■拍手御礼文/帝光和菓子組

2013 07.31 ( Wed )

 例えばこの命が有限だとしよう。

 まるで永遠を知った風にわらって、赤ちんはそうっとと目を細めた。語り聞かせるような声はやわらかく耳たぶのあたりをつっついてくるのに、ひとみのまんなかでおよいでいる丸いひかりは電灯のそれだけ。
 赤ちんのひとみはひかりはしていなかった。

「・・・命は例えばじゃなくても有限だと思うが」
「緑間は賢いな」

 はは、とか、柄にもなくわらいごえらしいわらいごえを上げて、ついでにわらったりしながら赤ちんはふうと上体を倒した。ああ、落ちるなあ。
 おもったけれど、やっぱりと言うか落ちることはない。椅子にすわったまま頭を倒したから、丁度机と赤ちんのほおがぺったりとくっつくような体勢になって、それは、おれが授業中よくやるようなまるでやる気のない格好みたいだった。

 だらん、と投げ出した両腕を、脇に垂らして。本当に頭だけを机の上にのこした赤ちんのつむじを、途方に暮れたようにミドチンはみおろしながらふうと細く溜息を吐いた。

 ふたりが向かい合う、間に机、ふたつの椅子、カーテンは吹き込む風に膨らんだりしぼんだりをくりかえしている。
 日が暮れるのが随分と遅くなったなあ、とおもって、かいでみた空気はなるほど確かにすこし夏のにおいが混じっている。桜が散ってから、まだ少ししか経っていないのに。

「なあ紫原、お前は何に使う?」
「ううん・・・?」
「まともに取り合うな、日が暮れるぞ。赤司、将棋盤はもう片付けるが構わないか」
「ああ、すきにしろ」
「・・・・・・頭をどけるのだよ」

 ひだりのほおを机にくっつけて、教室の廊下側、誰かの机に陣取っているおれのことを上目でみて、赤ちんは問い掛けるような視線をつくった。

 声とか頭の動きとかじゃなくて、ひとみでもなくて、視線で語るのだ。赤ちんほど視線ってやつで雄弁に語るひとをおれは他にみたことがない。
 だから赤ちんは視線でおれに語る。おまえはどうだ?

「じゃあ緑間。何をする?この命を何に使う?」

 なら考えようかなあとゆっくり思考し始めたおれを一秒だけじっと注視したあと、顔を上げた赤ちんはまっすぐにミドチンを正面からみた。何を語っているのだろう、おれは解らなかった。
 ミドチンはゆるゆる、視線を左右に流すだけだ。一体何を払い落としてんだろう。

「ふん、馬鹿馬鹿しい。何に使うもない、今までと変わらず人事を尽くし、己の技を磨くだけなのだよ」
「ふうん。相変わらずストイックだな」
「お前にはには負けるがな」

 ゆるり、ミドチンの視線は泳いでいる。反対に痛いほどまっすぐな、つらぬきたいって言う風にぶれない赤ちんの視線は、そんなミドチンのひとみを真正面からみつめていた。
 おれがみられている訳でもないのに、なんだかぞくりとするくらいのまっすぐさだった。やめてあげてって言ってあげた方がミドチンは楽になるのかな。よく解らない。ふたりは閉塞的と言うか排他的と言うか、口を挟みづらい沈黙の転がるこの空間を好んでいるようだったから、もしかしたらありがた迷惑かもしれない。

「・・・赤ちんはさあ、どうするの?」
「おれの使い方を聞いているのなら、概ね緑間と同じだと言っておくが」
「おおむね、ねえ・・・・って言うか、ちげえよ。使い切ったらどうすんのってはなし」
「使い切った後」

 ふつりと不自然にことばの最後を切って、赤ちんはやっとミドチンからはがした視線を机に落とした。喉の奥でこもるような音は、唸っているそれだったりすんのだろうか。

 ミドチンはおれの方をみている。じいっと、くるくるしたひとみを確かに奇麗にひからせて、おれのひとみの底を知りたがるように覗き込んできていた。
 そのひとのみつめかたは、相変わらずすきだなっておもう。赤ちんの見方はちょっと刺激的と言うかこわいのだ。さしつらぬいてくるまっすぐな視線は、多くを語りすぎてことばで酔いそうなくらいだし。

「死ぬな」

 いやに明確だった。

 今までの流れと言うか、作られていた空間をぶったぎって放たれた赤ちんのひとことは当然の、自然を語ることばだったのにどうしてだろう、心臓の辺りがぎゅうとする。
 ミドチンが指を引っ掛けていた将棋盤がちいさく鳴いた。かれの指が大袈裟なくらいに跳ねたから。

 赤ちんは繰り返す。おれたちふたり、ちっぽけなふたりくらい赤ちんの視界で捉えられているはずなのに、まるで見えていないようにひからないひとみを顔のまんなかより少し上に埋め込んで、そんなのっぺりとした無表情で繰り返す。
 まあ死ぬだろうね。ばいばいだね。
 酷だ。

「命を使い切れば呼吸が止まる。だから死ぬ。そうだろう?おれも、お前らも、そんな風にできているだろう」
「・・・・賢いな、赤司」

 ミドチンは言った。おれはおもうだけで、違うとは言わなかった。
 赤ちんのそれは賢さじゃないことなんてそれこそ、賢いミドチンにはみえているんだろう。いや、多分賢さになるのだけれど、賢いことと馬鹿なことは同義だって昔のひとも言っていた。あれっ、手言うかそう昔でもなかったっけ。よく聞くことばだから出典とかはよく知らない。

 赤ちんは、おれは持っていることばが少ないからちゃんと形容できないけれど何と言うか、そう、知っている。しぬことを知っている。当然皆知っている。
 でも、赤ちんの知り方は、―――ああもう何て言えばいいの。本で読んでそんでためしてみたから解ってるよみたいなあの、ひとつ壁をへだてた向こうっ側で語っている感じ。
 普通、普通生きていれば死ぬことなんて解らないだろう。知っているけれど、解らないって言うか、さあ。

 なのにどうして。
 赤ちんは解るよと言いきれるの。

「―――赤司、ひとつ予言をしてやろう」

 ミドチンはおれがひとりでぐるぐるしている間もじいっと耐えるように目を閉じていた、けれど今はその隠していたひとみを外気に晒して、眩しいくらいにきらきらしている眼球に赤ちんを映している。
 ようだった。

「おれはいつかお前に問うだろう、今のお前ではないお前に。だから今から答えを考えていてくれないか」
「何だ、唐突だな。今聞けばいい」
「今ではないと思うのだよ。まあ、お前が変わらないのなら問うことはないとも言える」
「難解だー」

 何かを言おうとしていた赤ちんの台詞をかっさらってちょっとわらってみる。その行為に意味があるかと聞かれても解らない。何となく、そうした方がよさそうだったからしただけだ。赤ちんは声にしたことばもつよいから、ミドチンが言いくるめられてしまいそうだったから。

 ミドチンは将棋盤に引っ掛けていた指を外して、赤ちんの真似のように脇に垂らした。

「過呼吸を知っているか」
「、は?」
「ことばのままの意味だ。過度に呼吸をすることはよくないのだと言うことを知っているか。そう言う問いだ―――今ではないが、いつか必ず問うのだよ」
「・・・・過呼吸なら知っているが」
「今ではないと言っているだろう」

 いつだ、と、呆れたように赤ちんは電灯がぶらさがっているだけの何の面白みもない教室の天井を仰いで言った。ミドチンはそれだけだとはなしを切り上げて、将棋盤をかたづけにかかる。
 おれはぼんやりと黒板を眺めながら、相変わらず面倒くさいふたりの雑談について思考する。ミドチンのまねではないけれど、過呼吸を知っているか、て言うのはおれもいつか赤ちんに聞きたくなるような気がしていた。

 その時の赤ちんはどうしてか、知らないと言うような気がしていた。

「そうだ、紫原。聞いていなかった」
「あー?」
「お前の答えだよ。お前は命が有限だとしてどう使う?」

 ばちん、ばちん、断ち切るような音がしている。ミドチンが教室の窓の鍵を閉めている音だろう。だってもうカーテンは膨らまない。

「んー・・・・いきることに使うー」

 ふたりみたいに面倒くさい使い方はしたくないなあとおもって物凄く適当にそう言えば、赤ちんは目を見張って、ミドチンは可笑しそうにくつりとひとつわらいごえを中空に投げた。
 赤ちんもわらった。ミドチンのまねっこになりきれていない、困ったようなえがおだったけど。

「成程、悪くない」
「赤司も見習うのだよ」
「そっくりそのままお前にぶつけよう」
「・・・ぶつけるのか」

 ふたりがまた淡々と雑談を始めてしまったから、おれは暇だなあとか思いながらぐうと上体を倒す。さっきの赤ちんみたいにほおを机にくっつけて、窓際にいるふたりの背中をぼんやりみあげる。

 普通の中学生、ふたり、おれこみでさんにん。そう言う教室。ありふれた放課後の、少しだけ夏の気配がする、受験生だと追い立てられるようになってまだ少ししか経っていない時期。そうだ、夏の前には梅雨を迎えないといけないから、さっきからしているこのにおいは夏じゃなくて梅雨のものだろう。
 ばちん、最後の鍵を閉める音がする。

 深く息を吸って、吐く。おれの深呼吸の音は、ふたりの声にかきけされてきえた。

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