■赤い糸と岩及:HQ!!
2013 05.19 ( Sun )
赤い糸だ、わらって、その細い糸で橙の部屋に亀裂を入れて、及川は少しばかり語尾を弾ませた。喜んでいるというよりは、おれのことをからかいたい意味合いのほうが強いのだろう。
おれの薬指をゆるく締め付けてくる赤いそれの先を辿れば、及川が思わせぶりに薬指を立ててゆうらりゆらりと左右に揺らしている。鼻歌でも歌いだしそうなその様子に心底うんざりしながら、そうですか、意識して気の無いふりをしながら肩を竦めた。
恋と言うものはなかなかに厄介である。
いっそ落ちそうなほどふかく、ふかく、ふかめた笑みを口角に引っかけて、及川は無駄にゆっくりとおれの名前を形作って空間に乗せた。
何だと返す語尾が震えたことなんて、おそらく及川の鼓膜はかっちりと捕らえているのだろう。ああにげられないなあとか今更のことを考えながら薬指の自由を明け渡す。おすきにして。
及川はたぶん、他愛も無い接触ってやつがすきだ。逆に舌を絡ませあうようなキスやセックスを酷く厭う。他人の体液なんてと、若干潔癖なところがある彼は嫌悪感からかぎしぎし音がしそうなほどに顔を歪ませていつだったか言っていた。
ああ、岩ちゃんなら耐えられるけどね。
誤魔化しではなく自然に付け足されたそのことばの、平気ではなく耐えられると表現したところのリアルさに誰にでもなく優越感を抱いたことを本人に伝える気は無い。
だって及川のことだ、おれのことなんてなんでも知っている。
おれも彼のことならよく知っている。すきなところもきらいなところも、きっとお互いの家族よりも。
「つうかこれ何だよとれよ」
「おれと岩ちゃんの赤い糸、みたいなー?今日家庭科あったじゃん、で、刺繍糸使ったじゃん。ひらめいてさあ」
「女子か」
及川の部屋は相変わらず、簡素だと思う。決して物が少ないわけでもなく、かと言ってごちゃごちゃと多いわけでもなく、ただ簡素だと言う感想を抱く。いつも及川はこの部屋でどんなふうに息をするのだろう、なんて思った。
眠るときに膝を抱えこんでちいさくちいさく消えて無くなりたがるようにして身体を折りたたみながら眠る癖は、確かいまだになおっていなかったはずだ。
ならば今も及川はこの、簡素な部屋で毎晩ひとりきりで、くるりと丸くなりながら眠っていると言うこと、だろう。女々しいと一笑するには、おれはあまりにも及川に近いところに居すぎる。
「おれの部屋でー、ふたりきりでー、赤い糸ーってこんなに可愛くおれが言ってあげてんのに何その反応。岩ちゃんの淡白!」
「何とでも言えよ、つうか取れよ」
「だったら岩ちゃんが解けばいいデショ?おれはやあだ」
「解いたら解いたで大騒ぎするくせに」
「あっははは!」
「否定しろや」
及川は本当に、肉体的な交わり方を嫌悪する。キスはすきらしいが、それも額だったり頬だったり、どちらかと言うと親愛を表すのに近い。しかもキスよりは、ぎゅうぎゅうにいっそ絞め殺してやろうと思いながらの抱擁の方が嬉しいらしい。どんな被虐趣味だとわらいながら詰ってやったら、途端妙に平たい目をしながら及川は言った。
だって体温だけなら戻れるでしょう?
酷く甘ったるい口調で空気に教え込むにして語られたそのことばの意味は、仕様がないから聞いてやらないことにしている。
「ふっふー、いいデショ。おれと岩ちゃんの赤い糸ーきゃあロマンティクー」
及川はあいしてるをばら撒く。それはもうたくさん。それはもう大安売り。自分に言い寄ってくる女子に向かって吐くことばと言えばいつもそれ、甘ったるい声音でねっとりと舌を動かして。
あいしてるよ、きみのこと。
誰よりもと言わないのは及川の優しさなのかもしれなかったし、ただ、彼が変なところで素直なせいなのかもしれなかった。
けれど及川はおれに対して、あいしている、そう甘く囁いたことはなかった。おんなの心の柔らかいとこをなでさするような口調で語ることはなかった。
すきだよと言う。笑う。それだけの愛情表現を好んでいる、ようであり。そうしてそれがいつもおれの心臓の真ん中を一番鋭く穿つのだと言うことくらい知っているんだろう。
あいしていない。でもすきだ。だから岩ちゃん、君はおれをあいして。
―――恋と言うものはなかなかに厄介で、彼の滅茶苦茶なその要求に応えたいと思ってしまう瞬間もある。いや、その瞬間以外の多くの時間では背中を蹴り倒して話をなかったことにするのだが。
「、すぐ切れそうだけどな、この糸」
「アッハ・・・・それが狙いさ」
ねえだいすきだよ岩ちゃん。酷薄に歪んだその顔に、耳に、愛しているとことばを流し込んでやりたいおれはとっくに体温だけで戻れなくなっている。
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