ハナフラシ


 目の前に突き出された余りに体躯に似合わないカラフルは僕が抱えきれないほどの量で、気を抜けば一輪と言わず二輪三輪、こぼれていってしまいそうだ。揺らぎ、支え。傾き、慌てて抱え直して。
 腕ひとつでつくった円。そこから溢れる、カラフル。

「・・・多いとは、思わなかったのか」

 あきれてしまってそれだけを告げれば、嬉々とした様子の敦と苦笑を浮かべつつも満足げな涼太がふたり同時に首を傾げて、まさかとでも言った風に目を見開くものだから。
 咎める前にわらってしまい、そのままくすくすと溢れる愉快さのまま身体を揺する。

 だって辺り一面、独特のにおいで満ちているのだ。鼻を撫でる一枚隔てたようなにおいはきっと束になってやっと発せられるものに違いない。甘ったるい訳ではないのに、甘いとしか言いようのないにおいはあまり嗅ぎなれていないもので、少し鼻から空気を吸うだけで胸一面にそれが広がる。

 くす、と。やはりついそうやってわらってしまう。

「最初はひとり一輪ずつってことだったんスけど、」

 と、そう言いながら頭を掻き、やっぱり苦くわらったままの黄瀬が若干居心地が悪そうに身を捩る。申し訳なさそうにひそめられた眉、一応やりすぎたという自覚はあるらしかった。
 仕方ないなあと、黄瀬の額を小突いてやりながら敦を見やればこちらは喜色満面、達成感に満ち溢れていたのだが。

「どんどん増えちゃってねえ」

 スタンスだけは困ったように見せ掛けようとしているらしい紫原は首をすくめつつ、今この瞬間にも突き返してやろうとしている俺の腕いっぱいのカラフルから絶妙のタイミングで逃れやがる。するり、踊るような足取りはやはり機嫌のよさを前面に押し出していて、珍しくも邪気のないえがおなんてものさえ浮かべているものだから、つい叱るタイミングを逃してしまった。

 言おうと思っていたことばすべてがどこかにくるくる飛んで行く。仕方ないから、自分から寄って来た紫原の額にもきつい一発をお見舞いしてやった。低く唸り声を上げた彼には気がつかないふりをして。

「ひとつの色につき十本くらい、・・・えっへー」
「全く。・・・・って、ピンクまである。彼女まで混ざったのか?本当にお前達は」
「ほめられる覚えはあってもおこられる覚えはありません」
「黄瀬、今の紫原のせりふを繰り返せ」
「断固拒否っス」

 男三人、内ふたりは規格外のサイズでかつひとりは目付きが異様に悪く、ひとりは過度に華やかな顔立ちをしている。髪色も特殊であるし、目立つに違いない。
 そんな三人組と、花束。しかもかなりおおきくカラフルなでチューリップばかりの。

「・・・絵面的に厳しいものがあるな」

 ちなみに初期段階での突撃メンバーは桃井と黄瀬だったらしい。何故彼女が紫原とトレードしてしまったのか、心底嘆かわしい事態である。後で誰かひとりを掴まえて問い詰めなければならない項目がまた増えてしまった。
 今でもよかったが、ふたりが余りにも嬉しそうでつい言いあぐねてしまう。ままに、絆されて流されている。だからもう、後でいい。

「いやいやいいと思うぜー、にあってる!カラフル!彩り鮮やか!」

 てのひら同士を打ち合わせながらきゃらきゃらと紫原はわらい、黄瀬は申し訳なさそうではあれど心底嬉しそうにしている。人通りの多い道だ、怒鳴りつけたところで無駄に目を引くだけだろう。

 言い訳を、それにして。
 咎めもせず、然りもせず、何も言わずに紫原の真似でちいさくわらった。溢れんばかりのカラフルなチューリップを抱えてわらう、だなんて俺には似合わないことこのうえなかったけれど。

「いつもありがとう、赤ちん」
「なんて事のない日だけど、日ごろの感謝をってやつっスよ。誕生日はもっと盛大に行くんでそこんとこよろしく!」
「――――唐突だとは思わなかったのか、お前等」
「チューリップが安かったんスよ、どうしてか」
「そしたら見事におれたちの色でカラフルだもんよ、買っちゃったね。衝動買いってやつを知ったー」
「人生のステップアップを手伝えたようで何よりだよ・・・・」

 花がこぼれる。一輪、二輪、足元がカラフルに埋まって行く。拾おうとしてはこぼして、その滑稽さをわらいながら紫原がぐうんと長い腕を広げた。黄瀬は何をしようとしたか解ったらしく、やっぱり困ったようにわらったまま。

 花束が奪われて。
 色鮮やかが降る。

「道の真ん中なんだけどね、ここ」
「掃除すればオーケーオーケー」
「花を掻き集めてはいつくばるモデル、いかがっスか」
「ごめん黄瀬ちんそれ格好いくない」

 腕の中から奪われたと思った瞬間撒き散らされた大量のチューリップに、しばらく呆然としてしまう。掃除はどうするんだ、とか。勿体ないだろう、とか。兎に角そんなことを言おうとしたところで、

「ハイもう一度。いつもありがとうございます!」
「あざまーす」
「ちょっとらむくんもう一回」
「黄瀬ちん、おれ羊じゃねえから」
「らむさきばらくん」
「うん惜しい」

 叱るのも咎めるのも後にすると決めた。意味の解らない唐突過ぎる紫原と黄瀬の行動、他の奴等も噛んでいるらしい突飛な行動も今は受け入れると。

「馬ァ鹿」

 言いながらふたりの前髪を掻き混ぜる。俺よりも随分と高い位置にある頭に掴みかかるようにしながら、久しぶりに腹の底から声を上げて笑った。馬鹿、馬鹿じゃないのかばーか。繰り返しながら延々、犬でも撫で回すような仕草で撫でる。そうしてふたりともいやがらないものだから、俺も愉快になってくる。

「有難う。嬉しいよ」

 紫原は軽やかにわらって、黄瀬は気取った仕草で腰を折り、滑らかな動作でちゃっかりと黄色いチューリップを差し出して来た。



ねえここでキスしようか


 声の端が風にさらわれて飛んで行く。風になぶられた柔らかな音を中途半端に受け取ったおれのてのひらは行き場なく彼をおれの間の空間を探って、なんにもなくて、ぱたりと脇に落ちた。
 目の前で赤司くんは酷く楽しげに笑っている。このひとはきっと、おれに声が届かないことを知った上で語ったんだ。

 とても大事なこと。おれが聞かなければいけないことを。
 相も変わらず、悪趣味だ。

「・・・・それで降旗くん、どうなんだい」

 何が、とは言えないまま、ただただ酸素ばかり吸い込むくちびるの開閉をくりかえす。そのさまをまるでぶざまだとでも言いたげに眺める赤司くんの視線の喜色のはらんだこと。胸が酷くざわざわとして、十本も有るゆびが無駄に空気を掻いた。

「すぐ、答えてくれると嬉しいんだけどな」

 何を。

 唇を噛む。くるくると思考ばかりが巡るけれど、何もいえないままだんまりだ。赤司くん、おれは何と言えば。途方に暮れてつまさきから頼りなく伸びる影をただひたすらに見詰めた。

 薄くも濃くもならない、どこにでも落ちているありがちな体躯をした平たい影が地面を這って赤司くんのところまで伸びている。
 その頭の辺りを踏みつけているのは赤司くんの靴底で、おれが言いよどむたびに、シンプルなデザインのハイカットブーツは左右に揺れて影をなぶるのだ。

 嗜虐的な趣味は持ち合わせていないひとではあったが、このひとはどうにも、おれが困っている図がたのしくて仕方がないらしい。確かに彼が誰かを困らせる、ほどに距離を詰めているすがたは見たことがなかったし、キセキの連中はいちいち彼の一挙一動に反応もしないのだろう。
 それはわかる。わかるのだけれど、赤司くん。君はなかなかどうして扱いづらい。

「はは、降旗くん。何を悩んでいるんだ。質問されたからって答えてやる義理はないんだよ?試験問題ではないんだから」
「お、おー・・・・?」

 理不尽なことを言って両手を広げて、赤司くんは一歩おれに近寄ってきた。今度は心臓の辺りを踏みつけた靴底をぼんやり眺めて、知らず詰めていた息を吐く。それでも胸のつかえは、取れない。
 ずうっとそうだ。赤司くんと居るときに、おれの心臓はいやに張り切って活動してしまう。どくどくばくばく。そんなにならなくてもお前が機能しているくらいちゃんとわかってるからさ、と、説き伏せてやりたいくらいにうるさい。

 今も、耳元で鳴り続けるどくどくばくばくのうるさいことうるさいこと。赤司くんが踏んでいる影ではおれの心臓は潰せないから、うるさいままで、なきやまない。

 馬鹿だ。

「答えてくれなくても構わないさ。きっと君はいいよ、って言うもの」
「そうかな」
「・・・・・・ふ、どうかな?」


 言うだろうな、胸を押さえながら願うような調子で思った。だろうよ。おれはこのひとには誰よりもやさしくしてやりたい奴だから、きっと、うんいいよって、どくどくばくばくうるささに気をとられてろくに思考もしないまま言うんだろう。
 それをおれは、わかってて。赤司くんも知っている。

「ねえ、降旗くん」
「なに」

 先が続かない。ふつりと途切れてしまったことばの先は、とっくに、とっくに赤司くんに食われている。おれがいいよと言う前に。
 左胸を赤司くんのてのひらが押す。どくどくばくばくきっと脈動が伝わっているんだろう、そればかりが気がかりだった。



ボックス


 ヒールが床を蹴った。
 軌道のままにぶうらり、空気のなかをおよぐ。

 吐く息は僅かに震えていて、確かにほとんど素足のような状況だと思い当たってすこしばかりはやいヒーターのスイッチをつける。ゆっくりと温風を部屋に送り出すそれが、部屋中を暖めるのはまだもうすこし先だろう。

「悪趣味、」

 と、赤司っちはぼつりと僅かに語気を荒くして言いながら左右非対称のひとみでおれの目を射た。透き通った真っ赤と、光の加減では金にも見える限りなく橙に近い暖色のふたつのひとみ。
 そのどちらもが美しく、そのどちらもがひとつしかないことが悔やまれてしまうほど。

 まくりあげられた学ランのズボン、裾をなぞりながら少しだけ嫌悪を浮かべて赤司っちは顔を歪めた。おれに、と言うよりも先にその足に絡みつくミュールの方が鬱陶しいらしく、揺らしては床を蹴って床を蹴っては足を揺する。そのたびにフローリングには細かな傷がついていくのだけれど、糸のようにえぐれていくのが猫の爪とぎのあとのようで思えてきて何と咎めることも出来ずに一度へらりとわらってみた。
 悪趣味、と赤司っちは繰り返す。

「でも。似合ってる」

 真っ赤なミュール。ぬらぬらと光沢のあるルージュみたいな赤。白い足に絡みつくそれは何だか耽美的で、学ランを纏う足にと言うちぐはぐさは逆に艶かしく、性欲に結びつくような直接的なものではないと言うのに婀娜めいている。
 素直に奇麗だと思った。賞賛のことばを上げるとするのならば、色っぽいでも美しいでもなく、奇麗一択。

「・・・・おまえは所有欲の塊だな。否、支配欲と言うべきか」
「ううん?」

 首を傾げてひとつ笑えばわざとらしい溜息が当てられる。
 かつん、また傲慢な音を立てながらヒールは床を蹴り、赤司っちはせせら笑うように口角を歪めた。

「今さら猫被ってどうする。僕相手に」
「、アッハ。良いじゃないっスか、似合ってるんだから」
「ならお前が履け。黒が良いと思う」
「まあ、またの機会にー、ね」

 赤い靴か。悪趣味、と同じ調子でそう吐いた赤司っちは鈍く笑ったまま乗り上げるようにして腰掛けていた机から飛び降りて、ご丁寧にフローリングをえぐっておれの前に着地する。
 猫のよう。しなやかな動きでするりと顎の下に滑り込んできた彼は、けれど甘えるような調子など微塵もない。

「踊り続けろって?」

 ひとにはさらりと黒を進めたくせに、彼自身は靴を脱ごうとする素振りなど見せずに目を細める。ただ不快感を表すようにまたひとつがつりと床を蹴るだけだ。

「・・・・どう、っスかね」

 赤い靴。童話のひとつ。黒い靴を履いていかなければならないのに、少女は赤い靴をあまりにも気に入ってしまってどうしても欲しくなってしまって、赤い靴のままに境界に赴いてしまう。そのまま踊り続けることを強いられ、踊り踊って最後には――――。
 どう、なったっけ。

 赤司っちのゆびさきがおれの目尻をすくって、いささか乱暴に、ぬぐうような仕草で親指が押し付けられる。体温は低く、冷たかった。

「でも、そっスね。赤司っちがおれの傍でってんなら、すませんちょっと、甘美な響きー・・・っス」

 自分を蔑ろにしながら他人にとくべつやさしいのが赤司っちだったけれど、とくべつやさしいだけで執着はしないのだ、と知ったのはいつだったっけ。高校の公式試合ではじめて目が合ったとき、まるで興味がなさそうにおれのうえを滑って行った視線の無色さを今でも覚えている。けれど、もしかしたらその前から赤司っち、は。

 おれのことばを馬鹿にする。
 と、思ったのに。赤司っちは驚いたように軽く目を見開き、視線を彷徨わせながら薄くくちびるを開く。
 でも舌はことばを発することもないまま、数度呼吸を繰り返しただけでぴたりと閉じた。まるで興味がなさそうに。まるで、どうでもよさそうに。

「そうしたいなら、そうすればいい」

 高く。硬質に。傲慢な音がひとつ、がつん。赤司っちはヒールでフローリングを蹴る。ここ家賃高いんだけどな、とか今更ながらに思って、やっぱり今更で打ち消した。

 強引に靴を履かせて。所有のしるしのように真っ赤を飾ってみても、赤司っちは誰のものでもない赤司征十郎として確立し続けている。それが少し寂しくて、どうしようもなく愛しかった。すきでたまらない彼そのものだったから。
 何と言うか、ジレンマだ。所有したいと願うのに、てのひらのなかに収まりきるほどのひとになってしまった誰かにおれは執着しないんだろう。淡白な自覚は、ある。

「お前が所有する未来、支配する先、それくらいには耐えられるぜ」

 嘲笑気味にめくれあがった赤司っちの唇の端から覗く犬歯の鋭さに、思わずおれの唇からも笑みが突いて出た。ぞぐりと背骨が震える。



執行猶予付きのジエンド


「爆弾を持っています」

 と、棒付きのキャンディを持ち上げて敦は軽やかに笑う。ただそれは、まるであぶくでも吐き出しながらのようにおぼろげで頼りが無く、どうにも歯切れが悪い。
 どうしたと問い返す代わりに続きを促す。ポップな装飾が踊るカラフルを握り込んだ敦は少しだけ目を細め、飛び出した棒の部分を空いた片側のゆびさきで突いた。

「これが起爆ようのスイッチ、みたいなので」
「折るとドカン?それとも押せば、か」
「んー」

 イチゴショートケーキ味、とか言う、およそキャンディに仕立てるには向いていないだろう味を主張するそのキャンディを透かして見るかのようにして目前まで持ち上げて、彼はゆらり、揺すぶるような仕草で前後に身体を揺すった。
 こどもが愚図っているようにも見える動作はそれこそこどもじみていたけれど、ひとみばかりがおとなびて冷えている。これが爆弾だなんてそんなことはない。

 そう言う、めだ。

「・・・・まあなんでもいいよ。んで、これを舐めると、いちばん大切な誰かをひとり忘れます」
「失恋したおんなに売れそうだな」
「やつらは傷心がすきだから、売れないよー。まあ、そんで」

 ほんとうに今さっき恋を失くしてきた少女が聞けば怒り狂うだろうことばを何のことはない、しらりと言い切ったそいつは酷薄なまなこのままにキャンディを握ったままのてを揺らす。棒が突き出ているのがなんとも滑稽だ。
 敦自身も思ったのだろうか、突いたそのままゆびさきでつまみ、爆弾キャンディに突き刺さる棒を軸にしてカラフルをくるりと一回転させる。爆弾だろう。思わず言いそうになって、我ながら馬鹿みたいな思考にひとり顔を歪めた。あまりにもこどもじみている。

 怠惰な雰囲気を撒き散らす敦はソファの背もたれに体重を預け、脱力しきったまま僕に向かっててのひらを差し出した。
 正しくはキャンディ、だろうか。おおきなてのひらにちょこんと大人しく乗っかっているイチゴショートケーキ味は何とも大人しい。

「この飴を舐めなければ、これごとどっかんです。ゆえにあれね、たいせつなひとも、君自身も、例外なく木っ端微塵」

 ん、の音でもう一度くるりとキャンディを回し、僕のてのひらに物騒なそれを押し付けて敦は今度はポケットからもうひとつキャンディを取り出す。今度はひとつずつ包装されているタイプのやつだ。
 ちなみに味はモンブラン。ケーキを別のかたちで表現できるわけがないと言うのに。

 モンブラン味のキャンディのつまみ上げ、僕のてのひらの上に放り込んだ敦は誤魔化すように首を傾げる。これも爆弾です。
 雰囲気は未だ怠惰。声音はふわりと浮いていて、ことばの一区切りごとに深く深く息を吸う。丁寧にことばを文章にして吐いて行く彼は珍しくもまっすぐ僕を見て、常のようにうろうろとどこを見ているのか解らないほどに視線を彷徨わせることもなかった。

「この飴を舐めると、忘れたいやでたまらない何かをひとつ思い出します。舐めなければ全部忘れて、そのままあなた以外がどっかんです」
「何を忘れたのかが解らなくなる、と言うことか」
「いえーす。それを回避したければ、忘れたいほどの何かを思い出さないと行けません」

 モンブラン。イチゴショートーケーキ。僕のてのなかに収まるふたつのキャンディは、僕が思う以上にまがまがしい効力を秘めているらしい。思って、息を吐く。ああ馬鹿馬鹿しい。

 それでも聞いてしまうのは、ひとつひとつを継ぎ接ぎあわせるような確かめ方で敦が話すからで、声の音がどこまでも優しいからだろう。
 語る。それが近い。
 または説き伏せるかのようなまどろみを誘う声音のままに、とろりとろりと敦は舌から文字を落とすのだ。

「このふたつの爆弾を合わせると、時限爆弾に進化します」
「へえ、」
「カウントは10。それまでに逃げ切らないといけませんが、そんなこと、出来る筈もありません。・・・あ、何でかってきかないで」
「ふ、心得た」
「その時限爆弾のカウントが0になったときに、あなたの世界はエンドです」

 どっかんじゃあなくてね。
 なんて、言いながら。敦は軽やかに笑い声を上げた。空気中に織り込むかのような笑み方で、三度けらけらけら、と。

「どうする?」
「どうするも何も」

 てのひらの上でふたつ、カラフルな棒付ききのものと落ちついた秋色の配色のされているキャンディを転がして、僕も敦の怠惰を真似ながらそれを投げだした。

「世界の終わりなんて言うけれど、思い出すことも忘れることもひとを変えるじゃないか。そんなの終わりと大差がないよ。世界か自分か。それは些事さ」
「、わはは」

 イチゴショートケーキ味。忘れる爆弾。それを僕のてのひらからすくいあげた敦は今にも崩れてしまいそうな頼りないてつきでカラフルを破いて、乳白色と桃色が交じり合ったような独特の色をしているそいつに噛み付いて、笑う。
 誰を忘れようかな。そんな風に揶揄しながら。

「赤ちんには、それをあげよう。思い出すやつ」
「・・・・・・どうせならそっちが欲しかったな」
「わっははー」

*

 なんて言う、いつかの誰かの笑い声を思い出しながらモンブランとか言う奇妙な味をしたそいつを洗面台に吐き捨てた。悲鳴を上げることも無く、ごろり、ただただわざとらしい仕草で孤を描いて白の上に踊ったそいつがかつと音を立てて栓にぶつかり動きを止める。
 忘れて、どっかん。たった数ヶ月前の軽い声。
 そうなれば良いのに。思いながら水を出し、ただ丸いばかりの薄茶色に冷水を浴び掛けた。

「敦、」

 お前はきっと、あの日のことは忘れてしまっているのだろうね。

 イチゴショートーケーキ味はまるで想像できなかったけれど、僕はそれを舐めることは無いのだろう、一生。
 このモンブラン、とか言う珍妙な味を口に含んだことであの戯れの会話を思い出したのだから、ある意味で居て敦の台詞は正しいのだろうか。

 ふと見た窓の外はもう暗い。さきほどまで夕焼けが差し込んでいたはずの部屋は暗く、何も見えないほどだった。

「お前が、僕を忘れていれば良いのに」

 呟きに意味は無く。ただ声ばかりが闇に解ける。僕に時限爆弾はもう、作れない。ただゆるやかに気道をふさいでいくこの甘みは、いつか僕の喉を締め上げるのだろう。