うだるようなとは良く言ったものだ。暴力的な熱が背に突き刺さる。舌を打ちながら濡れる前髪を拭い、火照った首裏をシャツの襟で乱雑に擦った。

「うあっちー」

 手元の文庫本に目を落としていた真ちゃんは視線を上げることも無く、無愛想に夏だからな、と言う。
 びっくりするくらい、苛とするくらい、真ちゃんはしらりとしている。暑そうになんて見えないし、気温に対して不満を持っている様子も無い。嘘だろこんなにも暑いのに。夏が暴力的なのに。

「ねえ真ちゃん、窓際暑くないー?」
「特に」
「ねえ真ちゃん何読んでんのー?」
「・・・・泉鏡花」
「えーそれ名前?題名?どっちー?」
「――――・・・・・高野聖なのだよ」
「えっマジでどっちが題名でどっちが作者!?」

 ぱたり、と本を閉じた真ちゃんが眉間に皺を寄せてわざとらしい溜息を吐く。そうして、静かにオレを見た。
 癖だ。話すときにじっと、ひとを見る。目が悪いのも関係しているのかもしれない。威圧的にも映るその癖も、慣れてしまうと逆に目を合わせないまま会話を続けるのがむず痒くてどこか変な感じがして、オレはついつい強引に真ちゃんをこっちに向かせてしまう。

「天鵞絨」
「ん?なんて?」
「ん、・・・・びろうど、だ」
「びいどろ?」
「びろうど。・・・・まあ、広い意味での緑色だな。言い直すことも無い、思い出しただけなのだよ。昔、赤司にお前の目は天鵞絨色だと言われたことがあったのをふと思い出して」
「びろーど、か。漢字はー?・・・・・うわっ読めない」

 適当な教科のノートの適当なページの隅っこに、真ちゃんの右斜め上がりの達筆で書かれた漢字三文字。奇麗な漢字だなあとはぼんやり思うけれど、それだけだ。この三文字と緑がどうも結びつかない。

「色ではびろうどと読むがな、どちらかと言えばてんがじゅう、の方が未だ読めるか。ビロード、生地であるだろう?漢字で書くとこうなのだよ」
「まってまってんん?解んなくなって来たかも」

 真ちゃんのはなしはたまに全力で訳の解らない方向に発展する。正直理解に苦しむとかそんなレベル以上にぶっ飛ぶ。それで、解んないと言えば、だろうなと言いながら真ちゃんはきゃらりと笑うのだ。今だってそう――――うん、可愛いから許す。

 奇麗と言うことばが似合うなあと、思う。今までオレの交友関係に、美人や奇麗が似合う男なんてのは居なかったから、初めて逢った時は驚いた。身長や訳の解らん言動がぶち消しているけれど、真ちゃんは美しいとか、そう言うのが似合う。似合ってしまう。試合での本気の表情は男前だけれど、この、何と言うのだろう無防備な顔は奇麗、以上に可愛い。ごめん今までの嘘。真ちゃん可愛いまじ可愛いどうしたたかおって今首傾げたカワイイ。

「お前は本は読まないのか」
「オレ?んーあんまり得意じゃないなあ。何で?」
「興味は?」
「無くは無い、けど。何?何かおすすめとかあるの」
「否、特には無い」
「上げて落とす!」

 軽くわらって、真ちゃんは窓際の席の特権の棚に背中を預け、ちいさく息を吐いた。そうして眼鏡を外し、目元を拭う。伏せられた瞼が、視線が捉えているのは眼鏡のレンズ。
 ちらり、真ちゃんがオレを見た。

 衝動。

 腕を掴めば、驚いたように目を見開いた真ちゃんのびろうどいろをしたひとみがオレを、見た。
 やっぱり、睫長いなあ。

「高尾・・・・?」

 腕を引く。

「しーっ」

 唇にキス。

「は、」

 軽く笑う。

「奪っちゃった」

 目を見開いた真ちゃんは、はくりと息を吸い込みながら長い睫を震わせて、掠れた声でオレを呼ぶ。
 火照った頬を見るに、鈍感な真ちゃんはやあっと夏の暑さに気付いてくれたらしい。

「な、に、・・・・たかお、?」
「暑いよねえ」
「はあっ?」
「うんうん解ってるよー・・・・暑いでしょう真ちゃん」
「まあ、涼しくは、無いと思う、が」
「あっそうおー!?何だよーはやく言えよー」

 腕を引っ張って立たせてあげる。一瞬びくりと震えた肩は、もしかしてまたキスでもされると思ったのか。

「だったら家に帰ろっか真ちゃん」
「か、帰らないのだよ」
「どうしてなのだよー」
「身の危険を感じ、おい、何勝手にひとの荷物を纏めて・・・・っ手を引っ張るな解ったから」

 190オーバーの男を引きずるようにして放課後の、ひとのまばらな廊下を歩きながら、やっだちょっとスキップしちゃいそう。可愛い真ちゃんが憮然としながらも辺りを伺うのは、繋がれた手のせいだろうか。人目を気にしてのことだろうか。

 振り返って真ちゃんの目を見てみる。
 崩れかけの天鵞絨が、夏を真似るように熱を持って揺らめいていた。



プールサイドで君と踊る