■声の化石/青(→)今
2013 05.13 ( Mon )
(青峰=18,今吉=20)
昔から拾い癖があった。足元にこぼれおちているそれらがどうしても気になって、ただの石ころだと今ならば通り過ぎるものさえもちいさなころは宝石以上に輝いてみえたのだ。
思えばオレの周りは、きらきらしたもので溢れていたような気がする。春も、夏も、秋も、冬も、毎日が冒険であたらしいものばかりが目に入って、目前の景色はいつもよくみえなくて。それでも漠然と、たのしくてたまらない毎日がたのしくてたまらないバスケとともにずっと続くことだけを知っている、ような。
まあ、そんな御託はどうでもいい。
問題はオレのその悪癖とも言える“落ちているものはとりあえず拾う”癖が、まったくなおっていなかったことにあるだろう。
「おい、酒くせえぞ」
ふらふらとおぼつかない足取りで、恐らく意味などないままに部屋を歩き回っていた今吉は適当にことばをぶつけるとふと振り返り、どこか重力のかかりきっていない笑みをくちびるに引いた。あおみね。大気にゆっくりと腹が立つほどていねいに乗せられた四文字は芯からあまく、確実に鼓膜にとびこんできていけない、と、思う。
そう、いけない、のだ。
「まあなあ、しこたまのまされたからなあ。ほんまあれやね、どこ行っても年上ってだけで、ほら、えらいって思うとるやつはおるやんかー」
ろくに漢字になっていないゆるゆるとしたことばを吐いてふかいふかい笑みの底を消し、今吉はひとの部屋の真ん中にぺったりと座り込んでアルコールのにおいを撒き散らしながら機嫌よさそうに上体をゆすっている。
脱力しきってベッドに座り込むおれとは対照的に、今吉さんは骨の浮き出る細い手首をくるくると回しながら青峰、とか、くりかえしおれの名前を呼んでいる。いや、呼ぶ、でもねえかな。何かもっとこう、名前の作り方がどうにも排他的で、なんか彼のなかで完結しているようだった。
いくら今吉さんが二年前までは生活していた寮だと言ったって、さすがに門限を過ぎた今卒業生が居座るのはまずいだろう。と思って、記憶にあるそれよりも幾分か骨っぽくなったような気がしないこともない背中を無遠慮に蹴っ倒してみても、全くこたえていないようで蹴られるままに前へ倒れこんで今吉さんはけらけら笑うだけ。
「おい、」
「ふ。なあー・・・に」
電灯の下晒された肌がいやにしろくて、どきりとした。そりゃあオレには二十になったと言う今目の前に居る今吉さんではなく十八のまだ彼が高校生だった頃の記憶しかないが、それにしたって以前のこのひとはこれほど紙のようにしろかったっけか。
多分、だけど。こんなに不健康なしろさを肌に貼り付けているようなひとではなかった。ボールを脇にかかえてにいと意地悪く笑っていたそのひとの肌はただ先天的にしろいだけのような色、だったはずで、確かこんな、今にも消えそうな雲を連想させるような色では。
「のまされたのかよ」
「サークルのなあ、先輩になあ、お前付き合いわるいやんけとかいわれてなー。そんなんしるかいなってはなしやんか・・・・ほんまに、なんなんもう、いみわからん。あっははは」
何が可笑しいのか最後腹を抱えて床に額をつけたまま笑みに崩れたそいつの後頭部をはたきながら、一応の会話はなりたつことに心底安堵する。どうやらひたすら愉快になって若干舌足らずにこそなるものの意識ははっきりとしているらしいから、このまま追い出すのは多分そんなにむずかしいことじゃねえだろう。
ただ、先輩と今吉さんが言ったのが少し不思議だ。
当然のことっちゃあ当然のことだが、今吉さんはおれが入部したときから三年生で、主将で、先輩で。チーム内の交流が薄い桐皇だったからこそ余計にだろうが今吉さんのくちからオレの入学前に居たはずの先輩のはなしは結局彼の卒業のその日になっても聞いたことはなく、だからそんなひとの先輩、と言うのがいまいちピンとこない。
一年が飛ぶように過ぎていく。
今腹を抱えて息も絶え絶えになるほどに笑いころげているこいつが四番を背中に貼り付けている姿を目前に浮かび上がらせることは簡単にできるのに、今吉さんはもう桐皇の三年じゃあない。大学二年生、しかも日本一と言われる大学の。
オレもまた知らない間に上が消え、下が増え、あっと思う間もなく三年生になっている。進路だ受験だとこうるさく言われながら体育館にかけこむような年を、いつの間にやら迎えているのだ。
おとなになんかなれていないまま、十八歳。許されることは増えたけど、なんつうか、それだけだ。
「今吉さん、おら、立てって送るから。今どこ住んでんだよアンタよお」
「えー・・・もうええやん。泊めてえな」
「ふっざけんなオレがさつきに・・・・・だったらまだましだ。センセイに寮長にその他もろもろに!兎に角どやされんだよ、面倒くせえし、出てけって」
「うわあ、青峰、ひどい。ワシとのことはあそびやったんかー」
「アンタな、」
くっと、言いかけた何かが喉をふさいで、ただめもとが震えるのを感じた。
笑みの形にゆがめていたはずのくちびるを一瞬で真横に引き結んだ今吉は、細いめをさらに細くしてそんなおれのことを視線でえぐる。一瞬で酸素が棘を持って、肺の中あばれまわっているかのような気がしてしまうくらいで、そうだ、思った脳裏でばちばち弾ける閃光の眩しさにめまいがする。そうだ、今吉さんの視線とか言うのはどうにも鋭かった。
最強はと。他の部員に言い聞かせるように繰り返していたことば。最強は青峰。何度もなんども舌に教え込むようにして、それが自然に言えるようになることがまるでしあわせなことだと信じているかのように何度も聞いた台詞。
『最強は青峰や』。
きっと今吉さんは知らないんだろう。そう言って笑うアンタが一番、それが許せないとでも言いたでにぎらぎら光るめでオレのことを眺めていた。決して睨んでいたのではない、ただめつきの鋭さもそのままにオレをずっと、ずっと、みていた。その熱に浮かされたくろぐろの瞳がまるで恋でもしているみたいでもあり、何かの仇をころそうとする誰かのめのようでもあり。
何度も傷もなく抉られた背中の痛みは、今吉さんが卒業してしまった今でも忘れたことはない。そんな簡単なことも、今、アルコールのにおいを中空にぶちまける彼は知らないんだろう。
―――最強は。試合前、いつからかひとり、魔法のことばのように呟くようになった今吉さんの口癖の話。
「お前の才能の入った瓶を割ってやりたい」
「はっ?」
「・・・・とか、思っとったんよ」
ゴミ袋の中、落ちていた酒臭いおとこ。良く見てみればそのおとこは、最後までオレが全力で迷惑を掛け続けたままだった誰かに酷似していて、何か今日の夜冷えるし放っといたらしぬんじゃねえとか思うとどうしようもなくなって、仕方ねえからこっそり寮に引きずり込んだ。
とか言う、格好悪いとしか思えないエピソードの延長線上に居るとは思えないほどに、今吉さんのめは、焦点ははっきりとオレを捕らえて、来る。
「なあ青峰。遊びやったか?」
答えは聞かんでもええやろうけど。
ひっそり、笑って。今吉さんは笑って。めもとだけを赤く染めて。それ以外は血が通ってんのかって心配になるくらいに青白いままで。
さっきとは違うニュアンスであそび、そう発音したそのひと。
空間ごと酔わされたみたいに、この部屋に流れる時間を感じることができない。息苦しいのか心地いいのか解らない静寂が満ちている一室、アルコールのにおい、いつこのひとを連れ込んだのがばれるのかってわりと危ういラインなのに、どうしても面倒くさいだけの卒業生を本気でたたき出すことができない自分。
遊びだったのかと聞く、くちびるは弧を描く。
「まさか。ナメてんのかよ、手前。今吉さんが言ったんだ、オレに言い聞かせたんだ、―――『最強は』?ってな。おれはきっちりプレーで応えたつもりだぜ。完全、百点万点にはなれなかったのかもしんねえけどよ、答えたつもりだったよ。最強は、」
「お前や、青峰。最強はお前以外におらん。20年生きてきて、ああ間違って覚えてたんやなってこと、今更知ったりするけど、これだけは胸張って言えるで。最強はお前以外、有り得へん」
オレの言葉尻をさらって、吐き捨てるような口調とは全く結びつかない酷く楽しそうな顔で今吉さんは言い切った。
呪うように何度も鼓膜に教え込まれたそのことばはやっぱりするりと身体に馴染んで自然に食道を伝って行くから、オレは腹が減ってたのかなとか、馬鹿みたいなことを思う。
「っはは、だろうな」
「やよ。ワシが桐皇に引きずり込んだった奴じゃ。そう簡単に最強返上されてたまるかいな」
昔から拾い癖があった。
後から考えるとがらくたばっかりだったそれらも、拾ったそのときは何かもうきらきらで、宝物で、これが何よりも大事だと思うのだ。
まあ、錯覚。拾い上げたものの中、結局オレのてのひらに残っているのはバスケだけ。
だから今回もそうなのだ、と必死に、ちかちかと瞬く視界とうるさい心臓に言い聞かせる。だってほらオレ、見ろよ、アルコール臭いほっそい男だぞ、胸ねえんだぞ。
だからこの感情はきっと一過性だ。くろぐろのめいっぱいに憎しみを溜めながら、それでもどうしようもなくいとおしがるみたいな顔をして最強を囁くその人の背骨をどうか、折ってやりたいとか。折れるくらい抱きしめたいとか。
久しく聞いていなかった台詞にどうしようもなく満たされているのはきっと、今吉さんが部屋ごと酔わせているからだ。
「さすがエースやのお」
落ちていたから、丁度足元に無様に転がっていたから、拾ってやろうと手を引いただけだ。
オレを桐皇に誘った理由を問うてみれば今吉さんがそう言いそうなことに気がついて、少し、舌の根が苦い。だってそれ、オレがこのひとを部屋に引きずり込んだ理由と同じじゃねえかって。
くそ、拾い癖って結局オレと泥酔野郎どっちの悪癖なんだっけ。
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