をしていたんじゃないかなと思うんだけど。どうかな」

 どうだろ。はぐらかすようにしてわざと、声からちからを抜いて笑みをおりまぜる。瞼落として興味有りません、って。
 室ちんは気付いているだろうけど。

「赤ちんだから、ってのは、あったね。おれたちをまとめあげてたのはやっぱりあのひとだし、そゆとこ、確かにだてじゃないよ」
「それで、こどもって?」
「おれも赤ちんも、つうことだよ。今は知んないけどさ、少なくとも中学生の赤ちんはやっぱり、完全無欠の殿様僕様赤司様じゃなかったってこと」
「なに、それ」

 くすり、室ちんはわらう。何様のくだりが気に入ったらしい、数度もごもごとくちのなかで反芻しながら今度は強めにドリブル。ダムダムダム、規則的に、丸い球体が重さのまま地面にぶつかる鈍い音が響く。体育館の床をダイレクトに揺さぶるその音は跳ねっかえっておれの耳に飛び込んできて、振動が静かに肩甲骨に染み入った。
 ダムダムダム。ダンダンダン。きっと指がしなって、ボールに吸い付くようにして。そんで多分この音が途切れた頃、室ちんはゴールまでの空間をふうっと泳ぐ。

 それはとても安易にわかることだった、だれでも。おれでなくても。案外おれでなくても大丈夫なことってたくさんある。紫原敦でいることができる誰かが存在するのなら、どうしても今ここでねころがってぶら下がるライトの光をぼんやり見上げているおれでなくてもいいんだ。ろう。

「なあ室ちん知ってる?赤ちんってさ、勝つことが絶対なんだ」

 へえ、そう。

 底冷えしためがちらり、おれを見た。ぞくっとするくらいに冷えために過ぎったのは、ぐっちゃぐちゃに煮詰められた室ちんのきたないところ。おれを殴り飛ばしたあの時に、ちょっとだけ垣間見えた室ちんの激しいどこか。それが冷え切り凝り固まったいろをして瞳の底に居座っているのが、見えた。見えてしまった。
 あらかた、なにそれむかつくんだけど、とか思っているに違いない、けれどそれには気がつかなかったことにしてごまかすように頭上に掌を突き出す。我ながらばかみたいにでっかい手が額に影を落として、ゆら、ゆら、と揺れていた。固定する気がないから、だろうけど。

 室ちんは何も言わない。機械的に練習を重ねながら、時たま、おれのことばに応じるだけ。いい感じに集中してきてるから、そろそろ反応もしてくれなくなるころだろう。

「室ちん、おれ」
「うん?」
「知ってた気がしただけだったんだ」
「そんなもんだろ」

 ダム。

「そうかな」
「さあ。中学時代のアツシを、おれは知らないから」

 すきだったんじゃないだろうか、と、気付いたのは最近だ。おれ、もしかしたら赤ちんのこと、そう言う意味ですきだったんじゃないだろうか。

 めちゃくちゃに集中しているときにくちびるを尖らせる、ボールペンを握ると思わずカチカチうるさくしてしまう、苛立ったときにめを細める、うれしいときは視線を斜め下にぱたりと落として、ふうん、とひとこと言うだけ。自分の優先順位が恐ろしく地を這ってる、どこか不器用なまま傲慢不遜に完成した性格。
 赤ちんの癖とか、かたちづくるものとか。ひっくるめて知ってたのは多分、うん、すきだったんじゃないだろうか。

 最近気付いた。
 あっそうか、みたいな、難解なロジックの答えがいとも簡単にみつかったようなすっきりした感覚がすうと軌道を抜けて、静かに納得した。
 赤ちんがすきだった。もしかしたら、今も。

「・・・・・言っとけばよかった」
「すきだって?」

 お見通しといわんばかり、くすくすわらってる真っ黒の後頭部にそこらに転がっていたバスケットボールを投げつける。でもやっぱりと言うか、たやすくさけられてしまった。ああもう、うざい。

「んーん。替えはきかないんだよって、赤ちんは誰にも成り代われないんだよって」
「そんな」
「そんなことさえ。わかんなかったんだよね、あのあほばかしくんはさ」

 遮って言えば、あほばかし、変な所につっかかっちゃった室ちんが身体を揺する。さっきまで飽きないのか心底疑問に思うくらいボールと戯れ続けていた指先をたらんと脇に垂らしたまま、室ちんは練習をやめたらしい、近付いてきておれの隣に腰掛ける。よいしょ、とかわざとらしく言いながら。
 うざい。軽く脇腹をはたいてみたけれど、やっぱり年上。けろりとしたまま室ちんはわらう。

 知ってたけれど、すべてじゃなかったんだなあと知ったのも最近だ。

 赤ちん今なにしてんだろ、それが全く検討がつかない。おいしそうなものを見つけたって、何がすきで何がきらいだったのか、それさえ知らなかったんだって知る。
 そんで酷く、むなしくなる。だってさ、誰かをつくるのってさ、そう言うどうでもいいことが基盤になってると思うから。

「でもわかってなかったのはおれなんだよ。何も知らなかった」

 掌全部でめを覆った。当たり前だけど視界が遮られて何も見えない、宇宙にひとりきりになった気分だ。ちかちか散る光も手伝って。
 でもそれは一瞬の疑似体験で、すぐに室ちんに引き剥がされてしまった。仕方なく眩しさに耐えながら瞼を引き上げれば、困った顔して眦を下げた室ちんがいっぱいに広がる。

「だったら知ればいいよ」

 困った顔のまま。
 もしかしたら自分への呟きかもしれないけれど。室ちんは繰り返す。

「今からたくさん知ればいいよ」

 ぜろから知れるって結構無敵だよ、と。室ちんは困った顔のまま口角を緩めて、ちいさく、淡く、わらってる。下から見上げる顔ははじめて見るいろをして、そして少しだけ、こどもっぽいなと思った。
 知らなかった。

「赤ちんはどう、・・・・思うんだろ」
「それこそおれは知らないよ」

 言いながら立ち上がった室ちんが、またボールを手にとって歩いてく。なんだ休憩だったのか、と、思ったのもつかのままた機械的に繰り返されるシュート、シュートシュート。シュパ、音は弾むように軽やか。

「何も知らなかったんだあ」
「それに気付けてよかったじゃない」
「すきだったのかも、しれない。すきなのかもしれない」
「差別はないな。それに、まだ手遅れじゃあないと思うよ」
「ポジティブだー・・・」
「そうじゃないとやってられないし、」

 ドリブル、シュート。計算しつくされた流麗な動き。はたから見ればたやすいそれも、室ちんにとってはぎりぎりで掴み取った武器なんだろう。
 きっと同じチームじゃなきゃ知らなかったたくさんのこと。今更それを、そんなのを、赤ちんのそんなものぜんぶを、知ろうとしたって遅くはないのかな。ぜんぶ知ってる、なんでも知ってる、こどもっぽい思考ぜんぶが驕りだったからこそ。

「京都旅行、行って来ればいいんだろ、つまり。ヤツハシ美味しいよ」
「発音、変ー」

 くすくすわらう室ちんを眺めながら、さっそく料金の計算を始めているおれもおれなのかもしれないけれど。だって仕方ない、頭脳労働はそもそも専門外だし。
 だからもう、逢って、話して、ぜんぶぶちまけちゃおう。考えるのは赤ちんの仕事だ。

「アツシ、過去形で自己暗示に掛けても、感情ってそう簡単には折り合いつかないよ。・・・・・ああそれと、お前も替えはきかないからね」

 驚き。室ちんが構える。流れるような腕の――――シュパ。

 どうやらおれは伝えられることのうれしさも、赤ちんに伝えないといけないらしい。



名無しの棘