しることとわすれることは酷く似ていると最近思う。相対しているように居てちかく、とても遠い場所にあるようで居てその実、まわりまわって、隣に居座っている。
 すきの反対は無関心、赤ちんはそうやって難しいことをいったけれど、おれにとってすきの反対はどうしようもなくきらいだし、天と地がひっくり返っちゃって宇宙がひっくり返ってもきらいの反対はやっぱり、すき、なのだ。

 あなたをしることと、あなたをわすれることは、酷く似ていると最近思う。言えば、ばかみたいだとかれはわらうだろうし、いや、一生言うつもりもないのだからわらわれる可能性さえないに等しいのだけど、ああでもわらうんだろう。わらって、ばかだね、すきを落とすような声音で彼はそう言い、困ったように眉をさげておれをみる。きっと。
 紙飛行機をつくるよりもそれは簡単な作業。赤ちんは簡単に、鮮やかに、おれの胸の真ん中に息をふきかえす。いっそ息さえしないまま、するりと、あっけなく生き返る。生き返ったついでに起き上がって、やああつし、そうやって軽やかにわらう。赤ちんっておれにとってはそんなひと。

 おうさまだ、と誰かが言った。どくさいしゃって言うんだぜ、と誰かが訂正した。
 おれはそれをそっと包むようにして、言い含める。いんや、赤ちんは赤ちんだよ、とかなんとかを多分苦笑まじりに。

 だってたぶん、おれたちが思うくらいには彼はつよくない。そりゃあ、よわい人間にくらべればそりゃあもう自尊心あるし、ストイックだし、自分をおいつめるのがだいとくい。ただしそれがイコールでつよいとは限らないんだと、じわじわ知っていって、中学の終わりぐらいだったかな、にやっと結論づけた。赤ちんはよわくはないかわりにとくべつつよいわけでもない、そう言うひとだ、と。

 よわくはないからこそ、ぼろぼろでも、裸足の足の裏がきりきずまみれでも歩けるし、走れるし、立ち止まらない。そのくせ座る、後ずさり、逃げに打つ、なんて選択肢はコマンドに登録さえされてないんだから、まったくぶきようなやつだと思う。
 我慢強い、と言うのかもしれない。ただおれとしてはただただ、ぶきようにみえた。ぎりぎりのところでふんばれる脚力があるだけで、いっつも足元は宙ぶらりんで下は奈落、そういうひと。だからストイック。だからよわくない。でもだから、つよくなれない。矛盾の、ある意味でいておうさま。
 そんなひとをしるたびおれは、おれを叱り飛ばしていたかれをわすれた。眉をきりきり吊り上げて、腹のそこからこえ出して怒鳴り散らして、でも冷静に指示をとばす。主将。おれたちのカリスマ赤司征十郎。を、だんだんとわすれてしまった。思い出そうにもこえとか、そのときのひょうじょうとかしぐさ、何かがかならず欠落していて、完全にとはいえない。

 赤ちんをしることと、赤ちんをわすれることは酷く似ている。どうしようもないくらいに、たぶん、赤ちんのなかにはふたりのもしかしたらそれ以上の、人間が棲んでいる。誰だってそうだろうけど、かれの場合はそれが顕著すぎる。
 まるでべつじんであり、恐らくべつじん。赤司征十郎。

「それで、そんなことを、ずうっと考えていたわけだ、敦は」
「そうだよ」

 しることとわすれること、のくだりだけをきれいにすっぽ抜いて、懺悔でもするようにあらいざらい話しつくしたおれはひとり満足、おいしいお茶をずるりとすする。赤ちんはといえば、正座をするおれのまえに腕を組んで仁王立ちをして、困ったように眉を下げている。どうしようかなとまよってるときの赤ちんの顔だ。怒りにすっころぶときもあれば、機嫌よく鼻歌を歌いだすこともある、かれの機嫌の分岐点。
 でも今日はおこることだけはないんだろうなあと、それだけはぼんやりとだが直感した。末端から広がっていくようなとげとげしさとか、あらあらしさだとか、くすんだ空気が今は一切感じられないから。穏やかなのだ。本当に困っているだけ、そう言うかんじ。

「ぼくの中に居るのが、ぼくだけではないと」
「いや、ちょっとちがうね。赤ちんは赤ちんだけど、何か、こう、誤差があるよねってだけ」
「――――誤差なら測定ミスの範囲内だろ」
「実験じゃあないんだから」

 どうにも自分をただの人間とならべたがらない、いっそならべるのが自分の慢心だとさえ思っていそうなかれは今度は片眉をあげ、ちょっとだけしらけたような顔をする。これも知ってる、ばつが悪いときの顔。確かにとみとめたいけど、でもちょっとやだなあ、そう言う赤ちん。
 かがみこんで机の上に乱暴にころがっている、取り皿もなにもないまま白い粉をまきちらす豆大福を手にとってくちもとに運びながら、ちょっとだけ首を傾げた赤ちんが、探るようにおれのめをのぞきこんだ。何もたくらんでないよと言う代わりにかるくわらってみる。あずきついてる、ぼそりと赤ちんは言った。

「きゃあ、格好つかないじゃん」
「なにその奇声、大男が。良いからさっさとどうにかしなよ」
「もう舌で回収したよ」

 そう言い、おどけた仕草で肩をすくめてみせれば、きゃらりと軽く密やかに赤ちんはわらいごえをあげた。目を細めて、おかしくてたまらないってかおしながら、指先でくちもとをおおうようにして息をこぼす。ちょっとだけ変わってる、と思う、わらいかた。
 知り合った当初は、こんなわらいかたをするひとだとはみじんも思っていなかった。知ってからも、シニカルだったりヒールっぽかったり、そっちのほうがだんぜん似合うと信じて疑っていなかったし、まるでおんなのこのようにも見えるわらいかたをなよっちいなあとか、思ったものだ。今はまったく思わないけれど。かれのひとがらからすれば、とても滑らかに打ち出される極当然のわらいかただと思っているし。

 あいたいなあと思うようになったのはいつからだったっけ。

 卒業式に、涙を流す彼をみた。冷血、いっそ鉄が流れている、血も涙もない恐怖政治を敷いたひとを従えることに全く疑問を抱かない、ひとのうえに立ってとうぜん、赤司征十郎が。最強の主将が。
 ひとり、教室のすみっこで、ぼおっと窓の外をみながら席に座って泣いていた。廊下側のいちばんまえ、出席番号一番のごくありふれた席で、ごくありふれていない赤司征十郎が、ありふれた感情のままにないていた。ひとりで。
 むらさきばら。その頃はたしか、名字で呼ばれていたからそんなふうに、ぽつりとかれは呟いたと思う。どうしたの、とでも続けようとしたんだろう音が最初のことばすら形作らずに崩れて、涙に溶けてそのまま嗚咽になっても、おれは呆然と教室のいりぐちでたちつくしていた。今ならたとえば頭をなでるとか無理矢理にでもだきしめるとか、そう言うのしたんだろうけれど、当時十五歳だったおれに何が出来たわけでもなく。
 ただ、呆然と立ち尽くしていた。電撃。いなずま。何かぴりぴりする雷的なものにうちぬかれながら、ぼおっと。

  さびしいんだ

 と、彼は言った。自然に、つらりと、友人でも相手にするような気楽さでちいさく。どうしてと問い返したおれの声は確かひっくりかえってて、そりゃあもう滑稽なことになっていたはずだ。それでも赤ちんは気にもとめず、さびしい、と繰り返した。
 さびしいと思うひとなんだ。まず、それだけを噛み締めてうなずいた。三年間一緒に居て、いちおう、なかよしのポジションを確立しながら全く気付いていなかった。
 生理的にしか泣かないひとだと、今思えば酷いはなしだけどそんなふうに、思ってた。信じてたし、疑問を抱く余地さえも。

  もうばらばらだけど、もうもどらないことはしってたけれど、卒業ってそんなものひっくるめて、終わりでしょう。それがわけもなく、きっとあるんだろうけど解らなくて・・・・ただ、さびしい

 机の上にぎゅうっと握ったてを置いて、卒業証書をごろんと床に転がして。胸に刺さった造花はなくなっている。

 後からしったことだけれど、赤ちんは意外となきむしでさびしがりで、卒業式という特殊な場面で泣いていたのはかれにしてみれば全くおかしくなんてない出来事なんだけれども、そのときのおれにはとても衝撃だったのだ。泣いている、とか、さびしいんだ、とか、ひとなみのありふれた感情を吐露するかれがはじめてみるひとのようで。しらないひとと、はじめましての挨拶をする緊張が身体を走ったくらいで。
 それくらいには意外だった。かれの性格から考えるに、そんなこと思われるなんてつゆほども予測していなかったのだろうけど。

 さようなら赤司征十郎。そしてこんにちは赤司征十郎。ニュータイプ赤ちんは、きれいな涙をはらはら流し、さびしいと繰り返す。そんなひとでした、まる、エンドとタイピング。そういうはなし。ありふれていないけれどあってもおかしくはない、そう言うはなしのなか、多分異質だなあと思うのがおれ――――そう、おれだ。
 護りたいなあと思ったのが最初。男相手に、護りたいだってさ、そうやって自分で笑った。でもうつむけられている顔、頭に張り付いているつむじを見下ろしてたら居てもたっても居られなくなって、ばかなことに造花を差し出した。どうぞ、姫。騎士でも気取ればわらってくれたんだろうか。
 まあおれもぶきようだらけで、テンパったまま差し出した造花は赤ちんのてのひらにおさまったのだからよし、何だろう。ぽろっぽろ泣いていたかれは驚いたように目を見開いて、静止して、勢いのまま受け取った造花を困ったように見下ろして、にこりと。
 わらった。
 その日、電撃といなずまが走ったのは二度目のことだった。

「まあ自分でも、二面性が激しい部分があると言う自覚はある」
「自覚だけはね」
「残念ながら否定の難しい合いの手だな、・・・そうだよ、自覚だけはある」
「理解は出来ないんだ」
「かしこくなったね敦。かしこいこはすきだよ。ばかな敦もすきだけど」
「ばかじゃないってば、赤ちん」

 非難気味に声を荒げれば、良く似合う笑顔、つまりヒールっぽく、赤ちんは口角を歪め片眉をつりあげる。でもくちのまわりは残念ながら豆大福のまっしろけの粉で酷いことになってるぜ赤ちん。言わないのはやさしさだ。

「理解はしてる。自覚はしてない。お前はそんな感じだね」
「何がさ」

 気付いたんだろう、ぱたぱたと口をはたきながら赤ちんはおれがしたのと良く似たような、おどけた仕草で肩をすくめて首を振る。やれやれこのこは、とお母さんスタンス。残念ながら赤ちんは一番抜けてるお父さんポジションだということをここに断っておこう。言わないのはやさしさだよ、これ。ちなみにおれは意外にも長男ポジションだ。これは自慢。

「言ってあげない」

 赤ちんは悪戯っぽく片目をつむった。とりあえず左足をひきずって畳の上に転がせば、きゃあきゃあ大げさに騒ぎながら赤ちんは露骨にいやそうな表情をはりつけてあばれる。押さえ込むのも面倒でふとんをかれの顔に落としながら、おれもおれでたのしくなってきてけらけらわらった。
 全面和室の部屋は、おれのしっている限り赤ちんの部屋だけだ。畳のにおいはかれの家で初めてかいだ。

 さびしいと、あの日、ひとり夕暮れにおぼれながら、赤ちんは喘ぐように繰り返した。打ち上げられたさかななんてもんじゃない、肺をひきずりだされたように、喘いでいた。呼吸という概念ごとなくしてそれでもくちをあけてはくはくと、息を吸っていた。そういう痛ましさがあった。

  永遠がない。それがさびしい。こどもみたいだよ――――ぼくはまるでこどもだけど

 悔しさの方が強かったかな。くちびるを噛み締めて言ってたひと。さびしいといいながら、悔しさをまきちらしてたひと。
 おれは何と、こたえたっけ。

「赤ちん、どうだった?」
「ぼくがないていたという、ぼくが一番嫌がりそうなはなしをぼくに問うのか、きちくが」
「隠れどえす、みたいなー?」
「おまえに与えられる痛みなら甘んじて受け入れようじゃないか。倍にして噛み付き返してやるけどね」
「赤ちん、赤ちんそれ、受け入れられてないってば」

 ふとんに顔をつっこんで、もごもぐやりながら魔王きどりさまが自身満々に言うことばにつっこみを入れながら大福にかじりつく。

「や、それで、なんてったっけ」

 わすれた赤ちんの数をかぞえようとして、やめた。忘れてるのに数えるのはふもうだし、だいいち思い出せないし。どうひっくりかえろうとおれが赤ちんをすきなことが不変で、無関心どころか関心よせまくっちゃってるからもうそれでいい。
 どうしようもなくあいたくなる瞬間がある。基本的にあいたいけれど、それさえ飛び越えて居てもたっても居られない、とき。そういうときってたいてい赤ちんは落ち込んでるから、おれも遠慮せず本能のままに家を飛び出す。家って言うよりも県。壮大なお邪魔しますで府にのりこむ。室ちんは赤司くんレーダーと銘打ったおれの直感はだてじゃない。

「“じゃあもらってあげる”」
「・・・・・・はあ?」
「はあ、ってなんだよ、はあって。おまえが言ったんだろ。じゃあ赤ちんの一瞬はぜんぶ、おれがもらってあげる。そしたら、そうしたらさ、」

  残るのは、永遠だけでしょ

 あーそんなこと、確か言った気がする。くさいどころの話じゃない。腐臭とかそんなレベルじゃなくくさい。でもそれでも、さびしいと繰り返してた赤ちんが思わず噴出したんだから、もうそれでいいやと思っているのだが。いや、正しくはいたのだが、だ。都合よく記憶から抹消していたのに思い出してしまった。しかもかんじんの赤ちんは覚えている。恥ずかしいとかそう言う話にもならない、騒ぎ以上。

「昨日も明日も残ったまんまだってえのに」
「え、そういう問題?」
「そう言う問題。――――ま、卒業式の前日だっておまえと居たし、昨日は回収済みか。で、肝心の明日のわけだけどあつしくん」
「なあに、せいじゅうろうくん」

 もちろん。語尾をやや強くして、ふとんと戯れるというどうあがいてもファンシーな体勢のままヒール気取りに、シニカルに、赤ちんは口角を歪める。

「もちろん、もらってくれるんでしょう。ぼくの永遠の為に」
「・・・・ちくしょう棄てちまえ」

 わざと吐き捨てるように言えば、きゃらり、くちもとを覆って赤ちんはわらい、悪くないねとかほざくもんだから、こんなひとしらないし、とかそりゃあなる。
 それでもよわいひとだとしってしまったから、自然、支えてしまうのは自然すぎて、知らぬ間に調教されたとしか思えない。それでももうだいすきだから、しってわすれる、そういうサイクルを、延々、続けていくことは目に見えていて、そんで。

「おまえ、拾うくせにね」

 そんでその通りのことを自信満々にのたまうもんだから!



放り棄てた永遠



すてきな紫と赤企画、不器用な獣たちさまに提出させて頂きました。有難う御座いました