結局おれが目指していたのは、いつだってひとつの背中だった。コートの上にはおれ以外に四人、いつも、すごいひとたちがものすごいプレーをしていたけれど、いつだって追うのはたったひとりだった。
 青峰、くちの中でつぶやく。ずっとあんただけだった。

 なぜかはわからないけれど、おれは黒子っちにあこがれているとか、執着しているとか思うやつがたまに居る。そりゃあ黒子っちのことはすげえと思うし、そしてもしあんな風にプレーできたのならばまた違った景色がおれの目の前にはぶわあっと、来るんだろうとも思う。
 彼の目にトリプルスコアの乱立するスコアボードはどう、広がっていたのかな。
 ただ、なりたいわけではなかった。憧れとか、そう言う感情は一度も抱いたことはない。

 黒子っちもそれは知っているだろう。あのひとの傲慢なところは、おれとよく似ていたから。

「教えてください」

 たくりと、目の前で海が揺れる。みつめながら頭を下げるおれの頭に振ってきたのは、すこしばかり驚きをふくんだ吐息だった。ふう、自然な息の吐き方は、いつも半分溺れながらぼくぼくと気泡を吐き出すおれのそれとは全然ちがっている。

「おれに、教えてください」

 重ねて言って、もうひとつ深く頭を沈みこませれば、頭に血でも上ったのか緊張からかくらりとめまいがして足元がふらついた。おい、あせったようにそのひとはおれの肩に手を添えたけれど、教えてやるとは言われていないのだ、我ながら頑固に頭を下げ続けて。
 視界にうつりこむのは、もう見慣れた腕だった。真っ直ぐにゴールにボールを入れて、ずばあんと、最後の最後にはおれに託してくれる太い腕。無骨な、おんなのこの扱い方なんて心得ていないのだろう男くさい腕だ。

 それはしっかりとおれの肩を押す。頭を上げろ。無言でそう促してくれるのに、物分りの悪い餓鬼のおれはいやいやをするように頭を振って頑なに前屈の姿勢のままで居るのだった。

「あーもー頭をよ・・・・・・上げろっつってんのがわかんねえのか黄瀬えっ!」
「いっ、でっ、すませんっ!」

 遠慮なく頭の真ん中に振ってきた拳骨に、生理的に浮かんでくる涙を拭う暇も無く反射的に叫んだ。そこでやっと顔を上げれば、胸の辺りで拳を握って釈然としないような顔をしている笠松先輩と、その後ろでものすごい形相でおれのことを見ている森山先輩と目が合う。
 小堀先輩なんかはなんかわからないけど回りにバスケットボールばらまいちゃってるし、早川先輩はマットに上半身から突っ込んでそのまま珍しく、しずかだ。

 いたたまれなくなって誤魔化すようにへらへらわらいながら首の裏を掻いてみた。いつもなら追って響く笠松先輩の罵声もない、なにいってんのか全然わからない早川先輩はさっきのまんまでしずかだし。

「・・・・で、で、今、なんつった、?」
「―――・・・だからあの、教えてください、おれに」

 コート。真上を見上げれば、目も眩むようなライト。暗がりにはたくさんの観客。ブザー。歓声。バッシュ。ドリブル。
 そして、青。
 青いユニフォームが、踊るようにくるくる動いて、戦って、何よりも色鮮やかに輝く。

「教えるって、何をだよ。おれたちが出来ることなんておまえ、見たらすぐできんだろうが」
「見よう見まね、っス。完璧じゃない。だからおれに教えてください。・・・・教えて欲しいんスよ」

 息を吸う。もう一度、深く深く頭を下げる。やっぱり緊張しているんだろう、太股に添えた指先も呼吸も、全部震えていた。

「先輩、おれに、教えてください」

 中学二年のときから、主力はおれたちだった。かたちばかりに存在する三年生たちのことを先輩とからっぽに呼ぶことはあれど、慕ったことはない。だってこればかりは驕りでもなんでもなく、事実として、おれたちの方が明らかに強かったのだ。才能やら受験やらをいいわけにしてろくに練習もしないやつらよりは絶対に。
 ずっと、そう思っていたのだった。
 だから未だに、せんぱいの四文字はおれにとってとくべつな意味を持つ。こそばゆいようでいて焦れるような、じりじりと足の裏が走り出したそうにうずくのにずうっと後ろを歩いていたいような、それでいて胸の奥がつくりと痛んで跳ねる、高揚感みたいなもの。何と言い切ることの出来ない感情をぐったぐたに煮込んで、混ぜ込んで、やっとかたちにして呼ぶ。

「先輩」

 海常に入って初めて知った感情は多い。与えられたものも、たくさんだ。
 例えばおれを叱り飛ばしてくれると言うこと。勝ちたいと願い、最後まで諦めずにずるずるとしがみついたままのみっともなさ。おれの無力さ。以下もろもろ。
 数えても数えても、溢れてくる。

「おれ、強くなりたいんです」

 未来に行くには、ひかりを超えなければいけないという。ひかりよりもはやく進んで、超えて、それでやっと未来にいける。タイムマシンの完成だ、と。
 おれは未来に行きたかった。前に進みたかった。全部全部おいてけぼりでも構わない、目の前のこのひとたちと一緒の未来へと、行きたい。

 トリプルスコアのスコアボードなんていらない。圧倒的、そのことばに秘められたあまりに荒んだかなしみを、おれはもう、ずっと前に見たのだから。それでもなお餓鬼なまま欲しいと駄々を捏ねられるほどでは、どうやらないらしい。
 僅差、追いついたと思えば引き離される、ひっくり返してひっくり返されて、しんどいばっかりの試合。勝てる自信も、裏打ちもない。
 たのしかった。

 たのしかったのだ、そんな試合が。
 このひとたちとそんな試合をできたことが。できることが。

「勝ちたいんです」
「、黄瀬」

 それでも、結局行き着く答えは誰だってひとつだろう。誰だって勝ちたいと願うはずだ。

「おれ、胸張って、エースですって言いたい。キセキの世代だからじゃなくて、実力があるから認められているから、エースなんだって。言いたいからだから、お願いします。偉そうなこと言ってる自覚もあります・・・・でも、おれ」

 いつもひとりだけだった。
 先へ先へ、すっげえはやく、脚力どうなってんのってくらい前ばっかり進んでいたひと。たまに振り返って気紛れにボールを投げて寄越してきても、またすぐ前向いちゃってけらけら高く笑いながら先ばっかり。
 ひかりの中へ。真正面から突っ込んで、目、痛くないんだろうか。

 ただ振り返ることすら忘れてしまったひとのことを、今のおれはよく知らない。ああでもはじめて負けたときのあのひとの、呆然とした表情。何も見えていないような一瞬の後、誰も、たぶん本人さえ気付いていない一瞬彼は口角をゆがめていた。
 ぎり、と、口角は釣りあがって。笑っていた。いびつだった。

 それでもわらっていたんだ。ぞくっと、するだろ。するに決まってるだろ、そんなもん。辞めちゃうんじゃねえかってふっと思ったそのときにそれだ。ぎらぎら目光らせて、楽しくて嬉しくてたまらないのと哀しくてくるしくてどうしようもないのがぐるぐる混ざって煮立ってとりあえず落ちた、みたいな、笑顔だぜ。
 勝ちたいと、思った。
 おれは青峰っちに負けて欲しいわけじゃなかった。だって願っているのはずっと、おれが、なのだ。おれが勝ちたい。

「ここで、海常で、勝ちたいんです!」

 叫んだ語尾は馬鹿みたいにかすれた。いっそ千切れているくらいに、聞こえないくらいにか細い。
 あー、もー、格好わるいなあ。

 『勝ちたいと思ったことはありますか』

 いつだったか黒子っちはいっていた。自分だっておなじ人種のくせに、おれたちばっかりをなじるような口調でそうひとこと。
 その頃におれは初めてピアスホールを開けて、左耳には誰だったかに貰った黒色がぶら下がっていた。決して黒子っちのことを思ってつけたのではない、これだけは確かだ。
 たぶん。恐らく。
 だっていつも自然に青峰っちに並んで歩いていた彼のことを、うらやましいと思ったことがないと言えばうそになるから。

 確かだったのはそのとき黒子っちは何かを諦めたように笑っていて、おれも希望を持たせてあげられる誰かになれるはずもなかったいから、一言、きっと彼が望んだのだろうさいごのことばを吐いてやっただけだ。

 ないっスよ。いつも勝手に勝ってる。

 次の日から部活に来なくなった彼に対して、馬鹿だなあとは思っても、申し訳ないと思ったことはない。それは今でも変わらない。
 だっておれなんかの謝罪とか、後悔とかを必要とするひとではないのだ。
 本人が思っている以上に、黒子っちは強かった。そうして青峰っちは弱かった。おれたちは―――キセキの世代は、才能だけで繋がっていた。
 それだけがすべてだ。

「・・・・早川、起きろ。小堀はボールを拾え。あと森山、顔酷いぞ」
「かっ、笠松先輩」
「あと黄瀬!」
「う、はいっ!?」

 息を吸う。吐く。たったそれだけの先輩の行為。それでもゆっくりと確かめるようなのは何故だろう。
 いつからか柔らかにおれに向けられている、先輩たちの視線がこんなにも、―――泣きそうなくらいに痛い。

「おれたちには卒業がある。最後の最後にゃ、受験なり就活なりにも本腰入れないといけねえ。ずっと、は無理だ」
「こ、ころえてる、ス」

 ふうと、放物線を描いてボールが飛んでくる。軽い独特の軌道でおれの胸に飛び込んできたまん丸に目を上げれば、森山先輩がすこしだけばつが悪そうな顔をしながらも、それでもわらっていた。
 早川先輩はなにいってんのかわかんないことばを叫んでいて、その後ろ、小堀先輩はしょうがねえなあ、とでも言い出しそうな顔をしている。

 そして真っ直ぐ、笠松先輩のマジックで塗りこんだみたいな真っ黒の瞳がおれを、みつめている。

 この、この繋がりのことを何と呼んでいいのかが未だにわからないまま、こんなにもいとしいのだ。腹の底でくるくる回ってるどうしようもない、だいすき。すきだ。恋でもしていっぱいいっぱいになってんのかってくらいに叫びたい。すきなんだ。

「でも、出来るだけ指導してやる。おまえがそういうならおれは、・・・あいつらも、かまわねえだろう。ただな黄瀬、覚えとけ。ことばどおりに強くなれ」
「う、ス」
「そんで、まあもうおまえの方が強いだろうが。おまえは納得しないだろうな。・・・・だからおまえ自身が納得できるくらいに強くなれ、おれたちを超えた、って。おまえなら出来るぞ、黄瀬」
「っ、うス!」
「よし!」

 休憩ここまで。集合!

 太い怒鳴り声が不自然に静まり返っていた体育館を割って、それをあいずにしたようにふたたび喧騒が舞い戻る。駆け足で集合してきた部員たちを眺めて、笠松先輩は、主将はてきぱきと指示をはじめた。
 それでもつい、くちもとが緩む。にやけてしまう。掛けられたことばすべてが嬉しくてたまらなかった。少しは認められたような気がして、もう、足元がましゅまろにでもなってしまったのかと疑わしいくらいにふわふわする。

 きっとずっと、追い抜けない背中なのだ。
 青を纏って、コートの上を駆け回って、どうあがいても秀才止まりのすんげえひとたちのでかい背中は追い抜けないまま、おれだけこの学校に残っているにちがいない。
 だからせめて強くなりたかった。
 そのときに、もう居ないひとたちに誇れるように、強く。

 とっくにひとりの背中を追うのはやめている。

 超えてみせる。鼓舞するように胸の奥で呟く。握り締めた拳が、知らず震えた。それでも繰り返す、馬鹿みたいに、壊れたレコードみたいに延々と。

「超えてみせるさ」

 ちいさくちいさく、誰にも聞こえないように呟いた。だいじょうぶ。おれなら出来る。もう、誰かのなりかわりではない。帝光中学校レギュラー・黄瀬涼太でもない。
 おまえなら出来るとあのひとが言った。それにことばはなかったけれど見えていたんだ、みんな、頷いてくれたこと。生意気なばっかりの一年生のことを、仕方ないなあとでもいいだしそうな笑顔と共に。
 だから出来る。出来るんだろう?

「みてろよ」

 誰にとはいわない。
 ただ黒いピアスはとっくに捨てて、今のおれの耳には海が泳いでいた。



 いつだったか聞いたはなしでは、黒子っちは火神っちに、みんなと一緒に勝ちたいのだとひきつれるような声で願いを吐き出したという。
 そうして青峰っちはバスケがしたいと、確かに、そうひとこといったらしい。



一年前と共にアイラブユウを飲み込んで



公開を今か今かと待ち望んでいた黒子のバスケ企画、深爪様に提出させて頂きました。有難う御座いました!