「ねえ赤ちん、世界ってさ、何で出来てるとおもう?」
白濁した汗をかくソフトクリームの柔らかな表面に舌を突っ込み、冷たさに感覚の曖昧になったところで甘さを喉に押し込んだ。
敦を見上げる。気だるげに背を丸め、汗の浮いた額を乱暴にぬぐった彼が重そうな瞼を引き下ろし、半眼を作った。表情はあまり動かない。表情を形作るよりも、敦は目で語る方を好む。それは怠惰の延長だろうが、誰でも嘘でぬりたくることの出来る表情の裏を読まされるよりも、視線ひとつ、それですべて解る敦の自己表現の方法はすきだった。
けれど、今はうまく読み取ることが出来ない。前髪の奥に隠されているからと言う事もあるだろうが、それよりも、どこかぼやけて焦点の曖昧な目に感情が乗っていない気がして。
おぎなうように伸ばされた指先が静かに僕の目尻に溜まった汗を弾くのを静かに受け入れる。目を伏せ、されるがままになりながら、胸の奥に世界、と言葉を落とした。
「何で出来ている、なんて、お望みながら科学的に語ってあげるけど。・・・・そうじゃないんだろう?だったらそうだね、僕の世界の原材料は――――勝利、とでも言っておこうかな。さて聞くからには答えは出ているんだろう?敦、お前の世界は何で出来ているの」
「赤司征十郎」
一拍置く暇さえない。間髪入れず、とはまさにこの事だろう。
傾けたソフトクリームを溶かそうとやっきになる陽射しから庇うように慌てて持ち直し、呆然と三十センチ以上先にある顔を見上げた。
逆光だ。
「オレの世界は、赤ちん製」
「原材料が?」
「原産国も」
「製造元もか」
「消費期限は無いけど」
「賞味期限は」
「あるかな」
「矛盾してるな」
単語を投げつけあうような会話。くだらない、言い捨てれば、拾い上げるようにからりと高く敦は笑い、ソーダアイスに噛り付いた。口に収まりきらなかったぶんがコンクリートにちいさなしみを作るのをぼんやり眺め、僕もソフトクリームに口を突っ込んだ。
中を探るように舌を動かす。牛乳もどきの甘さが舌を冷やし、喉をべたべた流れた。着色料を押し固めて砂糖だけを突っ込んだようなものよりは何倍もましだとは思うが、正直アイス類は全般的に好かない。
「僕が世界、か?」
「んーん。世界が赤ちん」
「・・・・日本語と言うものは全く、」
「ややこしいねえ」
青がくりぬかれて、その穴から懐中電灯で光を直接そそぎこむような。何が言いたいかと言うと、それくらいに乱雑で暴力的なのが夏の太陽だと、言うこと。
日差しが容赦なく目に突き刺さってくる。目からも日焼けすると言うし、帽子でもかぶってくれば良かった。
「世界、ね。とりあえず愛、優しさ、または平等。ここらを上げる奴は信用しないな」
「ふうん、何で」
「愛と優しさ、ここはもうあえては言わないが、平等。この世に平等は存在しないし、僕個人の意見としてはだが、男尊女卑は嫌悪する。が、男女平等も如何なものかと思っている。重い荷物を片方が持てないと解った上で均等にするくらいに不毛、不満が出るのは必然なのにだ」
「んー、わかんねえ。平等のが良いんじゃないの?ほんっと、わかんないけど。赤ちんのはなしややこしいって」
「ううん、じゃあ敦お前は、お前が勝ち取った分のスコアが平等でないからと言う理由だけでテツヤに回されるのを許せるかい?」
「、理解。びょーどーは駄目だわ」
何かを追い払うような仕草でぱたぱたと手を振った敦は、かろうじて棒に引っ掛かっているだけの残りのソーダアイスを口の中に放り込んで嚥下した。あわせて上下する喉仏に、格好良いな、太陽に沸いた頭で思いながら視線を当てる。
気付いたんだろう敦がくつりと笑って後頭部を掻き混ぜてきた。汗で篭った頭に風がふきこんで、気持ちがいいことには気持ちがいいのだが敦に嫌悪感はないのだろうか。
試合後の汗まみれでハグしたりするだろう、と言われればそれまでなのだが、試合のハイを引きずったあのテンションと違い今は普通、理性がない、訳ではないだろう。
そして一般的に――――と言う言い方はすきではないのだが、しかし、一般的に他人の汗とは嫌悪するものだろう。と、思うのだが。
慣れているという線はだけはない。ここ一年と少し、もしかしたらそれ以上、ハグもハイタッチもしていない。勝利が当然と気付いてからは喜ぶことさえしなくなった。
疑問はない。呼吸に感動する人間が居ないのと同じことだ。
脇に立つ、中学生の癖に大男と言う表現が似合いそうなそいつを見上げる。目があうと、敦は瞼を落として笑った。
「暑いな」
「うん、あっつい。夏だー」
「すぐに秋が来る」
「で、冬か」
「春が来て、そこで卒業だ。部活はその前に引退」
擬似的に四季をなぞって軽く笑う。静かに僕を見下ろした敦が、どこか縋るような色を浮かべて僕を見下ろしているのを知った上で、知らないふりをした。今振り返ってしまえばそのまま引き摺られて後頭部から倒れこんでしまうような予感が、した。
手遅れだとでも言うように。
崩れたソフトクリームの一角が落ちて、コンクリートにべったり広がる。勿体無い、呟いた敦が軽々またぎながらバニラの白の真ん中にアイス棒をなげこんだから、ごみ箱に捨てなさいと腰を叩いた。それでも取りに戻る気は無いようだ。前だけを向いたまま、ふたり、目的地も無いまま歩き続ける。
春に追われるようにして夏に飛び込んだ。
きっと秋にも、夏に押し出されて詰め込まれるに違いない。一年なんか呆気なく過ぎ去る。おとなになりたい、今よりもっとこどもの頃、無邪気に口にしていた時期が一番こどもで、しあわせだったんだなと今更。
中途半端におとなな僕等は、世界を思考する頭脳だけ与えられたまま、世界を変える力だけは未だ与えられていない。
「赤ちん、逃げちゃおーか」
逃避する脚はあるよ。
ことばもなく、目で、敦は語る。僕の胸のうちなんて、敦に全部見透かされてるんだろう。敦はこどもっぽいだけで、馬鹿ではないから。
「もう良いよ。逃げようよ。おとなじゃないんだから、嫌なことから逃げちゃおうぜ。こども扱いは嫌だって叫びながら、こどもみたいに走ってこうよ。ねえ、赤ちん、・・・おねがい」
おとなみたいに責任がないから、こどもってすぐ、ことばにしちゃうんだから。
いつだったか教師が言っていたことばを思い出す。おとなとこどもの線引きってじゃあどこだよと、どうしようもなくこどもだった僕はその当時思ったものだけど、今ふと、思い出した。
責任がないから、口にする。ことばにする。それはゆるされるってことだろう、教師の口振りは柔らかく、仕方ないわねと苦笑する声だった。
じゃあ、実行することって、どうなんだろう。それは聞かなかったけど。
「嫌なんでしょ。もうばらばらだけど、それでも心以上にぶつりてきに、ばらばらになっちゃうのが怖いんだろ。だったら見なければ良いよ・・・・逃げればいーよ。赤ちん頑張りすぎなんだよ馬鹿だから」
「――――・・・・心外だな」
「嘘だね。気付いてる癖に」
視線ひとつで、敦は語る。ひとの感情の機微に肝心なときに愚鈍な僕でも読み取れてしまう。
すきだよ、って。
言われてる。自惚れだと逃げることが出来たらどれくらい楽だろうと思う位に、視線は真摯で真っ直ぐで。どうしようも出来なくなった僕は、コーンに詰まっていたバニラを全部コンクリートにぶちまけて俯くだけ。
背後を老人が自転車に乗って通り過ぎた。ちりりん、と軽い音。
「駆け落ちしちゃおーよ」
冗談めかした笑顔もない。
「オレの世界にあるのは赤ちんだけ。赤ちんが居れば良い。世界がまっかっかなら、もう、欲しいものなんかねーよ。・・・・ほら、赤ちん」
地面に広がったソフトクリームの残骸、バニラの匂いの立ち込める、陽射しの暴力的な一角。向こうに木陰があるというのに、どうして僕も敦も立ち竦んでいるように動かないんだろう。
地面に広がる残骸。端を爪先で踏みつけて、敦は肩を竦めた。
「食べないから溶けるんだよ。大事にしすぎるから、もう、器しか残ってないじゃない」
いれものだけあったって。
確かに、意味は無い。中にたくさん詰まっていたはずのカラフルは、勝手に発光できるようになってしまった。
平等がないのは当たり前なのに、時間だけは平等だった。変化だけは平等に、全員、する。残酷なくらいにそれは平等。平等を謳う人間を、僕は嫌悪する。
目的地なんてとっくに通り過ぎて、忘れた。
「赤ちん、なあ、逃げるって言えよ。嘘でもいいのに、言ってくれたらオレ、死に物狂いで助けるのに。全力で逃がすのに」
「あつ、し」
伸ばされた指が、僕の目尻を撫でた。
涙を飛ばした。
「あんた、なんで耐えられるくらい強いのさ、ばか」
そう言って、抱き締められて、夏よりも高い体温に閉じ込められて。ばか、ばか、繰り返しながら敦が声に涙を混ぜるのをぼんやり聞いて。
腰に腕を回す。人通りの少ない道でよかったな、ぼんやり、そうやって。逃避して。
「耐えられないんなら、オレ、が!問答無用でさらうのにっ・・・・・・!」
肩にすりよって目を閉じる。目よりも雄弁に語る敦の体温は、泣きたいくらいに優しくて、自惚れだって逃げたいくらい僕にすきだって伝えてくれる。
でも、お互いに口には出さないのは。きっと中途半端に考えられるくらいの、おとなに近付いてしまったから。無邪気にことばを吐き出して、その先に何があるかって考えるようになってしまったから。
「ありがとう」
「・・・か、ちん、」
「ありがとう、あつし」
「っう、あ、あ」
僕の代わりをするように敦は泣く。目いっぱいに溜まるくせに流れ落ちない僕の涙を一緒に流すみたいに涙を頬に落とす。ぎゅうぎゅうに抱き締められた僕に、敦の表情は伺えない。
きっともどかしさとか、感情をぜんぶ詰め込んだ目をして収まりきらない分をこうやって流してる、安易に想像できるけど。
「世界がもっと、赤ちんにやさしくできてれば、いいのに」
「お前に、あいつ等にやさしければそれで良いよ」
「っ、ばか」
「でもね、敦、これだけは本当だ」
額同士をくっつけて、涙と汗でぐちゃぐちゃになった敦の顔を目を、覗き込んで。歯を見せて笑う。
「駆け落ちも悪くないって、思った」
世界の成分について思考する。
思い出になってしまった僕の世界の色彩は、五色で構成されて暴力的に輝いて居た、ようだった。もう思い出せないけれど。
「知っ、てるっつーの・・・」
真っ青な空のど真ん中で、声を殺して敦が泣いている。
目的地のない僕に平等に襲う季節はもう、――――夏だった。
グッバイ、チルドレンワールド
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