逆らえない。語る本能の声にめまいがした。
あした情死がきまりごと
スポーツドリンクを仰いで、飲み口を覗き込んだ彼はふと思いついたように言葉を漏らす。返事するのが面倒で、そうして同意しかねることばであったから黒子が無視を決め込んでいると、顔を覗き込んできた青峰は不機嫌そうに眉を寄せ、聞きたくもないことばを繰り返した。
黒子は無愛想な活字に落としていた視線を無理矢理に引き上げ、つうと目を細める。眩しがっているようにも鬱陶しがっているようにも見える仕草で、怠惰な仕草のまま本を閉じる。
底の見えないひとみが、揺れた。
「海ですか」
ようやっと問いに対する返答が発せられたことで機嫌を良くしたらしい青峰は白い歯を見せて笑いながら、そう、と頷く。海でも見えているかのようにペットボトルの底を覗きながら、視界にうつった揺れるみなもに青峰はちいさく笑う。
それでも黒子は面倒そうな表情のまま、文庫の端を指で撫で付け暇そうにふあ、と気の抜けた欠伸をする。興味ない、そう語る態度もものともせず、畳み掛けようとするかのように身を乗り出した青峰は、窓の外から容赦なく打ち付ける夕日をも跳ね除けてしまいそうな、実際、黒子のめにはそううつったほどの快活な笑顔を浮かべて言い募った。くちびるが語るのは、磯のにおいとなまぬるい潮水。はずむ声は楽し気に色づいている。
黒子は硝子玉のような眼球を左右に揺らしたが、思案に顔を伏せることもなく一瞬と経たぬ内に即答した。
「嫌です」
「何でだよ!」
青峰君は海が好きだったっけ、ぼんやりと考えていた黒子の机を激しい殴打の音が襲う。どうやら平手を打ち付けたらしい、思う黒子の前で、荒々しい音と共に椅子を蹴散らし立ち上がった青峰は握り拳を作りさらに食い下がる。
「海行くぞ」
「嫌です」
「電車でいっか」
「嫌です」
「じゃあ明日」
「今から行こうとしてたんですか嫌です」
「んー、行けるとしたら部活の後か」
「嫌だって言ってるのにこのひとは、」
ふう、と溜息を吐きながら、諦めにも似た色をひとみに浮かべて黒子は鈍く微笑む。拒否も確認もかたち、スタンス、青峰は黒子が付いて来ない可能性など考えても居ないし、逆の黒子もまた然りである。
ごきり、と首を鳴らして青峰は上機嫌、鼻歌でも歌い出しそうな笑顔のまま大人しく着席した。彼の頭の中には面倒なことで溢れているに違いない――思うのに、少し、ほんの少しだけ高揚するこころを自覚してしまって、黒子はいいわけのように胸中で呟く。彼が言うから仕方なく。彼が光であるから当然のことで。そうやって、仕方ない仕方ないと散々誰にともなく弁解を繰り返し、やっと納得出来たところで黒子は真向かいに座る彼を再び見上げた。真向かいと言っても、青峰は黒子の後ろの席に勝手に腰を落ち着けているだけであり、つまり向かいと言うよりは後ろと言った方が正しいだろう位置なのだが。
「海はきらいです」
「ふうん。何で」
「・・・あおいから」
夕焼けは真っ赤である。
燃え滾るような街を、いっそ残骸かもしれないそれが教室の窓枠で縁取られる光景。相変わらずの感情の欠落したようなひとみでそれを眺めていた黒子はぽつり、と呟いた。夕焼けはすきだ。だが突き抜けるような青空はその傲慢さは、きらいだ。
黒子は真直ぐ、切れ長の青峰の目を射て。やはり鈍く、笑う。
「あおはきらいです」
砂でも弄っているかのように、机の上に手を這わせた黒子は密やかに呟く。
――青峰が彼の掌を縫い止めるように掴み上げぎりりと力を込めても、海を辿るように視線を彷徨わせる。
再び口を開いた黒子は、もう一度嫌悪を伝えようと薄く口を開き、瞬間、
「だから、海は」
きらいです。
ことばは呑まれた。
「く、ッ、」
息を食うように合わされたくちびるに、ねじ込まれた舌に顔を歪めて黒子は僅かにもがいたが体格の差に叶う筈もない。ふたりの間でうるさく喚く机の音も捻り上げられた掌の痛覚も遠くへ消え、もう何も解らない。
からだの中すべてを食い荒らされているかのような感覚に襲われ、気づけば机に縋りつくように崩れ落ちていた。がくがくと笑う膝を見下ろし、黒子は海を詰ったときとよく似たかたちに顔を歪め悪態をつく――「ど畜生」。
真向かい、又は、真後ろ。目が合った青峰が好戦的な、コート上で見せるそれにも似た表情で口角を釣り上げる。
「なァ、来ない訳、無えよな」
だからきらいだ。唸る黒子の後頭部に、海って透明だよなあ何て腹の立つ声が降り注ぎ、愉悦に歪んだ笑い声を立てた。
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