■凍てつく夜をちりばめて:HQ!!研クロ/企画さまへ提出

2013 05.19 ( Sun )

 おれと研磨のあいだにはいつだって沈黙がよこたわっているような気がしたし、そうじゃないような気もした。

 端的にえぐるような物言いをしてしまうおれと、ことばを捜して捜してみつけた最善のひとことをそれでも迷いながらぽつりと落とす研磨。
 全くちがう空気への音の混ぜかたをして、ふたり、あいだに空いた穴に思いを投げ込むようにして会話をするのだけれど、それはいつも交わされる前に落ちているようで居て。
 正しく、沈黙。ばかりがおれと彼の間にはあった。

 意思の疎通と言うものを、もしかしたらおたがいにする気がないのかもしれない。よくもわるくも他人のことがどうでもいい、それは研磨だっておなじこと。
 彼が気にするのは他人と自分のことで、その人間と言うものについてはいやに興味の薄いやつだったから。
 もう知るひつようもない、知りきってしまっているおれのことをこれ以上近づける気も遠ざける気も、おそらく彼にはないのだろう。

 そう、つらりとなんにもならないことをかんがえたのはきっと、また同じような色をして沈黙がころがっているからに違いなかった。
 おれはベッドの上にねころがってショートケーキにかぶりつきながら意味もなく窓の外に目をやって居て、研磨はときたま頭のてっぺんばかりが黒い髪を揺らしながら液晶に向き合っている。

 苛立ったようにつまさきで絨毯を蹴ってはちいさく唸る彼に、気が向いたとき、例えば今日は慣れるまでに結構かかってんな、とか、そう言うやはりなんにもならないことばをころりと落としては返事も待たずに背を向ける。
 そんなことを繰り返していた。
 いまさらおれの粗野に掴み上げられた単語に几帳面に傷つくこともしない研磨も特に何を返すわけでもなく、お互いに思いついたことを呟きあいながら無為に時を流していた。だけだ。流れて、どこかに行ってしまう。誰も追わない。

 それをおれは会話とは呼ばず、研磨もまたあえて何と名づけることもしない。

 今おれが舌を突っ込んでいるクリームまみれのそれを、いるか、とも聞かなかった。
 欲しければおれから奪い取ってでも食うやつだ、静かな今はいらない。それは、確定。
 だから聞かない。

 舌先がべたべたと甘い。脳の芯までばかになっていくような甘さには相変わらず抗えないまま、ひとつふたつと量を増やして咀嚼してしまう。甘党ではない研磨はいつもそんなおれを嫌そうに眺めては肩を竦めていたっけ。

「なあ研磨、星が」
「くろ、」

 呼吸が絡んだように錯覚する。そんなことなどない、別の方向に飛ばした呼びかけが絡んで―――それでもひとつにならず。そんな甘美とさえ感じる錯覚。

 おれがひとり、そんなおもいに密やかに酔っている間にも研磨は液晶から剥がしておれにむけていた視線をつうと流して、落として、そのままうすく開いていたくちびるを閉じる。
 そのまま仕舞いこまれてしまいそうな呼びかけの先を掴むようにして、研磨、おれもそうやって彼の名前をていねいによんだ。

 舌は、甘い。おれの声もいやになるくらいに甘ったるい。甘いもの、食べることにめろめろになって、それだけで満たされちゃうやつの声をしていた。けんま。

「どうした、?」
「・・・・クロは」
「んん、おれは別に。星が奇麗だって言おうとしただけ」

 真上に立てたおれの指につられるようにして窓の外に目を向けた研磨は目を細め、ほんとうだ、とでも言いたいのか軽く頷く。晩飯までたべていく気らしい彼は六時を指す時計をくるりと回した眼球で見たけれど何の反応も示さずに、また伺うようにおれに視線を戻した。

 転がしていたいちごのすっぱさを食道に押し込みながらおれも軽く頷く。
 そう言えば、同意をことばにしてわざわざ放つことは少ないようにいまさら思えた。

「黒い・・・・・ペディキュア、買った。しょうどう、がい」

 歯切れ悪く言って研磨はどこから出したのだろう、ちいさな瓶を顔の横で揺らす。そうして、瓶に敷き詰められた星空を覗き込み、相変わらず平坦な瞳でその液体を眺めていた。真っ黒に、白いラメ。星をちりばめられた空にしては随分と安っぽい光沢だったが。

 研磨はくるりと身体を丸め、立てた膝に頬を預けてつまらなさそうにマニキュアの星空を波打たせていた。何も語らず。おれもだから何だとは促さず。窓の外の星の方が奇麗だ、そればかりを思って。
 けれど唐突に、何を思ったか研磨はふと後方に立つおれを瓶片手に振り仰いだ。

 無感動な瞳が少しだけ揺らいでいるような気がするのは気のせいだ、勝手にそう結論付けてふたたび、手元の甘ったるいケーキにかぶりつく。
 クリームはべとべとと粘着質にくちびるを濡らし、くちのなかすべてをスポンジが埋め尽くした。ああ、甘い。

「クロ」

 猫でも呼ぶような調子で。
 研磨はおれを呼び、仕方なく顔を上げればちょいちょいと手招かれていた。ぶかぶかのジャージのせいで指の半分ほどが紺に染まり、夜の海のような色の中白い指だけがじゃばりと泳ぐ。
 夜と海と魚と星空。髪色は月か。ぼんやりとしているようで居て足音に敏感な、警戒心の強い猫。

 は、どちらだろう。
 どちらもが埋めようとしなかった沈黙を、距離を詰めようとするみたいに研磨はわらった。チェシャ・キャット、研磨に似合うのはそれだよなあ、だなんて。

「クロに似合う、と。おもって」

 そうして星空がまた揺れる。研磨がするりと持ち上げた先、つられて視線を流せばぐるりとした眼球を見張ったまま研磨は軽く笑う。確かに笑われたとおり、我ながら猫みたいな仕草だった。

 研磨はそんなおれだからなのか何なのか、あやすような声音で意味のないことばをつらりつらりと吐いたまま手招きを続ける。
 くちのまわりに張り付いたクリームを舐め取ってからいちごを掴み上げて歯で奇麗に、奇麗に割った。間に挟まれているちいさいやつじゃあなくて、王冠みたいに上に乗っかっているまんまるい赤。手招きに答えないままに人工的な甘さとはまた違う甘みを堪能していると、焦れたように研磨はおれの手首を掴んだ。

 けっして、拘束するようなつよいちからではなかったのに、その瞬間おれはまるで何も出来なくなって、やめた。すべてを。
 咀嚼も、思考も、もしかしたら呼吸さえやめた。

「クロ。おいで」

 沈黙を久しく埋めようとするみたいにして積み重なる研磨の声にくらりとしためまいを、覚えた。返そうとしたことばが喉にからまって上手く音をなさないまま胃へとさらさら消えて、何も言えないままに息をのむ。
 ばたりとケーキが落ちて、研磨の太股と絨毯を汚す。掃除、うわごとみたいにそう言えば、頷いて研磨は鈍くわらった。

 一体、何に対する同意なのだろう。掃除をしないといけないね、なのか、または別のほかの、何かか。

「肌、・・・・・白いし、たぶん、似合うよ。この色」

 同じ意味のことばをくりかえす研磨のてのひらに、おれのそれもいつの間にやらすくわれて指先がするりと流れるような動作でからめとられる。ボールを追っているときの目と良く似たそのひとみはただ静かで、観察するような黙り方をする目はただ、ただらしいな、と思う。思うだけでおしまい。

 研磨は息を、しているかな、と。しているだろうなと肩の上下で知るまでの数秒間、そればかりがおれを満たしたのだ。けんま。けんま、おれの、―――何だろう。

「似合うって。冗談言うな。おれがこんなんつけるのかよ」
「ペディキュアだから」
「あのな。だから何だ、平気ってか。おれはおとこだぞ」

 でも、と言うと思っていた。でもか、それにさえなっていない何かか。ことばを捜しながら沈黙を落とすと思っていた。
 けれども研磨は何も捜さず、捜さないままにただ、ジャージを汚すクリームを親指で掬い取ってから少し舐めて、嫌そうに顔を歪めるまでの間たっぷり黙っていて。
 最後上向けた無感動なひとみでおれのひとみをきっちりと、撫でるのだ。

「クロ」

 舌先によみがえった甘さをおれは知らない。べたべたと喉に居座るわざとらしい甘さのクリームでもなく、キャンディーやらが模す味とはかけはなれた甘さで舌を突くいちごでもない甘さは、知らない。
 おれの鼓膜に直接ことばを吹き込むような語り方をする研磨の声はどうにもぞくりとして敵わないのだった。きっとずっと、先も。
 ずっと、と響く音はどうにも甘い。すべてが甘い。やっぱりおれはばかになってしまったのかもしれない、と、思う。酷く絶望的なきもちで。

「あしなんて、だれも・・・・おれ、以外は、みないよ。だから」
「、研磨あのな」
「だから、・・・クロ、はやく」
「はや、くって」
「あし貸して」

 はやく。

 強請るような声で研磨は囁いて、ちいさなちいさな瓶を握り込んだてのこうをおれのふくらはぎあたりに当ててくる。あまりにもつめたい夜に身震いを、した。
 殴られたわけでもないのに何も出来なくなるのだ。そうっと忍び込んでくる甘みにも似たその、隠されている真っ黒い空にめもみみもふさがれて、もうおれはいつから息をしていないのだったっけ。

 それとも夜で息は出来ないのだったっけ。それは宇宙の話だったかな。
 わからない。

「つめぜんぶ黒色に塗ったら、奇麗・・・・だと、おもう。さっきクロが言ってた星よりも」

 研磨の握りこむ星空に閉じ込められたおれは、まるでばかになってしまったみたいに、ばかだった。甘いものを食べすぎるとからだによくないんだよと、とがめる研磨は今は居ない。
 横たわる沈黙を揺り起こそうとするみたいに、かわりのそいつはゆるりとほほえむのだ。
 せめてお前なんてどうでもいい他人だよ、なんて言うことばで逃がしてくれたらどれだけ息がしやすいことだろうと、酸素を取り込まない肺を持て余しながらひとりおもう。

「そ、か」
「うん」
「・・・・・そっか」

 逆らえないとそればかりのおれは、きっとずっと研磨のものだった。

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