伺うように僕の方を見る癖に、目が合うと怯えたように目を伏せる。何がしたいんだと苛立ちながら、それでも、彼の目を覗き込んでしまうのが僕の悪癖だった。

「・・・・降旗君」
「あっハイ」
「今日、暑いね。溶けそう。猛暑日だそうだよ、35℃、確か超えたかな」
「そうだった気がし、マス」

 得意でも無い敬語を取ってつけたように吐きながら、身を護るようにクッションを胸に抱きこんで上目遣い気味に僕を見る、いや伺う彼の視線に滲むのは怯え。だったらさっさと追い出せば良いし、それ以前に約束なんか取り付けなければ良いのに。
 いつもそう。
 赤司君おいでよ。なんて僕を呼ぶと言うのに、彼は僕が部屋に居る間いつも怯えてる。馬鹿みたいに、ずっと。

「ただ、明日は雨だったデスよ」
「明日・・・?そう、それは残念だね」
「えっ。あ、うんそうだね、残念だよ。家に居るしかないね、ですね」
「――あのさあ、」
「え、・・・・わっ」

 身を乗り出して、クッションに手を掛けて、わざと至近距離で顔を覗き込んでやる。左右に泳ぐ瞳を静かに見詰めながら、溜息。

「何なの。敬語なんて要らないんだけど。同い年でしょう」
「うん、です、・・・・・・・あー、うん。ハイ、あっ」
「、もう良い」

 これは何を言っても無駄だ、と結論付け、乗り出していた身体を静かに引いた。またバリケードみたいなちいさな机を挟んで僕が一方的に話題を投げつけるだけの空間にしてやれば良い。思うくらいには、怯える彼は可哀相だったから。ただ少し面白くないだけで。
 そうやって僕が赦してあげたのに、まって、慌てた声で言いながら僕の腕を掴んだ降旗君は―――そのまま、赤面した。怯えながら羞恥を覚えるとは何て器用なひとなんだろう。

「ごめ、違うんだ。ごめん」
「何が。」
「んーいや、あー・・・あのさ、別にあれだから!怖がってると、かじゃな、待って待ってマッテ」
「何なの・・・・」

 待って、彼が歯切れ悪くぼそぼそ聞き取りづらい声で言うものだから耳を寄越してあげただけなのに、途端尻すぼみになることば。ほら、やっぱり怯えてる。

 顔を寄せるだけで、距離が近くなるだけで、震えて逃げて怖がって怯える。
 意気地無し。
 笑ってやった。静かに息を飲んだ降旗君の呆然とした顔ったら、無い。

「あ、」

 ちいさく、彼は呟いた。または、無意識的なことばだったのだろう。五十音の最初の音を吐き出して、クッションを取り落として固まっている。

「わらっ、た」

 予想外のことばに僅かに驚き、目を細める。慌てたように両手をぱたぱたと振った降旗君は、良く日に焼けた肌でも隠したいのか忙しなく腕を撫で、低く唸る。完全に俯いてしまったせいで僕が居る位置から顔は伺い辛いけれど、首の付け根に浮き出る骨だけが、見えた。

「笑ったけど」
「っや、珍しいなって!思って、・・・うん」
「そうかな」
「ん、そうだよ」

 ねえあかしくん。

 なあに、答えようとした瞬間に、腰に絡み付いていた腕。引き寄せられるままに座り込んだ僕の胸に、顔を埋めてくる降旗君。一瞬真っ白になった思考、投げ出した腕が宙ぶらりんのまま脇に居座る。
 後頭部をくすぐるように撫でてみれば、ちいさな声で降旗君が笑った、音がした。

「・・・・・・・・怖がってなかったっけ」
「えっ」

 さっきまで気持ち良さそうに擦り寄ってきていた癖に、素晴らしくキレの良い動作で顔を上げた降旗君が目を見開く。相変わらず整っているわけでも崩れているわけでもない顔だよなあ、と静かに見下ろしていると、数度考えるように頭を揺すっていた降旗君が唇をうにゃり、と蠢かせ――何が言い辛いのだろう、また、件の怯えているような仕草で視線をさまよわせる。

「怖がってはないんだ、ほんとだよ」

 困った、ハの字に下がった眉がそう語る。
 未だ薄紅に染まったままの目尻を誤魔化すように擦りながら、全く予想外なことばを彼は吐いた。

「どきどきしてたんだ」

 そうして僕は盛大に顔を歪めて。

「・・・・ハァ?」

 彼の顔に低反発枕をぶっこんでやった。平均的日本人男性の体格を保有し、かつ日々筋トレを怠ったことの無い僕の腕力なめないで頂きたい。

 思った通り顔面で受け取ってくれた降旗君が背後に倒れ込んで、都合良く残念なことに背後に据えてあったベッドに突っ込むのを静かに見届けた後、立ててあった膝を叩き伸ばして出来たスペースに身体を押し込む。ベッドと僕の間に挟まった降旗君は一瞬驚き、視線を揺らしながら無駄な努力、つまり這い出ようとする。そもそも僕の方が彼よりも身長が少しだけ高いのだ。その少しの差がこういうときどれだけ役に立つのか、教えてやったのは今日はじめてでは無いだろうに。

「だって、赤司君、格好良い」
「可愛いとか奇麗とか世迷いごとを言うものなら今そこに転がっている爪切りが君に襲い掛かるところだったよ降旗君。命拾いしたね」
「・・・・・思って無い訳でも、あ、あ、あ、ごめんごめんものさしこっち向けないであかしくん」

 ベッドに後頭部を埋めて、覆い被さるように僕が彼の頭を挟んで腕をつけば慌てて動揺して瞬きを繰り返して。
 ためしに触れてみた彼の胸は、馬鹿みたいに、暴れてる。

「何だ。意外と君、僕のこと愛してるんだね」
「あいっ・・・!?あ、い、し―――、す、すき、好きだよっ!」
「ふうん」
「い、いつか、言えるようになる、よ」
「いつかっていつさ」
「き、君の誕生日、とか?」

 言って、しまったと言う顔をする彼に内心爆笑しつつ顔だけは無表情で繕って、そう、とだけ返事をする。

「結構先だ」
「まあ、年が明けることは無い、し・・・」
「そうだね。じゃあ待ってる。僕に言えなかった癖に他に安売りでもしてみろ、僕は、」
「ごめん命だけは」
「泣くから」
「えっ」
「泣く、から」

 念を押すように繰り返し、胸に当てた掌にぐと力を込める。唇が触れそうな距離でわざと、低く落とした声のトーン。みるみる赤くなっていく降旗君の面白いこと面白いこと。
 愛しいなあと、思った。

「だから取っといてね?」
「・・・・・赤司君も、置いといてよ」
「解ってる」

 もごもごと呟く彼が、怯えているような動作が総て、僕の一挙一動を拾って慌てていたのだろうと思うとむずがゆくて仕方ない。
 悔しいから、甘いことばを囁く代わり、ぐっと目を覗き込んでやる。逃げようとする顎と頬を押さえ込んで、真っ直ぐ。僕の腿の辺りを彼が引っかいた気がするけれど、ジーンズ越しだから気付かなかったことにした。

 ふりはたくん、名前を呼ぶ。何、と答える声の硬さが可笑しい。

「ねえ、キスしようか」
「・・・・・接吻でせうか」
「難しいことば知ってるね、君」
「この前黒子に借りた、純文学に、ハイ」
「そう、」

 顔を寄せる。僅かに後頭部を浮かせた降旗君の唇が、掠めるように僕にキスをして、――真っ赤になって。それでも離してくれる気は無いらしく、膝に圧し掛かっている僕の腰に再び腕を回す。
 先ほどと少し違うのは、今度は僕が彼の肩に顔を突っ込むことになったことだろう。大人には遠く、中学生よりはしっかりしているような、不思議な身体。
 ただ安心するなあと思って、頬を乗せて目を閉じる。誰かの体温を心地良いと思えるのは、降旗君が初めてかもしれないなあと、思った。
 うとろ、眠い。

「降旗君、キス、へったくそだねえ」
「すみませんねえ練習する相手が居ないもんでえ」
「僕が居るじゃん」
「あんま、してくれない、じゃん」
「襲う勇気も無いへたれが言うせりふか、それ」
「大事にしてるんデスー」

 顔が見えないことで調子を取り戻したのか、いくらか饒舌になった降旗君が僕を抱きしめる腕に力を込めながら不満気に言う。
 可笑しくて可笑しくて、仕方ない。

「じゃあ僕は今からこのまま寝るよ。ね、降旗君。信じてるから」

 どっちの信用、叫ぶ彼の声が遠くなる。
 誰かの傍で眠るなんて最上級の甘えなんだよ降旗君、お前、やっぱり馬鹿だね。



Mr.kingとランデヴー!