※緑 赤/15歳
「おまえの手はやっぱり、奇麗だね」
そう言い、戯れのように指同士を絡ませてきたそれがあまりにもやわかい調子で笑むものだから、ふと失ったことばは中空に呑まれる。背筋に走った動揺を誤魔化すようにして、ひだりみぎ、と視線を揺らすおれの滑稽さを眺めているのか何なのか、底の見えないひとみを瞬かせて赤司はゆったりと語り出した。お前の手は。
「大事にされているね。そして大きいし、・・・おや、指も長いな。確か、ええと」
「ピアノだ」
「ああ、そうだった。ピアノが得意なんだったか。ふ、いつか一曲聴かせて頂きたいものだけれど?」
「・・・・今日は終業式で、音楽室は閉まっているぞ」
「なら、新年に。お年玉代わりに聴かせてよ」
「お年玉、」
冗談だ。
と、控えめに目を細めた赤司は愉快そうに肩を揺する。終始笑みを含んだ声音で語る彼は今日はどうにも機嫌がいいようで、普段ならばことばにしないようなことも随分とたくさんくちに出す。
どこか、何だろう、追い詰められているように思えるのは、やはり考えすぎと言うものだろうか。
おれと赤司。ふたりの間にぽっかりと空いた穴には、どこまでも続く空ばかりが溜まっている。身を切るようなつめたさと共にぶわりと膨らんだ白のカーテンに、窓が開いているのか、今更気づいた。
白が彼を隠す。赤司は邪魔だろうその布をはらいのけることもせず、ただ、遮られるまま、隔たれるまま。おれとの隙間をそれが通り過ぎることを容認しているようだった。
寒いな、顔も見えない彼は言う。
否定はしない、曖昧にことばを濁しながら立ち上がろうとしたおれの姿、はどうして彼から見えたのだろう。浮かせた腰、引き上げようとした身体が逆方向に引っ張られて無様に転びそうになって、慌てて机の端にひっかけた指に降って来たのは―――熱。
「あか、」
「解っているよ。窓が開いていて、おまえはそれを閉めようとしたんだろう?」
寒いなとまた彼は言って、一度のたうった後しぼんだカーテンの奥、今日何度目だろう、緩やかに微笑んだ。
おれと赤司の間を確かに割るのはいつも窓と机だった。けれど、それ以上の何かが横たわっていたように思えるのもまた、常のことで。
今日の赤司はやはりおかしいようだった。
まるで拘束の真似事でもしたがるみたいにして、おれのふたつの手首を机に縫いとめてくるのだから。
「緑間、手、暖かいんだ。今まで知らなかったな」
「お前の、手は。冷たいな」
「こころが暖かいんだよ、・・・く、はは」
「どうだか。しかし言いながら笑うなよ、赤司」
「いやすまない。あまりにも可笑しくてね」
おかしいのは果たして、誰がどう、なのか。もうそれさえよくわからなかった。
声音は酷く甘く、優しく、柔らかに鼓膜に突き刺さってくる。確実に痛みを呼ぶその音にどうしたらいいかわからなくなって、赤司の模倣のように笑ってみた。風は冷たい。
「なあ緑間。おまえは」
両手は今も机の上にあり、赤司に抑え込まれていてどうすることも出来ない。机ひとつぶん向こうのそれは、電気のついていない教室の中だからだろうか、薄暗いなかで赤が際立っているように思える。
暴力的な色彩だ、といつも思う。
どこに居ても、何をしていても、会話していないただすれ違っただけのときでさえ、視界にずかずかと入り込んでくる真っ赤っか。一瞬で視界を端から端まで染め上げてくる赤色に酔うのはいつもの、こと、だった。まるで恋にのぼせ上がる少女のように。
「おまえはおれをころせるかい?」
「・・・・・精神的にか。肉体的にか。それとも揶揄か」
「、ははは!おまえのそう言うところ、ほんとうすきだよ!しかし、うん、そうだねえ。しいて言うのならば、―――・・・すべてにおいて、かな」
「すべて?」
拘束は、外れる。ただおれの両手ばかりが残された机は無駄に大きく見えて、そうか、今日は将棋盤が無かったのだった。
窓は未だに開いたままだ。目尻を切るようにして吹き付ける風は、総じて鋭利な冷たさを秘めている。
「そう。ゆえに問いはこれに帰還する。“お前はおれをころせるのか、否か”だ。ちなみに紫原にも同じ事を聞いてみたけれど、いい返事は貰えなかったよ」
「あいつは、何と」
「ころせるけれど、ころしてあげない。だそうだ。しかし要領を得ない答えだね。いっそひとおもいにころしてくれればいいのにさ」
拗ねたこどものような口ぶりは、15と言う歳においてあまり異質ではない筈なのだ。だと言うのに、怖気が走る。あまりにも、あまりにもな、内容と。口調がどうにもかみ合っていない。
否。表情も、だ。ゆるゆると目を細めて口角を揺るめている、そのさまだけ見れば機嫌がいいようにしか見えないと言うのに、その容姿のままに放たれることばは、どうだ。
赤司はいつも、自然に矛盾をまとっていたけれど。これはそのなかでも群を抜いて、酷い。そしておかしい。
変、だけでは済まされない、何かが。ふたりきりの教室には転がっている。
「青峰なら、と思ったんだけれど、あいつ今はほら・・・・ね、だろう?黒子はまず論外だし、黄瀬はまだまだと言ったところで、紫原はさっき言った通り。だからなあ、緑間。悪いけどこれは問いではないんだ」
息を吸う音がした。赤司は確かにいきていた。
「おれを、ころせ」
だと言うのにどうしてだろう、ころすほど、ころされるほどに、こいつはいきていないようにも思える。
伸びた背筋に僅かに上向けられた顎、そうして伏せ気味の瞼の下から注がれる視線はどれも傲慢なものであると言うのに、何故こうも彼は少年らしく在るのだろう。アンバランスに確立するその存在に、先ほどまで触れられていたと言う実感はとんと沸かない。
相も変わらず風は冷たい。冷たいまま、ただふたつだけ机の上に残っている、おれの指先の熱を払う。
赤司の肌の感触なんてとうに忘れてしまった。
「ころしてくれよ、緑間」
最後は懇願だった。かすれた語尾はおれの耳に届く前に机の上でのたうったけれど、拾おうともしないおれのてのひらの横を転がって床に落ちる。赤司もおそらく、そんなことには気がついていた。
目頭が歪む。彼はあまりにも痛そうな顔をしてちいさく掠れるような声で、みどりま、そうやって、拘束の真似事のようにおれの鼓膜を。
柔らかく。
確実な痛みだけを与えて、突いてくる。
「な、簡単だよ」
「・・・・・簡単?」
「おれに勝てよ緑間。いつだったかおまえが言った敗北をおれに、教えておくれ―――?」
笑みは歪む。おれのものではない、赤司の口元にべとりと張り付くただせさえ歪なそれが、ぐにゃりと、歪む。
「出来るものならば」
それは嘲笑だ。絶対的強者が浮かべる、弱者を嘲笑うための笑み。
だからこそかなしいのだと言えども、赤司にはもう届かないのだろう。お互いがお互いに投げることばは、とっくにただの独り言に成り下がっている。きっと新年おれは赤司のためにピアノを弾くことはないし、赤司もねだりはしない。そしておれと赤司の間の深い穴を埋めていた橋のようでもあった将棋盤は、もう、ふたりの間に置かれることはないのだ。きっと、一生。
窓を閉めよう、と立ち上がる。赤司は今度は止めなかった。戸締りが終わればもう、この教室に留まっている理由はないことを知りながら。
「おまえの手はやっぱり、奇麗だよ」
「褒めてもお年玉はやらんぞ」
「は。根に持つなあ」
鍵を掛けるおれの指を、視線でだけなぞる赤司の笑みは歪んだままだ。最後彼がただ笑うために笑ったのは、一体いつのことだろうか。もう誰も覚えていないそんなことを思うのは、馬鹿らしいと思うと同時に諦めにも似た感情を呼ぶ。
15歳。圧倒的なまでにこどもだ。どうにもならないことは、おれのてのひらの中には未だたくさん溢れかえっていた。
「ねえ、その奇麗な手で、おれをころしてって言ってるんだよ。きっと簡単さ。おれの首におまえのながい指を掛けて。まるで愛するおんなの手にでもするように、そうっと、そうっと、握りこんで。目線があわないのはさみしいだろう?おれの頭をおまえの目の高さまで持ち上げてくれればいい・・・・・そうすれば。おれが最後に見るのは、緑間、おまえの奇麗な奇麗なびろうど色の、ビー玉みたいなそのひとみ。素晴らしい最期じゃないか」
音がする。それはもうおれにとってことばでは、なかった。彼だってそんなこと、きっとおれよりも先に知っていた。
それでも繰り返すおとこのことばは、ああ、何、明確に心臓を抉る。
痛い。
お前のことばは余りにも痛々しくて、聞いていられないんだ、赤司。破綻しながらも正常に機能する、お前と言う存在が。どこまでもかなしくて、それこそさみしくて、―――愛しいのを。何と呼べばいいのだろう。
おれは愛しいおんなの手は握れても、お前の手は握れない。
絶対的強者のお前はもう誰にもころされることは出来ないのだと、気づいていてなおどうして繰り返す。赤司。
「そんな最期を、おれに与えて頂戴」
あかし。
ただことばだけを飾る棺
(150000打有難う御座いました・・・・!そうして需要なんて無いとは思いますが、一応此方はフリーです。お好きにしてやって下さい)
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