いまから心中のよていなの
窓の外を景色が走って通り過ぎていく。びゅん、びゅん、見えては後方へ流れる鮮やかな色彩たちに目を細め、黒子はふと隣の金髪を見下ろした。
すう、寝息を立て熟睡している彼の顔は酷く幼い。長いまつげが頬に淡い影を落とすのをぼんやり眺め、黒子は困ったように眉を寄せた。事実、彼は困り果てていたのである。
根源は未だねむりの中。目の下、まつげの繊細な糸ではなく血流の悪い、どす黒い隈がぺったりと張り付いていた。
死にそうな、顔をしている。思う。
「・・・黄瀬君、きせくん、随分と遠くに来ちゃいましたよ、黄瀬君」
黒子がそっと揺すってみるが、うん、返事とも寝言ともつかないふにゃりと緩んだ声を放つ彼のまぶたは未だぴったりと閉じられたままで、黒子のよびかけに目を覚ます兆しもない。がたんごとん、がたんごとん、揺れ続ける電車に揺らされつづけながら、黄瀬もまたねむりつづけていた。
疲れているのだ、それはわかる。けれど今の状況だけはわからない。黒子は混乱しすぎてそろそろまともに考えるのが面倒になってきた。
死にそうな疲れきった顔をして、黄瀬がふらりと黒子の前に現れた。ほんの数十分前のこと。
泣きそうに表情を崩していた黄瀬はすがるように黒子の名前を呼び、道の真ん中で抱き包まれ――腕を引かれ、気付けば。
電車の中。行き先なんてあってないようなものなのだろう。
「・・・くろこ、ち、・・・?ここ、どこスか」
ひとつ、おおきな揺れの後、唐突に意識を覚醒させた黄瀬は溶けた口調で黒子に問うた。必死に繋ぎとめようとするかのよう、てのひらを絡め取ってくる彼の指を黒子はどうしても突っぱねることが出来ずにそのままにしたまま、淡々と、神奈川に向かっていますとだけ答える。
ひだり、みぎ。
揺れた視線、蜜色のひとみが少しずつ鮮やかになって行くさまをうつくしいなあなんてぼんやりと眺めながら、目が合い黒子はちいさく微笑んだ。
見開かれる切れ長の目。長いまつげがちいさくふるえ、薄いくちびるがわななく。
「・・・かながわ?」
「yes、神奈川」
「え?え?・・・えっ?」
「ひとに泣きついてきたこと忘れたんですか、もしかして」
電車に乗り込んでから、またはそれ以前からの記憶さえ曖昧なのだろう黄瀬の様子に苦笑を浮かべた黒子は、わざと繋がれたてにちからを込めてまっすぐに黄瀬をみつめた。
びくり、と震えたてのひらはそれでも黒子を振り払わない。ひとのまばらな車両の中、けれどもふたりで取り残されたような途方もない甘美な孤独感。言うならばそんなものに、食われそうになりながら黄瀬は陶酔気味にわらってみせる。
「どうしたんですか」
酷い隈です。
ふい、と窓の外へ視線を流した黒子に、ッスかね、と曖昧にことばを濁した黄瀬は右手を後頭部に突っ込みかき回し、重い溜息を吐き出した。きたないものごと出そうとするかのようにも、ただの生理現象にも見える無造作な二酸化炭素の排出行為。黄瀬の考えていることが黒子にはわからない。
「ううん、ちょっとねむれない日が続いた、だけッス。ごめん、心配させちゃったッスね」
困ったように眉を寄せる黄瀬をふたたびみつめ返した黒子は、血色の悪い肌に視線を滑らせちいさく肩をすくめた。モデルの仕事、バスケとの両立。なんにでも本気でぶつかりすぎるばかな彼のことだから、きっと何かにぶち当たって追い詰められたに違いない。思って、黒子は仕方ないですねえと胸奥で呟いた。
たすけて、と黄瀬が喘ぐように救いを求めたかすれた声。黒子が踏み込むべき場所にはない悩みだが、寄り添うことは叶うだろうかと彼自身が思うのも事実だ。
「君らしくありませんよ、黄瀬君。ボクの知っている黄瀬君は、そんなひとじゃあないでしょう。ボクが知らないってことは、君が知られたくない君自身なんでしょう。・・・さ、だったらはやく元気出してくださいよ。話すのにがてなんですから、沈黙、痛いじゃないですか」
「黒子、っち」
「知らない君なんてはやく、」
その死にそうな顔と一緒にころして来てくださいよ。
きゃあっと黄瀬が声を上げる。そうして、不穏なせりふを言われたにしては随分と上機嫌に繋がれたてをぱたぱたと揺すり周囲を気にしてか潜められながらもたしかな声で、黒子っち男前格好いいッス惚れる惚れてた!大騒ぎ。
後、ふと。
たすけて、言った声音と同じ音。ふと口をつぐんだ黄瀬はでもとことばを続けた。
「ひとりで死ぬのは寂しいッス」
車掌が次の駅を告げる――繋がれた指にちからを込めたのはどちらが先だったろう。
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