味がしないんだ。言って、べ、と舌を出す。真っ赤なそれをまるで自然に空気に晒して、赤司はゆるりとめを細める。笑っているのかもしれなかった。

「・・・・・味?」
「そう。いつからだったっけ、忘れたけれど。味覚がなくなってしまったみたいでね。もともと食に執着する方ではなかったけれど、最近、さらに食べることが億劫になってしまっているんだ」
「あ、へ、え・・・・」

 そうして無感動に歯と歯の間で板チョコを割って、心底まずそうに咀嚼をする彼を眺め、ようとしてうろつく視線をどうにか一点に留めようと試みる。けれど、あまり意味はなさそうだ。おれの瞼をつきやぶってしまいそうなほどの赤司の視線をひしひしと感じる。
 なんでチョコレートなのか、と聞いてみた。どろどろするだけで味がしないとなれば、とんでもなくまずいものだと思うけれど。

「簡単さ。カロリーを効率的に摂取できるだろう。あと噛まないと歯が弱りそうだから」

 確かに食事は栄養補給、だけれど。そこにたのしみをみいだせていないんだろう赤司のめもとはいやになるくらい乾いている。おもしろくもたのしくもないけれど、必要だから仕方なく掴んでいる、そんな義務めいた持ち方は、―――なんだろう、彼がバスケットボールを扱うときのてつきと良く似ている気がして。
 メルヘンティックな思考に途端羞恥を覚えてうろついていた視線をぺたりと足元に落とす。きっと全部知っている赤司くんはそんなおれをみながら頬を緩めていた。

 そうしてまたひとくち、板チョコを齧る。半分まで食べ進められたその板をゆびさきにひっかけるようにぶらさげながら、本当にどうでもよさそうに赤司は真上を見上げる。そこには特に何がある訳でもなく、ただ、味のしないかたまりを口内で砕いている間の暇潰しなんだろう。

「、食べるの、嫌い?」
「うん?」

 問い返す音を出したわりに、赤司はおれのことばをもう一度促しはしなかった。多分、反射的に応えただけだ。
 その証拠に、彼は酷くまっすぐにおれをみつめる。

「昔はわりとすきだった、と言うか。今ほど億劫に感じては居なかった。味もしていた気がする」

 おれの部屋に居るはずの赤司は。おれのベッドに腰掛けて、おれの目の前で板チョコを嚥下している赤司は。
 不思議と、今ここには居ないようで。おれを通すこともなく、ここに居ない誰かを眺めているようなそんな気がする、の、だった。

 彼が食事を楽しんでいたと言う昔について、おれが知ることなんて噂程度のことだ。それも、彼らがキセキの世代と銘打たれてからのことばかりで、ただの男子バスケットボール部所属、そんな彼らのことは何も知らない。
 仲が良かったのかもしれないし、ただの部員同士だったのかもしれない。いっそ、そのどちらも違うのかな。
 知らない。彼に問うたこともなかった。

 だからと言う訳ではない、けれども。教えないことにする。ちいさく笑うおれのことを、訝しげにみる赤司の口角もどこか緩んでいた。
 頭がいい彼のこと、きっと気づいているんだろう。

「君も食べるか?」
「んー・・・って、騙されるとこだった。栄養補給なんだろーそれ。赤司が食えっつの」
「っち、飽きたんだよ。不味いだけだしね」

 よく言われることばだ。ひとりでする食事は、味気ない。
 赤司の場合、それがぶっ飛んじゃって滅茶苦茶になっちゃって、味気ないどころか本気で味がしなくなった、んだろう。そんなことありえない、普通なら思うけれど、言っているのが赤司なんだから本当なんだろうと思う。
 きっと本当に味がしなくて、食べ物すべてを不味いと思って居て、ただの肉の塊になってしまった真っ赤な舌をくるくる動かして喋ってる。

 なんつうかまあ、味気ないなって。

「ふふ、ねえ、どうする。いつか僕が本当に食事をやめてしまって、どんどん痩せ細っていって、最後にはそのまま、・・・・そのまま、だったら。どうする」
「ううん。そのからだを食ってやる、っつうのが、赤司好みかもしんないけど。カニバリズムはちょっとなあ。んー・・・ホルマリン?」
「何でからだの事後処理のはなしになってるんだよ」
「え、違った?」

 わざと気づかないふりで、わざと茶化して笑って、背後からベッドに倒れこんでいく赤司の髪が広がるのをただ、眺めた。奇麗だった。
 やっぱり、色が抜けるのは哀しいから、剥製だろうかとか思って。テーブルの上、カラッポのティーカップを爪の先ではじく。紅茶を淹れるついでに引っ張り出してきたクッキーに彼は手をつけていないようで、封も切られていないまま。深いブルーの包装は、物に色に溢れているおれの部屋の中あっけなく沈む。

 くつくつと音がした。つられて顔を上げれば、いつのまにか頭を移動させておれとめが合う位置に寝転がって居た赤司が心底愉快そうにわらっている。

「・・・違わないさ。僕が居なくなった後ならどうぞ、こんなからだ、すきにしておくれよ」
「うん、おっけい、おれが寝転がるスペースあけて」
「え、超やだ」

 言って、快活に笑い声を上げる赤司の、先ほどのつまらなさそうな様子とは打って変わって愉快気な様子に思わずくちもとが緩むのを意図して押し留めながら、彼のゆびさきに辛うじて引っかかっていた板チョコをそろり、奪う。

 甘くないと言い切られたそれを眺めて、酷く荒れたはがたででこぼことしている断面を、そして立ち上がったおれをぼんやりとみあげている赤司と視線をあわせた。
 まずいよ、赤司は言う。
 聞こえているのに聞こえていないふりをして齧り付いたチョコレートはしたの上、安っぽい甘ったるさでのたうった。

「それ、甘い?」
「いやまあ、甘いけど。赤司君今度病院行こうか。味覚は必要だろ」
「うん超やだ」
「、つか、超やだってさっきからお前、にあわなさ過ぎて超、可愛い」
「はは、なに口走っているんだ去勢するぞ」

 赤司が味を感じなくなった時について、思う。その時その瞬間を思う。
 きっと無感動なまま誰に何を言うでもなくその事実を受け入れたのだろう赤司を思えば、今したの上のかたまりが何故だから憎らしくなってきて、乱雑にのどの奥に押し込んだ。
 味はした。不味かった。

「ねえ降旗君」
「なーに赤司君」

 ゆびさきから力を抜く。重力に従順に、それは、板チョコは奇麗に転がり落ちてゆく。

「過去と味覚は彼らに勝手にやってしまったようだからさあ、あとは全部、君にやろうと思うんだが」

 重いかな、と。言う彼に。
 じゃあ筋トレするとか茶化しながら、知らんふり、おれはまたわざと気づかないまま一笑。彼は次いつ何を食べるんだろうとか、的外れなことを考える。
 湿った視線がおれを射る。何かを諦めたひとの顔をして、でも、こどもの傲慢さも織り込まれているような、表情。笑顔と呼ぶには余りにも歪なそのえがお。

 からっぽになった彼のてには、おれのてのひらを滑り込ませた。



うそをはく舌なのだから