ワード:ジグザグ


「美しさの定義っていまいち曖昧だよね」

 太股の前、組み合わせた掌を無感動に見下ろしながら、涼太はどこか投げやりにそう言った。自棄とはすこし違うけれど、どうでもいいとでも言いたげに伏せられた瞼のおくのひとみは乾き、いつもなら中身全部がラメなんじゃないかとおもうほどきらきら騒がしい目が、つるりと、静かだ。

 自分が表紙に映る雑誌を机の上、意味もなくぶちまけた涼太はやっぱり無感動なまま、興味もなさそうにページをめくった。

 一面に、真っ黒のパーカー。裏地はショッキングピンク。ジーンズとハイカットブーツを履いているが、推したいのはパーカーなのだろう。涼太は裏地を見せ付けるようにパーカーの前を開き斜め下に視線を下げ、腰に体重を掛けて立っている。
 男の僕から見ても整っている部類の顔の造形だし、身体のパーツも均整が取れている。高い位置にある腰から伸びる脚はすらりと長いが筋肉で被われ、折れそうに細いというよりは引き締まっている、が近いだろう。

 身体に掛かる文字はフォントが凝っていて、キャッチーな台詞が踊っている。涼太は文字を端からなぞり、つう、最後無意味につけられた星を囲み冷めた目で見下ろした。

「美しさの定義。さて、それはどういう意味で」
「例えばオレっスね」

 ぴ、指先で自分の顎を――――ひいては顔を指し示し、どこかからっぽにへらりと笑う。

「オレのどこが良いって言うのか、どんだけ説明されても未だにわかんねえもん。赤司っちの方が美しいっスよお、どうせなら」
「どうせって何だ、どうせって」
「ことばの選択ミス!あは、ゆるしてちょうだい、っス」

 ふと、するりと、納得する。ページでもめくるような気安さで気付く。
 そうか、涼太は自分のことがきらいなのか。カメラの前でつくられた黄瀬涼太を厭うているのか。
 誰何にも似た問いかけをしたくなる、といつだったか聞いた。その延長なのか。と、簡単に答えが出てしまうくらいの簡単なこと。

「お前はきらいかもしれないがな、」

 何がとは言わず、思考の続きのままそう言う。涼太は問い返すこともなく、ただ静かにこちらを見ただけだった。聡い奴なのだ、騒ぎ立てて周りを引っ掻き回すかのような天真爛漫さだって嘘ではないのだろうが、挑発的でどことなく一歩引いたようなところがあるのだって一面だろう。人間なんてそんなものだ。多面的にややこしく出来ている。
 裏表のない人間、なんて、居る筈がないのだから。そんなもの表だけ、裏だけ、一面しか見せることの出来ないただの不器用だ。

 故に。

「僕はすきだぞ」

 それもまた一面であり、事実には違いがないと僕は思うのだが、目を見開き息を呑む涼太は驚き飽きた頃にちいさくともわらってくれるだろうか。思って口角を注視する。彼は困ったように眉を寄せ涼太は雑誌のページを意味もなく一枚めくり、そうしてすうと目を細め。




エンドレス・レス


 声は酷く甘い。

「なあ真太郎、世界の終わりって何だと思う?」

 とびきりに甘く、そして柔らかい。そのくせ、愛でも説くかのような傲慢さを確かに内包している。驕りまみれの自尊心に彩られたいびつなカラフルは鼓膜に突き刺さり、そのままうるさく騒ぎ立てる。
 赤司は渡り廊下の先で両手を広げ、未だ踏み込んですら居ない俺を柔和な笑顔で貫いていた。

「宇宙、地球やいきもの、そんなものはどうでもいいさ」

 どうでもいい。
 ものなのだろうか、赤司が切り捨てたそれらは。解らないほど思考が鈍る、視界が揺らぐ、ちらつく赤が陽炎のようにつかみどころなく霞んでいく。
 赤司、開いた口を塞ぐように飛び込んできた声を俺は飲み込むしか出来なくて。

「世界一択の終わりのはなしをしようじゃないか」

 宇宙ではない、地球でもない、だったら世界とは何なのだろう。赤司の口振りからすればただ単に国を指すことではないようであるし、もしそんなことを言おうものなら鼻で笑われるに違いない。真太郎お前は真面目だね、嘲笑を実に解りやすく貼り付けて笑まれるに違いない。
 現実主義者のはずの、実力主義者のはずの赤司征十郎は、ときたま酷く夢想家じみたことばを吐く。

「お前の世界はなんだい、真太郎・・・・・ちなみにね、テツヤと大輝はバスケだと即答しやがったよ。似たもの同士め」

 陽炎か、赤司か。解らないそいつはひらいていた両手を脇に垂れ下げてきれいに表情を消し去って、人形じみた無表情に戻ってしまった。
 さっきまでの笑顔が嘘のよう、感情すら読めない何もない顔。
 静かに赤司は俺を眺めて、いた。

「視界だ」
「それは――――どう言う?」

 一歩、渡り廊下に踏み込む。常に日陰となっている短いコンクリートの通路の空気はどこか重く淀んでいる気がして、そんなことが有り得るはずがないのに肺が重い。

「目に映る総てだ。試合中ならば、その試合が。授業中ならば、クラスと言うその一枠が。ちいさいか?・・・だが世界だ」

 織り交ぜた意味に気付いているのか居ないのか、どうしようもなく遠い三.五メートル先の赤司が鈍く笑む。
 きこえないよ。声がした。
 気がした。

「みえているもの、ね」

 だから今は、お前が世界の総てだ。そんな台詞を口にするつもりはないし、したところで届かないだろう。意味がないのではない、そもそも伝わらないのだ。
 赤司は好意には愚鈍だと思われがちである。確かにそれは事実だろうが、総てが本当ではない。赤司は意識して、否無意識下でも、好意をみないふりをする。聞かず気付かず見なかったことにして、消す。敵意にはすぐに反応するのにだ。

 ただ薄情だとは、思えなかった。

「お前の世界はだったらどうなんだ、赤司」

 一息と置かず。
 ひとつ、ちいさくまばたきを落とした赤司は。

「お前たち」

 至極当然と言わんばかりの、いっそ呆れている風でもある声で静かに答えた。なんで知らないんだとでも言いたげな不満げな雰囲気でさえあるのだから。
 キセキの世代とは言わない。これは無意識だろう、無意識に自分を除外した。

 何度でも繰り返してやろう。
 赤司征十郎は世界に自分を組み込んでいない。この異質さを。

「・・・・だとして、終わりとは」

 ゆるり。
 そうとしか表現できない柔らかさで滑るように腕を組み、困ったように眉を寄せて。赤司は口角を僅かに上げた。呆れを含んだ声だった。

「お前達が僕の手元から離れるいつかさ」

 そのとき僕の世界が終わるんだ。

 当然、そう言った響きを持つ声が何故かそれを期待するような調子で弾むのを聞きながら、俯く。視界が狭まる。頭の芯が鈍く痛んだ。




バイバイゲーム


 ぎし。揺れるブランコが立てた音は、思った以上に錆びていた。

 空の鈍色は重く、垂れる雲はくすんだ色をしてあたりは薄暗い。完膚なきまでの曇天、湿った空気は雨の兆しを知らせる癖、もったいぶるように風だけを運ぶ。
 全部剥がしたくて地面を蹴った。ぐうん、持ち上がった身体は重力に呼び戻されるけれど、それすら無視して前方斜め上へ。流れる景色の色もやっぱり薄く、映るのは黒と白と灰色と、かたちばかりに植えられた針葉樹、塗料のはげかけた遊具たちばかり。公園の入口に陣取る、確かヤマモモと言っただろうか、その木の実は有る時期にいっせいに地面へと降り、ぶざまな姿を晒した筈だ。潰れた赤がどうしてかにがてだったからこそ覚えている。

 そんな思いを全部連れて、それを全部、揺さぶった。ぐらりぐらん、世界が回る。こういう快楽を何だ、めまい感と呼んだっけ。昔はもっとそれをたのしむ遊具があったらしいが、最近はもうブランコくらいしか見かけなくなった。

「なあ、木吉ー」

 強く蹴る。高く上がる。空に届きそうなほどに浮かび上がる。雲の合間に見えるのは虹で、どこかで雨でも降っているのかと。

 それでも残酷なことに、揺られた身体はまた地面へと引き戻される。

「うん?」

 ひとりでシーソーに興じていた木吉はこどもむけのちいさな台にちょこんと収まったままいやに晴れやかな笑顔でおれを見る。思わずふきだして、落ちそうになって慌てて鎖に縋りながら、お前ひでえよと声を上げて笑った。
 その間にも前後に揺さぶられる。がちゃがちゃとうるさいのは金具の方だろうか、それをかき消すくらいのおれの笑い声。

 は、冷えていた。

「知っといて欲しいのはさ、おれが火神と黒子のこと、嫌ってないってことなのね」

 言いながら突き出した脚で砂の上を滑って、数度揺られた後に止まった前後運動に密やかに息を吐いた。はしゃぎすぎたようだ、普段とは別種の疲労感が胃の底辺りを満たす。

「でもさあ、ちょっと、ほんの少しだけ。羨ましい、って思う瞬間が有る。・・・・・・ごめん、嘘。妬ましいって思う」

 ぎぃ、こん。ぎぃ、こん。未だにシーソーでひとり遊びに励みながら、それでも目だけは真剣に木吉がおれを見詰めていた。余りのアンバランスさにまた、腹の辺りが逆立つような愉快さが襲ってくる。洩れる笑みを咳払いで誤魔化しながら、泥の付いた運動靴の先を意味もなく眺めてみたりして。
 遠くで呻き声に似た音がした。雷だろう、昔は恐怖の対象だったそれが数秒、虹のBGMとして流れる。

 金具の錆びたものばかりの公園は、まだこどものころからあった場所。おれたちはよく遊んだ場だけれど、最近近くにアスレチックばかりを集めたような大きな森林公園がつくられてからはめっきりこどもを見なくなった。だからなのか何なのか、公園には遊びの残骸が散らばっている筈なのに全体的に寂れたような、もう何かが終わってしまった後のような物悲しさが漂っている。

「信頼してる。最高のチームメイトだって思う。ベンチの奴等もそれは変わらない。一年も、おれたちが卒業する頃には・・・・・もしかしたらその前から、ルーキーズに食い殺されないくらいに強くなると思う。降旗に教えたいことはたくさんあるし」
「伊月は」

 遮るようにことばが被せられて、瞠目。木吉らしくもない会話の切り方に思わず反応を忘れる。

 最後まで聞いてそこから話の行き先をずらすのが、いつもの木吉のやりかただ。もしくはわざと五割素五割計算の確率ですっとぼけた返答をする。
 とにかく、相手の言葉尻をさらうような話し方をむしろ嫌うような気さえある奴なのに。

「伊月は、強いなあ」

 思考さえも何かを被せられたのか。
 はあ、気の抜けるような、いっそ息を吐いただけのような、我ながらやる気の欠片もないと思う声がくちびるの端から転がり落ちた。思考回路が痺れる。何を言っているのかが一瞬、否今もなお理解できなかった。
 強い奴なんて沢山いるのに、何故。何故あえてその賞賛をおれにあてがったのかがわからない。

「まさか」

 そう言うのが精一杯で、それ以上の慰めを聞きたくなくて再びブランコを漕ぎ出す。前に進んでもまた揺り戻される、濁る視界のめまい感をたのしむふりをして目を閉じた。視界が閉ざされたぶん鋭くなった他の感覚が音やにおいや肌を滑る風を拾い、ダイレクトに身体に届けてくる。

 雨の気配はすぐそこまで来ていた。

「強いよ。少なくとも、おれには真似できねえよ。凄いなあ」
「・・・・・何が?忍耐か?だったら“鉄心”、お前にゃあ負けるべ」
「んー?そうかなあ」

 ふわふわとつかみどころのない、のらりくらりとかわされているようでいて真実ばかりを語られているような、まるで会話をしている気にならない話口調で木吉は言う。もどかしさを脚に叩き付け、いっそう高く舞い上がる浮遊感に酔いながらまさかとちいさく繰り返した。まさか。

「そうだっつうのー!」
「でも格好良いぞ伊月ー!」

 空を飛んでみたいと思っても、もしおれに翼があったって飛ぶようにはつくられていないんだろう。

「できねえって言うのはさあ伊月、妬ましく思うのも本当なんだろうけどさ、それでも、それよりも後輩として可愛がれるってこと。それ、何か良いよなって思う。お前だけじゃあないけど、ないからこそ良いチームだって思うし。伊月いいやつ、おとこまえ!」
「・・・・お前も出来てるし、それにおれが男前とか知ってるしー」
「あれっ、そうだったのか!?」
「って言うのが嘘」
「どこが嘘なんだ・・・・!?」

 笑みが零れ落ちる。雷の音が近くなって、虹はとっくに消えていた。空に飛ぼう、それを邪魔する鎖の音がどうしてか、軽やかな足踏みの音のように聞こえてきて。
 ぎぃ、こん。ぎぃ、こん。木吉は今もひとりでシーソー。混ざってやろうかな、思って、ひときわ高く背中から空に突っ込む。

 『何か良いよなって思う』。
 雨の降りそうな今は面倒だからもう、それで良いか。

 身体が持ち上げられるままに鎖から手を離す。目にぶつかってきたのは地面に突き刺さる光の線で、派手で太いそれは数秒後ばかでかい音を鳴らすに違いなかった。
 浮遊感。めまい感。空を飛べないおれは無様に揺すぶられて、舞い上がって。瞬間。


 跳ぶ。