逸らされるのは常である。

 いつもであり常時、よって常。赤司の悪癖とも呼べるだろう、唯一の彼に対する不満。非の打ち所の無い人間など存在しないのだろうが、赤司ほど非を指摘することを躊躇われる人間もまた珍しい。
 そんな彼であるけれど、唯一、蛍光マーカーでラインでも引きたいくらいには不満に思っている点がひとつ、ある。

「じゃあ、態度の可笑しな部員たちにはあとで僕から言っておくとして。そうだね、話は以上と言うことで」

 考え込むような表情と共に、頬に這わせていた指を引き剥がして赤司はちいさく頷いた。車道側、扉や通路側、意識してかどうかは知らないが、どうにも危険だと判断されることの多い場所に好んで陣取る赤司は今日もまた教室の扉に背中を預け、何やらクリップボードに挟み込まれた紙に書き込んでいる。表情も声も硬く、平坦だ。

 彼を畏れる人間は多い。彼自身がひとを従えることに何ら抵抗を抱いていないこともひとつの要因ではあるだろうがすべてではないのだ。
 表情や声、まとう雰囲気ごと、もしかしたら赤司征十郎と言う仰々しい名前。相乗効果、恐らくだが、赤司の本質を見抜いて畏怖の念を抱いている人間は少ないのではないかと最近思う――――本質も確かに怖い奴であるのだが。

 彼に見られた者は、見上げられたものは総じて言う。たとえ赤司の方がちいさくともすべからく評する。
 ことばのままの意味で、矢面に立たされているようだと。

「さぼってないと良いけれど。余計なことをしているのならば、メニュー追加は避けられないな。覚悟して遊んでいると評価してやろうじゃないか」
「随分と気合の入った息抜きだな・・・・まあどうせ、あいつ等に通常のメニューをあてがった所で足りるとは思えないしな。追加された所で屁でも無いだろう」
「一応今日はレギュラー、準レギュラーしか居ないからとこなす量を増やしたんだが?ふふ、参考までに聞いておこう。大体何倍が妥当だろうか」
「三から五、・・・・黒子と俺は一.五倍で頼む」
「ちゃっかりしてるね。ふ、良いよそれで。了解した。楽しみだね、どんな顔をして真太郎を見るんだろうかあいつ等は」
「・・・・本当に楽しんでるな」
「愉快だったらそりゃあね」

 視線が足首へ絡みついたのには気がつかないことにして、先導するように一瞬早く動き出して赤司を廊下へ促す。疑問すらも抱いていないんだろう、赤司はやはり硬質な表情のままするりと俺の前を通り過ぎ、そのまま半歩前を歩き始めた。
 俺たちにとっては適切な距離の取り方でも、一般生徒にはどうやら奇異の対象となるらしい。赤司が前を歩く、特に理由も無く決まっていた暗黙の了解も、傍から見れば小柄な彼が高身長ぞろいの軍団を従えているように映るらしかった。ただ、否定したことは無い。強ち間違っては居ないのもまた事実。
 赤司のひとことは重いのだ。

「どうしたとは聞かないよ。控えろとも言わない。ただ知っておけとだけ言おうか」
「知る、か」
「知るのさ、知るべきだ。だって僕等は中学生、身体も未発達の発展途上の肉体だし、いくら真太郎の背が高いと言えど身体つきは大人のそれとはやはり違う。治りがはやいからと言ってあまり痛めつけてはいけないよ」

 咎めるような響きを持った声が、それでも優しく耳を撫でるのを静かに受け入れた。やはり気付かれていた、と言う隠し切れなかった悔しさと、気付いてくれた、と目に入れられていたことに対する僅かな優越感がじわりと胸を満たす。矛盾が色鮮やかに、当然のように居座る俺の胸は酷く甘やかで。

「気をつけなよ、足首」

 そうして最後はからかうような調子で締め括られ、脹脛が軽くつまさきで小突かれる。彼らしくも無いおどけた動作は、もしかしたら――――心配から来る動揺なんだろうか、と、思うくらいは許されるだろうか。
 赤司の瞼が軽く落ちる。
 ああ、わらっているのか。気付くまでに数秒掛かり、気付いてからも数秒静止。ぴくり、指先が勝手に震えたことを自覚しながらもどうにも出来ない。

 息を。

 うわずった息を無理矢理吸い込んだとき、普段よりもいくばくか大袈裟な呼吸音が俺と赤司の間の距離を抜けて、瞬間魔法が解けたようにまた彼は表情を消す。意識して引き締められた顔は先程よりも平坦で、面のように感情の起伏が読み取れない。

「赤司、」

 言いながら覗き込んだ瞳がすいっと、右へおよいだ。紅赤の瞳がころりと転がって窓へ流れ、何の感慨も無く生い茂る緑の葉を見詰めている。
 否、恐らくその景色さえも網膜の上を無感動に滑っているに違いない。伸びた背筋に走る僅かな緊張を読み解くことさえ出来れば、その推測は簡単に付くのだった。

「・・・何だ」

 主将・赤司では無く、ただの赤司へと成り代わってしまった彼は途方に暮れたような顔をして軽く首を振る。振り返らない背中は静かな拒絶を語り、足取りは浮ついているくせにどこか重い。

「目を見ろ」
「・・・・・見ている」

 どこが、と、言う代わりに溜息をひとつ。

 目を逸らす。ひいては、赤司征十郎自身として他人と関わることを酷く厭うと言うこと。赤司の悪癖、だと勝手に思っている。
 別に嫌われているわけではないらしい。むしろ好かれているように思える、誤解でなければ。それこそ癖なのだろう、見下すことは容易だが見つめ返すことは困難、いつだったかそう聞いた。

 対等だと思えないらしい。
 自分ごときが――――赤司征十郎ごときが、お前たちと対等であることが許せない、と、他人の上に立つことに慣れきったそれは言う。
 すい、すい、赤い瞳がおよぐのはまるで金魚のようで美しいとは思うのだが、それとこれとは話は別で。見詰めたい訳ではない、覗き込みたい訳がない。ただ見返して欲しい、言うのに、未だにオフの赤司と目が合ったことは数えるほどしかないだろう。

 不器用でも、向けられる感情には返そうとする奴だ。本人もその悪癖じみた一種の習慣を負い目に感じていることを薄々気付いては、いる。

 けれど少しだけ、ずるいとも思うのだ。赤司は俺の足首の不調に気が付いたが、俺はきっと赤司が隠した場合彼の不調になど気付けないだろう。そうして赤司は痛みに耐えたまま、いつも通りの檄を飛ばす。
 見られていないからこそ、だとでも言うのか。

「見誤らない、とだけ言っておこう」
「うん?何がだ」
「お前が真正面から俺を見ずに、先へ先へと歩いているときの話だ」
「、はは」

 今の彼に常のような威圧感は見当たらない。ただ少しだけ困ったような笑顔を浮かべる、支配者ではない誰かだ。

「俺はお前を見ているぞ。後頭部でも背中でも、真正面では無いけれど。それでも裏側もお前だろう。違うとは言わせない――――そして俺はその赤司征十郎を見誤りなどしない」

 それは酷い口説き文句だ。
 弱弱しく、困ったように笑ったまま赤司は少しだけ首を傾ける。斜め下に落とされていた眼球がころりと転がり、上向いて。かするように一瞬。真正面から視線が絡む。逸らされるのは常であったはずなのに。
 擦り切れた笑みが、漏れた。
 対等な目線で一瞬覗いた赤司の瞳は何てことは無い、赤に濡れたひとりの少年の対の眼球。



ひとつふたつと知るにびの、