ゆうらり、と、目の前でかりそめの海がかしいだ。

 かれと海をへだてるとうめいは、薄くみえるけれど実はとてもぶあついのだという。とうめいなだけで、向こう側がすけてみえるだけで、ぶあつくどうやっても割れないほどの質量でそびえているのだ、と。

 さかながおよいでいた。
 酷くカラフルな、みたこともないさかな。ここはどうやら熱帯魚たちのすみからしく、いたるところにびらびらと尾をはためかせていたり模様だらけのおしゃれさんだったりのさかなたちが好き勝手に過ごしている。
 バタフライレインボー、そう書かれている札のまえ、ちいさな水槽を熱心にのぞきこんでいる赤ちんをぼんやりと眺めながら、おなかすいたな、とかおもう。どうでもいいことだ。

 赤ちんは水族館ってところがすきらしく、この前どこにいきたいのーとかかるく問うてみたところ、考えもせずにかれはこたえた。

 にせものの海にいきたい。
 そこで、素直に水族館とこたえないわかりづらいひねくれかたが赤ちんらしくもあったし、あいかわらず面倒くさい人格のかくりつのさせかただよなあとおもったのも事実である。面倒くさいのだ、赤ちんってやつはほんとうに。

「かわいそうだねえ」

 と、しみじみとかれはいった。熱心にのぞきこんでいるくせに、ふたつしかない眼球を一生懸命に回しながらさかなをおいかけているくせに、酷く冷えた声音で赤ちんはそう評する。

 かわいそう。かわいがるような甘ささえ織り交ぜたことばをバタフライレインボーのえらにつめていく、ような。
 とじこめられているからかわいそう、なのか。いきているのに必要とされているのはいきることではなくみられることばかりだからかわいそう、なのか。よくわからない。
 でもきっとこのひとは、いきていようがしんでいようが、それこそみなもに浮いたさかなにだってかわいそうだと同じことばを掛けるのだろう。

 面倒なひとだ。
 同時に、それでこそかれだとおもいも、する。

「・・・・・さかな」
「かわいいかい?」
「べつに。食えないんでしょ、これ」
「残念ながら観賞用だろうが・・・・否、案外焼けば。どうだろう」
「えっ。ううん、煮付けは?」
「あまりにざかなはすきじゃあないな。皮がぐちゅぐちゅになるのがどうにも気色悪い」

 気色悪い、といいながら、赤ちんはゆびのはらでちいさな水槽をなぞって無遠慮に脂のあとをつけながら、およぐさかなのうろこを辿る。いつだったかユーコミスの花を手折ったときと同じようにやさしいばかりのてつきで。
 慈愛にみちたそのひとみの意味はうまくつかめないまま、背後の巨大な水槽のなかをただようまたまたおおきな鮫を振り仰いだ。

 空でも飛べそうなおおきなひれのくっついた、鮫。何だったっけ、なんたらざめとかいうやつで、人は食わない主義らしい。
 どうして羽があれば空は飛べるってのに、ひれでは飛べないのだろう。やっぱりどこかのだれかのかみさまは、不平等にいきものをつくったに違いがない。
 ああだから、かわいそう、なんだろうか。空を飛べそうなひれがあるのに水槽なんかに、水の中なんかに置いてかれて、にせものの青色のなかをそこがすべてみたいに飛んでいる。さかな。

「ふ、・・・・かわいそうだ」

 かわいそうだということは、見下すことと同義だという。赤ちんの受け売りだ。

 ゆえにだろう、赤ちんは対等にあつかっているにんげんや大事にしている誰かにたいしてそのことばをかけたことはない。落ち込んでいるひとのはなしを聞いてやったとき、どうにかしてやりたいとおもってもどうしようもないとき、彼はただひとこと頑張ったんだね、という。それはかわいそうだね、なんて絶対に、いわないのだ。
 ただ反対に、その落ち込んでいるないように対して赤ちんが見切りをつけたり不快におもったときは、とびきりの笑顔とともに彼は甘く囁くのである。
 それはかわいそうに。きみはまるで悲劇のヒロインみたいじゃあないか!

 瞳の奥、確かに侮蔑をおよがせて、とびっきりの甘さでつむがれるかれのことばはいつも的確に鼓膜をからめとる。どうしようもない甘ったるさでつくられたことばは、一瞬、見放されたと見下されたと気づかないほどに乙女ティックな幻想のなかに閉じ込められたような響きを持って脳髄に突き刺さるのだ。
 わらっているのといきどおっているのと、ないまぜになってどうしようもなくなりました、みたいな顔で赤ちんの前、かれに見下されていた子のなんと多いことだろう。

 自然にひとを従えるひととはすなわち、何の抵抗もなしにするりとひとを見下す、ひとの上に立つ、そういうことだ。
 山の頂上ってところは総じていちばん狭い面積だというのに、てっぺんに居る赤ちんのかんがえることはおれのはいつもよくわからないけれど。

 とりあえず赤ちんは、いつのまにやら黒ちんと峰ちんのこともかわいそうだというようになっていた。それだけのことだ。

「・・・・鮫」
「ああ、ジンベエザメさ」
「にひき、いるね」
「水槽がばかみたいにおおきいとはおもっていたが、ふうん、だからか。なかなかに愉快ないきものがいるね、ここには」

 後ろにはちいさなちいさな、水槽。そしてめのまえにそびえるのは、巨大な、海になりそこねたようなやすっぽいあおいろをした水槽、うつわだ。
 頬にあおじろい光のような、波のような、何とも言いがたいそれがもようをつくることを静かにゆるしていた赤ちんもまた、無感動に水槽をみあげていた。おれたちがいる三階と、すこし階段を下りた先の二階。ぶちぬいてつくられているらしいこのおおきなコップには、やっぱりいつみても何ともおもわないさかなだったり、ジンベエザメだったっけ、が、何も知らずにおよいでいた。

 たしかにほんものの海とか、真上のひかりは太陽である海中だとか、舌を出せばきっと明確に味覚を刺す塩味だとか、そんなものをしらないまま、まるでぶあついとうめいにくぎられたそこが世界のすべてみたいにしているそれらはやっぱりかわいそうなんだろう。

 赤ちんの、白いシャツをまとった背はほそい。そして、何故だろう、薄いようにもおもえた。筋肉をまとった上半身をみたことがあるし、試合中にさらけだされているかれのうでだったりあしだったりは無駄なく鍛え上げられている。
 だというのにいつもおれはこのひとのことを、ちいさいなあとおもうのだ。よわい、ではなく、ただちいさい。それでおしまいといえばおしまいなのだけれど。

「スカイダイビングとかたのしそー、かも」

 目尻にかりそめの海をおよがせて。
 振り返った赤ちんはどうしてか神妙な顔をしたまま、ふとももの横の空気をかくようにしててのひらを一度にぎって、そんでひらいて、未だにすこし眉根をよせたままくちをひらく。

「・・・・たとえばいるかか何かとかちあったとして、どちらが海中の生物なのかわからなくなるかもしれない、という危険をおかしてまでおまえがトライしたいというのなら。僕は僕の精一杯を持って目的の達成に尽力しよう」
「なぜそうもかっこうよく宣言するのかね赤司くん」

 ながぜりふのわりによく動く舌だなあとか、ジンベエザメおおきいなあとか、ちょくちょくよけいなことをかんがえつつおれのせなかをくるりとまるめる背骨を揺らす。ごきん。硬質な爆発音がおれと赤ちんのあいだを割った。ああ呆気ないことだ。

「答えはかんたん。僕が、およぐことはすきではないからさ紫原くん」
「それを主張するためだけにないがしろにされたおれの人権とこのかなしみはどうしてくれようか」
「犬にでも食わせておけ」
「夫婦喧嘩じゃないんだから」

 突いてやろうか。ふと、おもう。
 めのまえでゆらゆらゆれる海のなか、かれのほそいせなかをそこに向かってとんとおしてやろうか。きっと簡単だ。かれはしぬそのときまで空を飛んで、水槽のなかではできなかった浮遊を経験する。
 もう、胃の底でかなしみばかりを飼っているようなこのひとを、日々をやりすごすようにしていきているこのひとを、まるで水槽じみた世界から突き飛ばしてさよならさせてやろうか。

 衝動だった。

「まるで羊水のようであるだろう」
「・・・・え、」

 ころり、と、緩慢などうさで瞳はころがる。おれを捕らえる。赤ちんの瞳孔をいろどるのは、かなしみでもなく、でもあきらめににた色をした、奇麗なばかりの青いひかりだった。
 突き出していたてのひらのいきさきを迷子にさせたまま、ううん、曖昧にことばを濁して首をかしげる。今度は背後の水槽にまた指の脂のあとをべったりとやりながら、赤ちんは視線ばかりをおおきい方の水槽に投げたまま、およぐのはすきではないといったことばもそのまま空中に浮かせているくせして、泳ぎたそうにながめている。
 飛びたくはないのかな。
 だとしたら、突き飛ばすのではなく、突き落としてやるほうがいくらかやさしいのだろうか。

 わからない。
 赤ちんのかんがえていることも、何をしてあげれば赤ちんはしにたがりでなくなるのかも、きっとかんたんだろうそれらのこたえが、どうしたってわからない。

「海だよ。いきものは海からうまれたともいうし―――海水は、まるで羊水のようであるとおもってからは、どうにもおぞましくてね。それを髣髴とさせる行為、すなわちおよぐことが、いつからかあまりすかなくなってしまったんだ」
「羊水が、おぞましい、?・・・・おかーさんのおなかのなかの水でしょう」
「そうだよ。だから、ぞっとしない話だとおもわないか。僕らはもう産まれたのに、産まれる前とよくにた場所が存在していやがる。・・・・それに母親の腹だから何だという。親には感謝しているし、関係だって平均的にみて良好なほうである自覚もあるが、だからと言って僕は嫌悪している羊水まではあいせないぞ」

 ぐわらん、と耳の底で音がした。ぱち、ぱち、と数度。まばたきをこぼして目を細める。そんなおれをみている赤ちんは理解できていないおれのことをかわいそうとはいわないかわりに、どこか落胆したようにふっと肩のちからをぬいた。
 おまえにはわからないだろうね、そうやってまたあきらめのようにかなしみを育てゆくそのひとの体内には、きっと血ではなく羊水がながれていた。

「水槽は、いい。わかりやすい。ここからここまででくぎられていて、うえもしたも限界がある。どこまでという疑問は存在しない。さかなたちは幸福だろうね」
「・・・・鯨は哺乳類だし」
「ふ。くじらなんか居たか、ここ」

 どこまで。
 きっと赤ちんがずうっとおもっている、こたえのないクエスチョン。僕はどこまで、―――それに続くことばをおれはきいたことはないけれど。
 赤ちんがいいたいのならば、きく。いいたくないならきかない。今日のように、ただ空間を共有しているだけで赤ちんが満足するというのならば、おれはかれをかなしみいがいの何かでみたしてやるためだけに部屋から出る。それだけのこと。

 きっとさかなが憎いのだろう。
 安穏とくらして、本来海にはたくさんあるんだろう危険もなく、餌も確実にあたえられて飢えもないような管理しつくされた幸福を、ただばりばりとむさぼるうろこまみれのそいつらのことが赤ちんはきっと憎いに違いない。

 それとも、ただ海の中水の中、自由におよげることが羨ましいだけだったりするんだろうか。

「ねー赤ちん」
「うん?」

 いっそかみさまにでもなって産まれてきたのならばもっとしあわせだったのだろう赤ちんにたいして、おれがねがうことはいがいと多い。
 それは、たとえばメールに電話で折り返してくるのは忙しいときはけっこう焦るからうれしいけどやめて欲しいなあとか、そんなどうでもいいことが大半をしめているのだけれど、いらないもの、おれが結局はゆるしてしまうことをひとつふたつを落としていくと、いつも最後にはただひとつばかりがてのひらにはのこる。

 いきてほしい。

 それだけだった。呼吸することさえ縛って、いつか自分で自分のことを潰したがるような、そんないきかたを―――またはしにかたを、しないで欲しいと。
 いつもいつも、そればかりがおれのなかを埋めるのである。

 赤ちんをみたしているものがかなしみと羊水だとすれば、おれをかたちづくるのはおれ自身とお菓子と赤ちんだ。赤ちんとちがって、自己を定義するときにおのれをはじく、なんてばかなまねはしないのだ。
 かわりにとばかりに、心臓ちかくに居座る他人、赤ちん。
 だからしなないで欲しい、そんなふうにしておれのことにすりかえてお願いすれば、赤ちんはぼろぼろでになっても倒れそうでもしにたくなってもいきてくれるのだろう、‘おれのため’に。

 でもそうじゃない。おれは、そうやっていきて欲しいとはどうしたって、おもえなかった。

「ハッピーバースデー」

 オーキッドグレープフルーツ。鮮やかないろのくだもの。みたいないろの、赤ちんの髪。
 たべてやろうとおもった。赤ちんがきえてしまいたくなったとき、およぐのも飛ぶのもままならないときは、おれがぜんぶたべてやろう。かなしみだってきっと、麻痺しきったおれの舌ならおいしくおいしくたべつくせる。

「あんたがいたからたのしいって気づけたことは、けっこうたくさんあって。だからハッピーなバースデー。おれにとっては、だけど」
「、敦」
「ほら、昔の・・・なんだっけ、えらいひと?もいってたじゃん。人生は五十年だよーみたいなこと。そうやって仮定してもさ、赤ちん、今のおれたちはさ、まだ五分の二も寿命をまっとうしてないんだぜ」

 海と空はにているのだなあと、だれしもがおもうだろうことにふと、気づいた。いまさらだった。

「・・・・・・・ねえ赤ちん。あんたの来年の誕生日は、どこにいこう?」
「ら、いねん。か」
「そう、来年。まるっと365にち先。うるうどしじゃあなかったよね、たしか。あれっどっちだったっけ」
「365日、」
「んー?うん。秒で計算するとまじ気が狂いそうになるレベルー」

 くらいからだろうか、ダブグレイに染まった赤ちんの瞳は、たよりなさげにゆうらりとかしぐ。水槽の中を舞う鮫も、同じ速度でおびれをまわした。
 それをみつめている赤ちんのことは、やっぱりちいさいなあとおもう。たよりなくみえることはないし、よわいなんてとんでもないし、ただ、ちいさい細い。薄い。おれがとんっと突いてやるだけで、きっとふわりと足元の空間をおよいでしまうんだろう。
 ただ、きっと。それは赤ちんにはやさしくても、それいがいにはとんとやさしくはない行為なのだろうから、おれはいつまでたっても彼の背中を突いてやりはしないのだ。

 いつでも突いてやれる距離に居ながらも、居るだけ。赤ちんはおれのことをかわいそうとはいわなかったけれど、いつも、酷いやつだといってわらった。

「でも、いきて」
「一年か。・・・・長いな」
「ながいよ。でも一年だけじゃない。もっとずっとさきまで、赤ちん、あんたにはいきてもらう。おれのために」
「はは、甘美だね。誰かのためにいきるのか」
「いんや。おれはただのすきまをうめるための何かさあ」
「と、いうと」

 いろちがいの瞳が一点だけ、真珠のような白さをもってつるりとひかるのはどこのライトのせいだろう。
 人形じみた無機質さは、いっそ彼にはにつかわしい血の通っていない体温を髣髴とさせる。そうしてにせものの海でさえじょうずに泳げないんだろう赤ちんの細いうでだけがただひたすらに、―――かわいそうだった。

 そんで、それをどうにかしてあげられないおれがいちばん、いちばん、かれにとっては不必要なのだろう。
 まあ、構いやしない。赤ちんはかみさまに産まれさえすれば幸せになれたんだろうひとではあったけれど、残念ながらおれと同じにんげんだったから、かれにとってのしゅしゃせんたくってやつはおれには適用されやしない。
 すきにいきるだけだ。
 しにたがるように呼吸をくりかえす、面倒くさいひとの少し後ろで。

「いつか赤ちんがいきたいって願うときまで、おれのためにいきてってことだよ」

 一拍。もしかしたらもっとずっとながく。
 じかんをおいて、そのひとはぽつりとひとことだけことばを漏らした。平日の、いっそだれもいないような海もどきのかたすみで、さかなにさえなれないままこまったような顔をして。
 それまでは、いいのか。

「いきていいのか」

 なんで。細い肩をつかんで、割れてしまいそうな骨ごと遠慮なく揺すぶって、そんなふうに叫びたくなる。なんでなの。どうしてそんなことさえ誰かにきかなきゃままならないわけ、あんたは。
 なきたくなる。わけもなくではない、わけあって、赤ちんがあまりにもかなしいことをいうものだから、どうにもできないおれの無力さとともになきたくなる。
 それでもなかないのはきっと、赤ちんがなかないからであり。
 それまではいきたいのだといっているふうにもとれることを、赤ちんがいったからでもあるだろう。

 おれの喉にゆびをかけているのはいつも赤ちんただひとりだったから。

「―――・・・・いきていーよ」
「そう、か」
「あんたはそのまま、ずっとなにもわからないまま、なんで勝たないといけないのかさえわかっちゃいないまま、ずるずるみっともなくいきてればいい」
「そうか」
「そうだよ」
「敦のためでもある、僕が、いきること。いきてもいいこと、か。それはほんとうに、―――なんて甘美なことだろう」
「っ、ばかじゃねえ」

 赤ちんはいつ、いきたいとこぼすのだろうか。
 産まれてくる方法をまちがえたまま、ただ羊水ばかりをうらんで、かみさまを信じず、にんげんであるのにかみさまじみたことをやろうとしてじじつやっちゃって、それでも破綻せずに機械的にまわりつづける赤ちんというひと。完全で完璧で、どこまでもあやうい、ような。それこそ一突きで飛んでいってしまうほどの軽さの存在。
 いきたい、と。いきることを自然に願望にしてしまうことが、はたしてこのおおばかやろうにはいつになったらできる難題なんだろう。

 いきて欲しい。今はただそれだけだ。どこまでもかわいそうなのに誰にもかわいそうだね、とかいってもらえないまま、おれがかれに叩き付けた願いばかりをいきる理由にして、いきてくれればそれでいい。

 ああでもいつか赤ちんがしんでしまうときは。そのときそばにはただひとりだけ。
 かなしみを食べつくしてあげられるように、いきたいとおもう誰かにすこしでもしてげられるように、おれが居ればと、そうおもう。



レサトを刺してあげて頂戴