冬ならば夏が恋しいと思う。夏ならばはやく冬になれと願う。そんな風にして季節を折り重ねるだけで、あっと言う間に一年は経つ。

 おれたちが入学した年に創ったた男子バスケットボール部は、あと少しで創部三年目に突入しようとしていた。
 春の匂いは、濃い。

「新入部員、入ってくるかなー!」
「来るだろー」
「先輩!とか言われんのか・・・そっか・・・!」
「今年こそ!試合に!出る!」
「降旗に負けてられないもんなあ」

 水道の辺りから酷く楽しげな声がする。弾む声は抑えられる事もなく、腹の底から出されているのだろう声は体育館の中まで飛び込んで来て、うるせえぞと怒鳴った日向の口角がそれでも緩んでいるのを指摘してやりながら木吉は、ううんとひとつ伸びをする。
 背骨がすいと一本にまとまる感覚と共に、肺一杯に空気を吸い込む。暖かくなるまでもうすぐだ、と吹き込む風が告げていた。

「木吉先輩、もうすぐ三年生ですけど、進学か就職かとか決めてるんですか」

 指先と床との間でボールを転がしながら、ふと現れた―――けれども実際はずうっとそこに居たのだろう、―――黒子は座り込んだ姿勢のままに木吉を見上げ、相変わらず感情のあまり浮かばない瞳でじいっと彼を見詰めながら首を傾げた。
 黒子のその様子からただの世間話だろうと踏み、あまり深く考えることもなくそうだなあと朗らかに木吉は笑って、ひょいと黒子の指の先からボールを奪い取った。

 そのまま、シュート。奇麗に弧を描き決まった3Pに、若干不服そうな顔をしながらも手を叩く黒子のことが可笑しくて、木吉はたまらず吹き出した。

「ん、ああほら、火神が呼んでるぞ」
「・・・・何ですかこの部活終わりのしんどいときにって言うのを噛み砕いて優しく伝えてやって下さい」
「ははは、ほら、行ってこいって」

 両手で後輩の背中を押し、そうして最後に背中の真ん中を一度ぱしんと軽く叩き、火神に向かって手を振る。にかと人懐っこく笑いながらも黒子の名前をいささか乱雑に叫びながら、火神は両腕を振り回し彼を呼んだ。
 心底面倒そうな顔をしながらも、そちらへ駆けて行く黒子の足取りは軽い。
 相変わらずだなあと愉快に思って、木吉はクリップボードでぱたぱたと顔を仰いだ。

「あいつらも変わんないよなー」

 語尾を苦笑に滲ませて、走り去っていく黒子とすれ違いながら木吉のところへ歩いて来た伊月は、額に浮く汗を手の甲で拭いながら肩を竦める。
 見かねてスポーツタオルを差し出してやれば片手を顔の前に立て、さんきゅとひとつ笑った。本当に、あの悪癖さえなければ整った顔立ちをしているのにといつも思う。

「おれたちも変わらないよ」
「ん、ははっ、だなあー。人間そう簡単には変われないぜ」
「て言うか伊月、さっき盛大に壁にぶつかってなかったっけ。大丈夫かー?」
「だいじょぶだいじょぶー・・・ハッ打撲で死んだ僕・・・・これはっ」
「あーちょっと黙ろうなー」

 膝に頬を預け、悪い悪いと全く悪びれていない様子の伊月はにこにこと機嫌よさそうに笑ったまま木吉を見据える。その深い黒の目がどこか木吉の柔らかなところを包むように射抜くから、居心地が悪くてクリップボードを握る手に知らず力が篭った。

 どこか伺うようでもいて感傷を含んだ視線が、時折背中に刺さることを木吉は知っている。それに込められている感情の意味を問うたことはなかったが、何となし、解りはしているのだった。

「、花宮さあ。おれ、ほら、良くは思ってねえけど、どうしたんだろって思ううんだよな」
「・・・・花宮?」

 部活内で一度として聞いたことのないおとこの名前が伊月の口から飛び出すのを聞いて、物珍しさに木吉はぱちとまばたきを落とした。そんな彼の様子に、逆に驚いたような顔をしたあと若干苦く口角を歪め、伊月は左手で木吉側の頬を覆ってしまう。
 あー、だか、おー、だか。意味のない音を出しながら。

「知らなかったのかよ」
「うん?花宮がどうかしたのか」
「・・・・・・・自業自得っちゃあそうなんだけどさー。花宮が、さあ。居なくなったって」
「え、」

 失踪。ニュースでしか聞いた事のないような二文字が頭を過ぎる。周りの喧騒がふと遠退く。なんだか足元がくにゃりと不安定になったような錯覚に襲われて、二本の脚にきちきち力を込めながら動揺の滲む声音で問い返した。

 居なくなったって、どう言う。

 己の動揺の意味さえ測れぬまま無理矢理押し出したことばの語尾は上擦り、吹き込む風の間に放り込まれて場違いなまま意味をなした。

「ことばのまんまの意味だよ。何か、学校・・・・はどうだっけ。とりあえず部活は辞めたとさ。理由が、まあ噂だけど、っや、噂話ってあんまりすきじゃねえんだけど。ざっくり言うと今まで潰してきた連中に、―――潰されたって」

 歯切れ悪く伊月は言い、いやでも噂だし、言いながら作り物じみた笑みを浮かべた。
 けれども木吉は知っている。伊月が何の裏付けもない、根も葉もない噂を語るような男ではないこと。恐らくは彼自身が花宮を見たか、彼を知る人物から何かを聞いたか、それともどちらでもない別の方法で、彼なりの確証を得たのだろう。
 伊月の口調からして、かなり有名になっているらしい噂、だ。脳裏に浮かぶ底意地の悪い男の顔を反芻しながら目を細める。ざまあみろとは思えないのは、思わないのは、優しさではないと思う。

 ふらふらと中空を漂う伊月の視線は木吉を見ない。ただ未だ騒ぎ続ける一年に対して呆れたようにもう一度声を張り上げる日向のそれだけが、いやに確実にふたりの鼓膜を揺らすのだった。

「ふうん・・・・そうなのか」
「うん、そうだって」
「そっか」

 わざと気のない返事をして、第二関節辺り、握り込んだクリップボードが突き刺さる痛みでなんとか動揺をやり過ごしながら誰にでもなく笑いかける。木吉はそうやって自分を保ってきたし、これからだってそうなのだろう。
 笑っていれば、少なくとも、誰かに何を思われることもない。内側に何を飼っていようと悟られる心配はぐんと減る。

 だから木吉は笑っていた。
 だから花宮はおれのことがきらいなのだろう、と思っていた。

「じゃあ花宮は今どうしてるんだ?部活から居なくなったんだろう」
「いや、そうじゃなくてさ。本当にことば通りなんだよ」
「、えっ」
「本当にことば通り居なくなったって。初めから居なかったみたいにどろんだってよ、あの悪童」

 詰る調子ではない、淡々と吐かれた呼称にしんと心臓の芯が冷える。どうせなら嫌なやつのままで居て欲しかったとでも言いたそうなその口調に、常ならば何かを言いながら笑うのだろう自分の口角がかちりと固まったままのことにはとっくに気がついている、のに、知らぬふりをして。
 木吉は息を吸う。どうしてだろう、吐くことは意識せずとも勝手に出来た。

「同情なんかしないけど。自業自得だって思うけど。けどさ、なんつうんだろうな、・・・・何かな」

 黒子と火神がどうでもいいことで言い争いながら、今にもお互いに掴みかからんばかりの様子で声を荒げている。ああでも少し唇の端が持ち上がっていて、間に挟まれている水戸部が困ったように眉を下げながら右往左往しているのを面白がっている様子だ。
 いつも通りの部活の風景。

「何か、呆気ないって言うかさ。あいつも壊れたって言うのが、何か、・・・・あー本もっと読むべきかなおれ」
「はは。言いたいことは解るさ」

 春のにおいがしている。
 この柔らかさを暖かな光が差し込む体育館で感じていないのだろう男のことを思えば、何だろう、案外毎日は平凡に回っているらしい。
 何も知らずただ笑っていたいつかの日、盛大に壊されたのだろう花宮が必ずどこかに居たことに思い当たって、ぞろりと背骨が震え上がって、脳の奥が何とも言い難い虫唾が走るような痛み方をした。

 花宮。

「・・・・・・あいつも、バスケ、やってねえのか」

 奇しくも悪童・花宮真は、鉄心・木吉鉄平が誠凛のマネージャーとなったその日に霧崎から忽然とその姿を消し去ったらしい。
 静かに言う伊月の声が、何故だか耳の中いやに響いてころころ転がる。


まだ息をしている夢




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