柔らかな光が差し込む午後。黄色とオレンジのチェックのランチョンマットの上に鎮座するクレーム・ブリュレ。そのカリカリに焦げ付いた表面を小さなスプーンの裏側でグチャグチャにするのが最近のリンのお気に入りの遊びだ。
こないだレンタルした映画(確か、10年くらい前のフランス映画だ)のヒロインのまねっこでやり始めたのだけど、このささやかで地味でどこか可愛らしい感じがするひとり遊びにリンは思いのほか夢中になってしまった。

「…………」
「リン」
「なあに」

返事は返してくれるものの視線はこちらを向かない。リンの関心のほとんどは薄くてあまい殻をスプーンの底でノックすることだけに注がれている。

「なんでも」

何か用事があって声をかけたわけじゃない。リンの意識が僕の傍を離れてどこか遠く、例えばモンマルトルの小さなカフェまで行っているのなら連れ戻さなくてはと思っただけだ。

「そっか」

リンもまたボンヤリとそれを流す。意味のないような言葉のやりとりなんて僕たちの間では特別変わったことでもない。

「………………」
「………………」

カチャ、カチャ、コチリ。カチャ、カチャ、コチリ。
スプーンが器にぶつかる音と、壁時計の秒針の進む音だけが僕の聴覚を支配する。
大勢の人がきっとそうであるように、なにかひとつの物事に集中するとリンはすっかり黙り込んでしまう。それでもこの場の沈黙を重苦しいとかそういう風には感じない。同じ空間にいるのにリンから相手にしてもらえないことは少し退屈ではあるけれど、不愉快なことではないのだ。
満足のいくまでキャラメリゼを粉々にし終えたらすぐに僕のほうを向いてくれることを知っているし、なにより彼女が割るためのクレーム・ブリュレはすべて僕が手作りしているから。僕が作ったものでリンが喜んでくれるならそれは素直に嬉しいと思う。
楽しそうに俯くリンの旋毛を少しこそばゆい心地で見つめていると不意に彼女が目線を上げた。

「もういいの?」
「うん」

その満足げな表情に彼女の前のココット皿に目をやれば飴のようなキャラメリゼは粒とか砂とか呼んでも差し支えない程度には粉々になっていて、映画の彼女はここまで徹底してたっけ、とか少し考えてリンが喜んでるのならどちらでもいいかとすぐに思考を中断した。

「いただきます」
「ん、どうぞ召し上がれ」

映画のヒロイン気分を堪能したら、あとは純粋にティータイムを楽しむだけだ。リンは銀色のスプーンで先ほど破壊しつくしてグチャグチャになったクレーム・ブリュレを口に運ぶ。

「んーっ、おいしい!」

紅潮した頬に手を当ててうっとりと微笑むリン。その笑顔の可愛らしさときたら!
それこそ口に含んで大事に大事に咀嚼してしまいたくなるほどだ。僕にとってこれ以上の報酬はない。
リンがほんの少し口角を上げるだけで正直めんどくさいお菓子作りも、神経をすり減らす表面の焼き加減との攻防もすべて報われるのだからなんともインスタントな男だと自分でも呆れてしまう。
だけどこれは仕方のないことだろう。それだけ彼女の笑顔は可愛いのだ。

「お気に召したみたいだね」
「うん!ありがとうレン!…………あの、ごめんね」

不意にリンが表情を曇らせる。

「なんで謝るの?」
「レン退屈だったでしょ?私、つい夢中になっちゃって………怒ってる?」

なんだ…そんなことか。

「ちっとも。リンが笑ってくれるのなら僕も嬉しいよ」
「私、いつも笑ってるよ」
「うん。だから僕はいつも嬉しい」

そう告げるとリンは照れたように上下の唇でスプーンの先を緩く食んで、また小さく笑ってくれた。

リンを笑顔にするのはそう難しい事じゃない。だって彼女は勝手に笑うから。
それは例えば、朝の澄んだ空気。道端で見かけた小犬。近所の家の庭で咲いた金木犀。雨粒が窓ガラスに描く軌跡。貰ったばかりの真新しい楽譜。見知らぬ人のちょっとした親切。月明りで虹色に染まった雲。古い映画のワンシーン。欠片になってきらきら光るキャラメリゼ。ひとつひとつ数え上げればキリがない。
僕が普段見落としてしまうようなことをリンはいつだって大事に拾い上げてそっと慈しむ。リンは小さな幸せを見つける名人なのだ。彼女にかかれば世界はまるで魔法にかかったように輝きだす。
それはとても素敵なことだと思うけど、だからこそ僕は日々の努力を惜しめない。世界中にありふれた幸せの種たちに負けるものかと彼女の好きそうな映画を探して、彼女が壊すためのクレーム・ブリュレを焼く。
それは義務とか役割じゃなくて、僕がそうしたいから。僕がリンをいちばん幸せにする存在でありたいから。 

「あのね」
「うん?」

リンの唇が開く。歌うように、祈るように。



「私もね、レンが笑うと嬉しい」

「レンが幸せだと私も幸せ」

「どんなに素敵なこともレンの笑顔には敵わないの」



スプーンの内側で君が逆さまに笑った。

「…っ」

心臓がどくりと跳ねた。



リンを笑顔にするのは難しい事じゃない。でも、僕を幸福にするのはもっと簡単だ。
例えばそれは、今、この瞬間。

リンが笑った。僕を見た。僕と同じ幸せを謳った。
たったそれだけのこと。
それだけのことで僕の世界は明度を上げて、魔法にかけられたように息づいていく。
ああ、これ以上の幸福を僕は知らない。

「レン」

けれど欲張りな僕はもっとたくさん君からもらいたくて、君にキスしたいのを我慢する。
あと3秒ほど待てば君がとっておきの呪文を唱えてくれることを知っているから。

「あのね…」

3、2、1

「大好き」

ほら、魔法がはじけた。




魔法を一匙
そうやって君が笑うから、今日も僕は君の魔法にかかるのです。





アメリ読了記念に。よく笑う女の子って可愛いよね。


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