突き抜けるような真っ青に後頭部を預けて、入道雲を振り仰いで居た黄瀬はどこか寂しげで霞みそうで、瞳のなかに青をくゆらせてはまばたきで振り払っている。
 空の端は黒く染まり、きっと雨が降るのだろう空気は重く湿って湿気にまみれている。どこか生臭さの漂う、雨特有の鼻を突くにおいにおもわず顔をしかめて鼻を覆った。重量の有る風に混じるにおいは、ただただ純粋に不快だ。
 黄瀬は、そんな中に身体ごと浸すようにしてひとりきり、空を仰いで目を細めて居る。

 一歩脚を出せばコンクリートの上、まばらに散らばる砂利を踏みつけた靴底からじゃり、と音がする。それにつられたんだろう、顔を上げた黄瀬は無表情を塗りたくった顔で僕を見上げ、静かに首を傾げた。
 そのまま数秒。
 静かに、見つめ合う。
 直に腰を落とし、仰け反る身体を腕で支えた黄瀬の頭の位置は低く、自然立つ僕を見上げる状態になる。普段なら見上げる顔を見下ろす、よろこぶべきところだろうが今日ばかりはそんな気になれず、僕もまた無感動に、彼を見下ろすだけだった。
 けれども突然に、色素の薄いひとみが揺らいだ。
 僕は、

「どーしたんスか、赤司っち!」

 静かに目を見開き、そのまま顔をほころばせる。嬉しそうなのにどこか痛みを堪えるようでもある笑顔は、肝心なところが笑みになりきらないまま中途半端に彼に張り付いていた。
 振り払う訳でも、なく。本当に無感動に黄瀬は、笑みを。
 浮かべ、流す。

 笑顔だけが異常だった。取って付けたような愛想だけが、ばかみたいに見える。
 けれど次いで浮かんだのは、シニカルな笑みだ。

「――――めっずらシィ」

 びょう、と風が吹く。

「・・・そう」

 唸り声を上げながら吹き荒ぶ風は髪を撫で上げ、涼太の脇に転がっていたスナック菓子の袋を飛ばして行く。涼太は嫌がるようにして目を伏せ、僕は――――僕も、風を追うように顔を上げたまま目を閉じた。
 びょう、と風が吹く。青空を背負ったままふたたび目を開き、彼を見下ろす。
 振り返ることはない。ただ、いつの間に目を開けたんだろう。
 涼太はただ目前のフェンスを、もしくはその向こうの何かを、やはり感情の読み取りづらい暖かみの希薄さを保ったまま眺めていた。

「黄瀬」

 薄く笑み、あえて名でなく姓を呼んだ。

「お前最近練習の量、」

 また、黄瀬は静かに視線を落とす。そのまま俯いてしまうのではないかとさえ、思う。
 けれども黄瀬は。

「減ったな」

 静かにわらった。ちいさなこどもに笑いかけでもしているような穏やかさをのまま、わらう、わらう。
 わらったまま、後頭部から倒れ込むようにして顔を上げて、はは、へたな誤魔化しみたいに笑い声を上げて見せて。
 ひきつれた声だった。

「わっかんないんスよ」

 何故だろう、頭の中に浮かんだのはもう向かい合うことのないだろうあいつらで、最後に勝利と共に肩をたたきあったのはいつだったか。

「努力ってさ」

 トリプルスコアが当たり前。そう決めたのは僕だし、あいつらもきついとかたちばかりは口にしつつノルマ20点を消化していた。
 そう言えば黄瀬だけか。ノルマ20点を嫌がり、消化出来なかったのは。黄瀬だけが違和感を抱き、もしかしたらテツヤよりも先におかしさを指摘していた。

 いちばん最近の試合、確か128対56で、帝光の圧勝。

「もう必要ないでしょ」

 青空ばかりが変わらずうつくしい。ばさり、羽を開いた鳥が羽を広げ彼方へと数羽連なり飛んでいく。溶け込むそれらの軌道を追う黄瀬の白い喉をみつめて、

「黄瀬」

 つまらなさそうな顔をした黄瀬は振り向き、振り向いて――――静かに驚愕を浮かべた。
 僕の頬に、いや正しくは目だろうか、に注がれる視線。

「涼太僕が」

 言葉尻が割り込んだ放送に浚われる。光化学スモッグを知らせる女性の声はいやににこやかなのに、どこまでも無機質だった。無感動で、無機質で、そうして無関係を主張したがるように笑顔で以外をはねのける。黄瀬みたいな、見知らぬ女性の柔らかさまみれの声。

「・・・・・終わりだ」

 左目からばたばたと、感情すべてをぐちゃぐちゃに混ぜた何かが流れ落ちる。
 びょう、風が五月蝿い。

「終わりにしよう」

 静かに唇を開く僕を少しだけ、目を見開いた黄瀬が見上げている。頭の中に渦巻くのはなんだろう、黄瀬は僕をはかりかねて、理解しようと何かを考えている。手に取るようにそれが解った。
 ただ黄瀬、駄目だ。お前は賢いから。

「思考するな」

 静かに息を呑む、音がした。それと比例するように少しずつ、割れるようにして黄瀬は顔をほころばせていく。
 雷雲はもうすぐそこまで迫り、ごろり、猫が喉を鳴らすように鈍い音を抱えて。

「やめよう、黄瀬。」

 今にも雨が落ちてきそうな空だった。

「もう無理だろう。だから、もうやめよう。今から僕は、僕とお前は、チームじゃない。ただの勝利の為の協力者だ。あいつらも含めて、ね」

 いや、降るのだろう。空気の重さはピークに達し、生臭いにおいもきつくなっている。

「涼太」

 主将としては、慣れ合わないようにと口に出したことはない名をわざと今、主将として話す今、声に出す。座り込んでいる彼にてのひらを差しだし、立つように、と顎をしゃくった。呆然としていた彼が状況を飲み込めていないまま数度まばたきを繰り返すから、示すようにてのひらを降ってみせた。そうすると涼太は慌てて僕のてのひらを掴み、やっと立ち上がった。
 礼と共に離れようとする手首を拘束し、引き寄せる。呼吸を上擦らせる黄瀬にはわざと気づかないふりをして、鼻が擦れ合うほど近い距離でばたばたとばたばたと涙を流したまま僕は、笑う。

「ごめんね、何も出来なくて」

 テツヤの様子が最近おかしい。思いつめたようにうつむくことが多々あるし、伺うように僕を見てはあぐねるように何かを握りつぶす。大輝のせいだろうとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。恐らく黄瀬と似たような悩みだろう。
 真太郎があまり笑わなくなった。お前のぶんのラッキーアイテムなのだよとかなんとか言いながら差し出される意味不明のものが、ぱたりと寄越されなくなった。百発百中になったらとそう、戯れのように呟いたことばが本当になってからは、ただただ技を磨くだけで。からかわれれば大声を張り上げて、そのあと、ばつが悪そうに眼鏡のフレームをいじる。そんな彼を見なくなった。
 大輝は言わずもがな。敦も、彼と似たような状態だ。バスケへの興味が薄まったように見せかけ、遠ざけ、無気力。義務をこなすだけ。娯楽性さえ見いだしていない。

「赤司、っちおれ」
「ごめん」

 ふたたび繋ぐことは困難だ。もう、チームとして確立することは難しく、否、無理だろう。
 ごろりと遠い雷はたしか、そのまま遠雷と呼ぶのだったか。

「・・・・・・涼太は練習、出なよ」

 突き飛ばすようにして離れる。うス、ちいさく呟いた彼は、諦めを織り交ぜたままそれでも鮮やかに、晴れやかに、久しぶりだろう満面の笑みを浮かべた。暗いながらもひとみは輝く。きらきらと発光している。
 僕のだいすきなキセキたちはもしかしたらとっくに居ないのかもしれないとは思っていた。気付いていた。離れていくのを見ていたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 鳥が雷鳴につっこんでいく。ちいさく聞こえたのは鳴き声だろうか。

「また1on1、しようよ赤司っち」

 涼太はわらう。



Mr.Jは喘がない




Thanks:通行人Tの蛮行