■04/01.00:00

 隣でねむっていたそのひとの肩に腕を回すことは案外簡単にできた。そうして触れてみたその肩は思ったよりも細くて、思ったよりもかちりとしているおとこのひとの肩だった。
 強いひとのからだ、だ。
 それでも離す気にはならなくて、深く強く抱きくるむ。足同士を絡ませた拘束じみたおれの抱擁に、うっすらと目を開けた赤ちんはひどくほどけた声で、あつし、おれの名前を舌に乗せる。
 意味など解っていないような顔をしながらも赤ちんはおれの背中に腕を回し、おれの肩に鼻先を埋めて、もう秘め事でも語るかのようにささやく。繰り返す。
 声は甘く、おれの鼓膜を舐めた。



 うっそりと赤ちんはほほえんでおれの乾いたくちびるに自分のそれを重ねる。さすがに純真を気取りすぎたか。赤ちんは言って、ふたり、稚拙な接吻をわらった。
 ああけれど、色違いの瞳に張った水の膜をここまでの近さで覗き込んだのはいつ以来だろう。

まだ、ねむろう

 促す声はやっぱりほどけていて、そうして、うんと答えた俺の声は泣いているみたいにみっともなく震えた。暖かいと呟きを落とした赤ちんの額に口付けを落とした、だけなのに、指先も僅かに震えてしまう。
 視界がうまく像を結ばない。輪郭が淡くぼやけて、今のおれがねむいのか涙を流しているのかなんて言う単純なことさえ解らなくて、赤ちんと繰り返しながら彼の背中に回した腕に力を込める。痛いと赤ちんは揶揄するような口調で言ったけれど、おれは駄々をこねるこどもみたいに頭を振りながら彼の真っ赤っかの髪にめもとを埋めた。

朝起きたとき赤ちん、あんたは
居るさ。お前の腕の中に必ず。だから、ねむろう?

 繰り返す赤ちんの声が遠くなる。視界が少しずつ暗くなっていく中、おれの瞳が判別する色が赤色だけだったなら世界はもっと美しいのに、とかずうっと思っているおれはきっとばかだった。


■04/01.07:16

 お早う御座います。
 律儀に腰を折りながら、赤ちんはかあさんに向かってそう言った。少しだけ震えた語尾が朝を揺らして、窓から差し込む朝日を受けて感光する。几帳面につくられる赤ちんの声はいつだって、おれのことを奇麗に虜にしてくるものだから油断さえ出来ない。

「かあさん」

 赤ちんの礼儀正しすぎる様子にころころとわらいながら、なにー、答える声が台所から飛んできて、隣で赤ちんが少しだけからだを硬くしたのが解る。
 こわばる指先ごと彼のてのひらを握りこんで、繋いだ手をわざと高く掲げてかあさんに見せてみれば、ふと赤ちんが吐いた息がちいさなちいさな空間だけを叩いた。

「おれたち、実は付き合っているんです」

 一瞬目を見開いたかあさんはけれどもすぐ合点が言ったようにひとつ頷いて、菜ばしでくるくると空気を混ぜながらころころとわらった。おれの肩を揺すぶりもせず、おれたちを侮蔑の浮かぶ眼球に晒すこともせず、ただ機嫌がよさそうににこにことしている。
 知らずせき止められていた息が肺から溢れて、細く長く下くちびるを滑って出て行った。肩をすくめた赤ちんは上目でおれをみながら眉を寄せて、かすかに口角を歪ませた。
 泣きわらいのような顔、だった。

「息子さんが僕なんかの傍に居ても、構わないんですか」

 赤司くんなら大歓迎。かあさんはわらう。むしろ一週間くらい泊り込んでくれてもいいのよと、わらう。
 繋いでいるてのひらにぐっと力を込めれば、弾かれたように顔を上げた赤ちんの口角はやっぱり歪んだままだった。ただえがおになっていないだけで、さっきと何にも変わってない。
 いっそ泣いてくれたら抱きしめてあげるのになあとか何とか思う。
 おれと赤ちんを繋ぐ体温があまりにも暖かくて、おれの方が泣きそうだったけど。


■04/01.09:34

件名:おれたち
本文;実はつきあってたんだよー

「って言うらぶらぶ写メつきのメールをおれのアドレス帳フルスロットルに活用して一斉送信してみましたー」
「お、おお」
「ちなみにミドチンの動揺っぷりがすさまじいのと、あとあれ、黒ちんこっちに来るとかメールして来てるんだけど、やばいねー。今おれら東京じゃん、黒ちん超特急」
「今日は練習があるとか電話で聞いたから来ないと思うぞ」
「アレッ、そうなんー?いやでも何か今なんたら駅に居ますすぐ着きます的なメールが」
「・・・・場所を移動しよう」
「りょうかいー」


■04/01.11:03

「何したー?」
「チョコミント」
「えっ、スースーしねえ?歯磨き粉の味するじゃん」
「歯磨きはすきだな」

 コーンの上に乗っかった丸いアイスにかぶりつきながら、赤ちんは冗談とも本気ともつかないことを言って肩を揺すった。それでもアイスが落ちそうとかそう言う心配は必要なくて、赤ちんの利き手は右のはずなのに、左手でぶれることもなくコーンを支えている。
 まあその右手はおれが握っちゃってるんですけど。とか、誰にともなく声にならなかった呟きを胸に落とした。赤ちんのてのひらは意外とがさがさとしていて皮が厚くて、このてが魔法みたいにボールを操るのだろうと言うことが容易に知れる。

「おいし?」
「うん。おまえのそれも、・・・・あれだな、甘そうだ」
「ダブルショコラ、チョコチップ、チョコレートのトリプルでえす」

 茶色がみっつ乗っかったコーンをくるり回せば、その軌道を辿って瞳を回した赤ちんは軽くわらう。つりあがった、猫と言うよりも爬虫類を思わせる独特の目のかたちが崩れて奇麗なえがおになる。
 その瞬間がおれはすきだ。とか言えば、赤ちんはおれがだいすきなえがおをもっと深めてくれるだろうか。

「あまいの、あまり好みはしないとか言っていなかったか」
「言ってたけどー、つうか今もだけど、まっ今日はとくべつにね。甘ったるいのもわるくないかなって」

 伸ばした舌をアイスに突っ込んでぐちゃぐちゃかき回せば、ばかみたいな甘さが味覚を刺した。甘いまま喉の奥へと滑り落ちてくる液体を胃に押し込むのは意外と難しくて、思わず顔をしかめたおれのことを赤ちんはまたわらう。おにあくま。おれの目尻に散っただろう赤色のことを誤魔化すようにそう軽く罵倒すれば、ふふんと鼻を鳴らした赤ちんはアイスにまたかぶりついて肩をすくめた。

 そうして揺らされたのは繋がれた手、で、何だか言い返すのも面倒になってきておれのアイスにまた舌を突っ込む。冷たさが染み込んできて脳髄を冷やし、視界が無為にぶれる。

 おれと赤ちんを繋ぐのは、切り落とされればそれまでのお互いのてのひら。指同士を絡ませあうこともしない、ちいさなこどもがやるような体温の共有。
 どうしてふたつなんだろう、とか、甘ったるい舌をもてあましながら思う。本当は手を繋ぐことさえままならないのがおれと彼だと言うのに、ならどうして、かみさまとか言う奴はおれたちを分けてつくったんだろう。

「、空。敦、ほら、飛行機雲だ」

 空を割る白を見て赤ちんは声を上げて、食べ進めるにつれていびつになってしまったアイスで真上を指し示す。奇麗だとそのひとが言ったから、おれにとっても奇麗な空を。

 畜生。なんてことばを口内に転がす。
 だってかみさまだかなんたかさまだかがもし、おれと赤ちんが声をつくって会話できるようにってふたつに分けてくれたんだとしたら、感謝するしかないじゃないか。
 彼の視界が捉えるうつくしさのことを、おれはいつも彼のことばで教えてもらっているのだから。


■4/1.14:58

 本当におまえはよく食べる。

 酷くげんなりしたようにそのひとが言うものだから、おかしくってたまらない。外食しようっていったの赤ちんでしょうとか言いながら意味もなくわらってみたら伸びてきた腕に頬をつねられて、しかも真下にひっぱってくるもんだから痛いのなんのって。

「おいしかったしー」
「まあ、味は確かによかったが。でも限度と言うものがだな紫原」
「あっはっは」
「こら、笑って流そうとするんじゃない」

 わりと騒がしいおれたちの声につられたのか顔を上げた通りすがりのサラリーマンがふと目を見張った、のが、視界に端に引っかかる。まあ男ふたりが手繋いで、なかむつまじい感じで歩いてるんだからそんな反応になっちゃっても仕方ないってもんだろう。
 だから、からだを少し硬くした赤ちんを少し隠すようにおれは身を乗り出して、繋がれた手をわざと揺らしながらにいとわらって、みる。

 じょうずなえがおになっただろうか。鈍くなる思考がはじき出したのはそれくらい。ふたりで生きるのはこんなにも難しいのに、赤ちんがここで生きているってだけで同じ世界で生きているすべてが愛しく思えてしまう。
 ああでもこの世界は、赤ちんがすきだあいしてるって大声で叫ぶのにはちょっと向いていないところだけど。

「ハッピーエイプリルフール」

 意外とノリがいいらしいそのおとこのひとは、騙された、とかのたもうた。嘘をついていいのは午前までだって言うのに。



四月一日の少年たち



■4/1.17:42

 橙色のアスファルトにふたつ、高さの違う影が伸びている。住宅街だからだろう、ひとの姿はまばらで、どこからともなく漂ってきた焼き魚のにおいに空腹を覚えた。
 風は少しぬるくなっていて、いつのまにか満開になっていた桜が夕焼けの色を花弁にうつして独特の色を持って、昼間とは別の花になってしまったみたいな気がしてくる。思わず赤ちんに呼びかけてその花のうつくしさを伝えようとくちを開いたけれど、どうにも似合うことばがみつからなくて歯噛みをする。

 おれは持っていることばが少ないから、いつも肝心な所を伝えきれない。赤ちんに言いたいこと、教えてあげたいこと、伝えたいこと、たくさんあるのにいつも持て余してさいごには黙り込んでしまう。

 添おうとは決めている。支えはしない、赤ちんはそこまで弱いひとじゃあないからおれの支えは必要としていない。だから勝手に添おうと、隣じゃなくても赤ちんの真っ赤っかの髪が見える位置で歩こうと決めている。
 その決意みたいなもの、が、決して恋とか愛とか言う甘ったるいところからうまれたんじゃないってことはわかっているけれど、じゃあどう言う気持ちなのかと問われても答えることは出来ない。
 だから黙ってしまう。
 黙ったまま、添うていた。

 でも赤ちんのことはすきだ。触れ合うことは嬉しいし、その細いようでいてその実おとこの肩さと厚さの確かに有る胸板を突いてのしかかってやりたいなあとか、ちょっと乱暴なきもちになることだってある。
 おれって奴はなんでこう、面倒くさくてややこしいんだろう。いや、赤ちんよりは単純に出来てるけど。

「晩飯、どするー?かあさんがうちで食べてもう一泊していってもらえってメールしてきてんだけど」
「・・・・二泊はさすがに迷惑だ。荷物をまとめに寄りはするが、さすがに泊まらせていただく訳には行かない。ホテルでもとって、」
「はいメール送信ー。本文、『赤ちんが遠慮してるけど強制連行します』。そしてそれを実行に移すおれにぬかりはなかった」
「待てやめ、やめろ」

 手を繋いでいたから、赤ちんがおれが次どうしようとするかわかっていたって、逃げようとするからだを抑え込むのは簡単だった。腰に回した腕に力を込めてひょいと肩の上に担ぎ上げれば、わりとアグレッシブに暴れていた彼も諦めたのか大人しくなる。

 夜の準備をはじめた景色はオレンジのフィルム越しに見ているように薄く色付いているのに、その色彩は酷く暖かなのに、何故かものがなしさのようなものを覚える。
 暗いから怖い、夜は恐ろしい、そんなのもう遠くこどものころのおれに預けてきたはずの感情なのに。
 来なければいいと思う。夜なんか、明日なんか来なければいい。

「担ぐのをやめろ」
「じゃっ、自分で歩いてついてくるー?」
「ついて行く、ついて行くから」
「でも家に着いたら帰るんだ。じゃっ、駄目ー」
「おい、・・・・敦」
「駄目ー」

 赤ちんとふたりなら、おれは一日中嘘を吐き続けることも簡単に出来るだろう。
 だからずっと今日が続けばいい。みたいなことを赤ちんに言ってみると、おとなしく担ぎ上げられているそのひとはふと息をするのを止めて、だらりと重力のまま垂れ下がっているてのひらでおれの背中の真ん中をいちど叩いて、そして囁いた。

「明日なんて来ない。僕たちは毎日、今日と名づけられた時を生きている。昨日には戻れず明日には永遠に行くことなんて出来ないさ。なあ、そうだろう」

 おれは屁理屈じみたそのことばをゆっくりと咀嚼して、ゆっくりと橙色を落としていく空を眺めて独りごちる。

「さあ、どうだろう」


■4/1.21.01

 おれの瞳が、赤色しか判別しなかったとして。
 それはつまり赤ちんが奇麗だと言った空が、真っ青を真っ白が割るその光景が、おれには解らなくなると言うことで。

 そんな世界はうつくしくもなんとも無いことくらい、おれは知っている。
 知っていて願うからこそばかだった。

「赤ちん」
「どうした」
「・・・・なんでもない」
「そうか、」

 風呂上がり、乾ききっていない髪もそのままにベッドに腰掛けて、赤ちんは特に何をするでもなく中空を見詰めている。おれもしたいことは無くて、じゃあ、とか思って彼の隣に腰を下ろす。大袈裟なくらいにベッドのスプリングがきしんだからか赤ちんのからだは軽く上下に跳ねたけれど、どうでもよさそうな顔をしたそのひとは特に体勢を立て直すでもなく後頭部から背後に倒れこむ。
 人工的な輝き方をする瞳をゆるりと瞬かせて、赤ちんはただ呼吸をしている。投げ出された四肢も胴も首も、顔立ちも声も、どれを取っても彼は“彼”だなあとか、思う。

 赤ちんはおとこのひとなんだよなあとか、思う。

 大きくて厚い手はきっと、少なくともおれの手を握るためのものではないのだ。筋肉をまとったその腕が抱きしめるべきなのはおれじゃあなくて、例えばさっちんみたいな、ちいさくてほそいおんなのこ。
 で、おんなのこを抱きしめるべきなのはおれもなのだ。人間ってやつはそんな風に出来ている。

「今日は楽しかった」

 ぽつり、赤ちんが落とした冷えた呟きがじわりじわりと部屋に広がって、こだますることもなく消えた。
 弛緩しきったてのひらにおれのそれを重ねて、朝かあさんの前でやってみせたように指を緩く握りこむ。ひとつ違うことがあるとすれば、おれと赤ちんの指が互い違いに絡み合っていると言うことだろう。
 俗に言う恋人繋ぎってやつ。

「手ぇ繋いでデートとか、はじめてだったねー」
「うん。そうだな」

 春休みになるから東京に行く、と赤ちんが言うから、おれも帰省するしちょっとおれんち泊まってってよねえいいでしょうと散々ねだって、やっと家にひきずりこめたのは昨日の晩のこと。ころころとわらうかあさんの前、珍しく少し緊張した様子でお邪魔しますと丁寧に頭を下げた赤ちんの姿も記憶に新しい。

 明日はエイプリルフールなんだよと言ったのは赤ちんの方だ。で、思いついたのはおれの方。
 冗談として受け取って貰える日が明日なら、じゃあその日、“おれたちは恋人同士なんだと嘘をついている”と言う嘘を吐こう、って。
 おれがそう言えばふっとことばを失った赤ちんが何も無い天井に何かを探すように視線を彷徨わせて、最後には軌道をぼたりと床に落とした。しばらくはつまさきを見詰めていた赤ちんはついぞ何も言わないままだったけれど。

 おれは震えるそのひとの手を握り、彼は振り払わなかった。抱きしめてみても赤ちんは何も言わなかった。
 だって聞こえた声は独白めいていて、いつも神経質なくらいことばを組み立てるそのひとには珍しく、誰かに何かを伝えたとするに満たないことばの作り方だったのだ。
 ごめん。
 それは誰に謝っているのか解らない、解りたくもない謝罪。

 ――――おれのかあさんに向けてじゃないといいな、とだけ思った。


■4/1.23.50

「おんなに産まれたかったと思ったことは無い」
「うん、おれもだよ」

 少しだけ眠そうにしている癖に赤ちんの声はいやに明瞭で、淀みなく告げられたことばに同意を示すために寝転がったまま軽く頷いてみる。息を吐いたのか笑みをこぼしたのか、薄暗い部屋の中では少し判別のしづらい音とともに赤ちんは寝返りを打って、仰向けから横、つまりおれの方へからだごと振り返る。

 くらやみの中でも彼の瞳は鮮やかだった。赤と、橙がかった、加減によっては金に見えないこともない不思議な色をした左右非対称のふたつの目。
 まっすぐな赤ちんの視線がおれの目を刺す。

「ああ、だけどね、もしおんなだったらと考えたことはあるんだ」

 赤ちんの声が崩れて、落ちた。
 明確さを持たない音が同じベッドに収まったおれの耳にもそっと忍び込んでくる。何とも言えなくてただ、またひとつ頷くだけのおれのことをどう思ったんだろう、赤ちんはまるで迷子になってしまったこどもみたいな顔をしたままわらう。
 おれは隣に居るのに、それさえも見えていないみたいだ。手を繋いでいるはずなのに彼はそれも感じて居ないみたいで、何だよ、おれの体温は赤ちんに流れ込む前に全部冷やされてでもいるんだろうか。

「そっか」
「うん、そうだ」
「・・・・おれは、赤ちんとずっと一緒に居られたら、それでいーよ」
「僕だってそう思う。だけどね敦それは、とても難しい―――」

 ことばじりを失くしたまま赤ちんはわらう。朝かあさんの前で見せたような、いっそ泣いてくれとこっちが泣きながら乞いたくなるようないびつなえがお。

 添おうと、決めている。そのきもちを持ったまま、赤ちんの肩に腕を回して、引き寄せる。抵抗もせず胸に飛び込んできた頭をからだを抱き込んで、漏れそうになる嗚咽を殺した。
 こんなにもすきなのに、だいすきなのに、それだけじゃあ男同士で恋愛ってやつが許される理由にはならないんだろう。
 もしおれたちが恋人同士だと言うことがエイプリルフールのジョークじゃなくて本当なんだよって言えばかあさんは『赤司くんなら大歓迎』なんて絶対に言わなかっただろうし、騙されたと快活にわらったサラリーマンだって、いちもにもなくただ侮蔑の表情を浮かべたに違いない。

 すきだ。
 赤ちんがすきだ。

 添うと決めたのも本当だ。その決意はずっと揺らがない。でも、出来ることならおれは多分、赤ちんと手を繋いで歩きたい。
 どこまでもふたり、繋がったまま隣を行きたいとか思ってる。

「・・・・おやすみ」

 雨が降っている。それはおれの頬にぶつかって流れて、赤ちんの真っ赤っかの髪に落ちて吸い込まれて消えた。

「おやすみ、あつし」

 ふたり抱きしめあってねむれるのは、おれたちにあと何度許されているんだろう。
 おれと彼、いつかただのともだちに戻ってしまう日が来たりするんだろうか。赤ちんはベッドでおれは床でねむる日が来るんだろうか。
 その絶望的ないつかが、『今日』として平然と訪れやがるんだろうか。

 はやくエイプリルフールなんて終わってしまえ。偽らないと手も繋げない今日に興味なんか無い、赤ちんと手を繋いで歩ける明日をおれは生きたい。


■4/2.00.00

 赤ちんがおれの腕の中からするりと抜け出したのが解る。
 空気を揺らすかすかな呼吸音は酷く不規則で、引き絞られたその呼吸のさなか、微かに聞こえた彼の声はやっぱりうつくしくて、他の誰でもないおれの鼓膜をいつもいつも虜にする。
 彼の声だけがおれの心臓を掴み、揺さぶるのだ。

あいしているよ、敦

 柔らかくて、甘い声がする。ねむったふりだけのおれには気がついているだろうに赤ちんは狸寝入りを指摘せずただ、おれの手の中から自分の手を引き抜く。
 おれたちはこんな些細なことでふたつに分けられてしまうんだなあと思うと、おれと彼を繋ぐものの呆気なさとか脆さは本当にどうしようもない。

おまえにすきになってもらったのが、・・・・僕で、ごめん

 目は開けない。部屋に静かに響くことばがどんなに痛くてもそれだけはしないことにする。
 けれど、ただ、赤ちんが泣いていなければいいと思った。