「んう…」

カーテンの隙間から差し込む日差しが眠りの淵にあった意識を覚醒させる。
徐々に遠ざかっていくまどろみを名残惜しく思いながらも、重い瞼をゆっくりと持ち上げていく。

「…まぶしい」

薄く目を開ければカーテンだけでは防ぎきれない陽光が寝室全体を明るく照らしていた。
…いや、いくらなんでも明るすぎる?

「え、あれ…いま何時?」

枕元に置いた時計に視線をやると、短針はすでに真上にかなり近い位置まで迫っていた。
ああ、やってしまった。盛大に寝過ごしてしまった。
今日は早起きしていつもより手をかけた朝食で彼を驚かせるつもりだったのに。
いくら休日だからってここまで惰眠を貪ってしまうなんて自分に呆れてしまう。

「レンも起こしてくれたらいいのに…」

なんとなく決まりが悪くてここにはいない伴侶に文句をつけてみるが、眠りにつくまで隣にあった温もりはすでに空っぽになっている。
おそらく陽当たりのいいリビングでコーヒーでも飲みながら自分の目覚めを待ってくれているのだろう。
その様子を想像すると早く彼の顔が見たくなってきた。

「ふう、いい加減に起きますか」

布団の心地よい温もりを手放し、さっと着替えをすまして洗面所に向かう。
冷たい水で顔を洗うと、だいぶ目が覚めてきた。
柔らかいタオルで顔を拭きながら、ふと洗面台に目をやるとお揃いのカップと歯ブラシが仲良く並んでいるのが視界にはいる。

(ほんとうに結婚したんだなあ…)

結婚前は実家暮らしをしていたので、恋人だった彼の家に泊まる機会は多くなかった。
本当は友人がしているようなラブラブ同棲生活みたいなものに興味もあったんだけど、お互いに学生だったし、お金もなかったからそこまで踏み切れなかったんだよね。
だからこうやって彼と同じ家に住み、同じものを共有していく感覚は嬉しいながらも照れくさく感じてしまう。

(あんまりニヤけてるとまたからかわれちゃうな)

鏡に映る締まりのない頬をぐにぐにと軽く揉みほぐして、髪を梳かしお気に入りのリボンを結んだ。
なんとか見られる顔にはなったと思うが、リビングにいる彼のもとに向かう足取りが軽くなるのは抑えられなかった。




「おはよう、レン」

予想通りリビングのソファで優雅にコーヒーを嗜んでいらっしゃる愛しの旦那様に声をかける。
彼は私と色違いのマグカップの中身を啜りながらこちらを振り返る。

「おそよう。もう昼前だぞ」
「うっ、ごめん。でも起こしてくれてもよかったのに…」
「あんまり可愛い寝顔だったから、起こすのが勿体なくてね。それに夜更かしの一因は俺にもあるし?」
「…………ばか」

にやりという擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべて、昨晩の行為を揶揄してくる夫。
自分はいまだにそういった切り返しに慣れることができず、顔を真っ赤に染めてぼそっと悪態をつくことしかできなかった。

結婚する前からいつもこうだ。レンはいつだって余裕で、私ばかりドキドキしている。
正直、かなり悔しい。私ばかり振り回されて損をしている気分だ。
自分だって人妻になったのだからもう少し色気のある反応を返してみたいのだけれど。

(レンがいつも不意打ちなのが悪いんだ。こっちにも心の準備とかさせてくれればいいのに…)

責任転嫁を多分に含んだ自己弁護は胸のうちだけに留めておき、遅めの朝食を用意しようとキッチンに向かった。


「レンはなにか食べたの?」
「いいや、実は俺もさっき起きてきたとこなんだよね。誰かさんの寝顔に見惚れてて…」
「はいはい。じゃあ、トースト2枚っと」
「つれないなあ。なんか手伝う?」
「だいじょーぶ。すぐ作っちゃうからもうちょっと待ってて」
「ん」

熱したフライパンにバターを落とすと、ジュウッという音とともに食欲をそそる香りがキッチンに広がった。
レンと付き合う前は料理なんてほとんど縁がなかった…というか自分からやろうと思わなかったんだよね。自分の不器用さはよく自覚してるし。
でも好きな人には自分の手料理を食べて「おいしい」って言ってもらいたかったから。
レンと「恋人同士」になってからは母親のコーチのもとで特訓を重ねてなんとか「彼女」の面目を保てるぐらいの腕前にはなった。

(でもレパートリーもうちょっと増やしたいな…いまは「彼女」じゃなくて「奥さん」なんだし、これからは毎日ごはん作ってあげるんだから)

頃合いを見計らってコーヒーメーカーの電源を入れ、レンのコーヒーのおかわりと自分のカフェオレを用意する。

「リン、これ運んだらいいか?」
「うん、お願い」
「はいよ」

彼が先ほど完成したばかりの二人分の朝食をテーブルに運んでくれる。
こういうちょっとした気遣いだけでも嬉しくなってしまうのだから、私って幸せ者だなあ。

最後にお揃いのマグカップを二つテーブルに乗せて、同時に席に着く。

「お待たせ」
「ありがとう。いただきます」
「いただきます」

ふたりで手を合わせ、だいぶ遅くなってしまった朝食をいただく。

「うん、美味しい」
「よかったあ」

少し強張った肩を安堵の息とともにおろす。特に失敗したわけではないが、「美味しい」の一言が聞けるまではどうも緊張してしまう。

「心配しなくてもリンの作ったものはいつでも美味しいのに」
「そ、そう?ありがと」

ストレートに褒められるとやはり照れてしまう。
それをレンに言うと「リンは照れ屋で可愛いなあ」とかまたこっちが恥ずかしくなるようなことを言ってくるだろうから黙ってるけど。

「いえいえ、こちらこそ。本当はコーヒーだけ飲んだら俺が作るつもりだったんだけど」
「だーめ。これはリンのお仕事です」
「でも朝食ぐらい手を抜いたっていいんじゃない?リンが朝弱いのって俺のせいだし」
「っ!!しょ、食事中にそういうの禁止!!」

際どい発言に危うくむせかけてしまった。
なんとか持ち直してきっと睨みつけてやるも彼はどこ吹く風といった様子で、むしろ私の反応を楽しむようにニヤニヤしていらっしゃる。

(くそう、確信犯め…)

この手の話題に持ち込まれると、彼に主導権を握られてしまう。なんとか軌道修正を図らねば。
誤魔化すようにミルクをたっぷりいれたカフェオレを啜ってから口を開く。

「と、とにかく!家事は私に任せて。朝ご飯だって大して手の込んだものを作るわけじゃないんだから」
「でも、平日は俺の弁当とかも作ってくれるだろ。愛妻弁当はすっごく嬉しいけどリンに無理はさせたくない」
「無理じゃないってば。それにレンは他のこともいろいろ手伝ってくれるでしょ?」

レンがこういった気遣いをするのは料理だけに限らない。掃除でも洗濯でもちょっと気を抜くとレンがリンの仕事を取り上げていくのだ。
気持ちはとても嬉しいのだが、器用な夫に自分よりもずっと手早く完璧に家事をこなされると妻としては複雑な気持ちにもなる。

「私にも奥さんらしいことさせてよ。ね?」
「はあ…わかったよ。でも俺はリンと助け合っていきたいと思ってるから。たまには旦那様に甘えること。いいね?」
「う、うん。えへへ、ありがと」

私、ほんとうにいい旦那様を捕まえたなあ。


食事を終えると太陽はすっかり昇りきっていた。
二人で朝食の片づけをしながら今日の予定について考えを巡らす。

(せっかくの休日なんだから、午後はふたりでゆっくり過ごしたいけど…レンはどうだろう?)

隣で食器を拭いているレンに話しかける。

「ねえ、このあとどうする?」
「特に考えてなかったけど…買い物は?日用品とかは揃ってきたけど、服とか小物とかまだ欲しいものあるんじゃない?」

こっちに引っ越してくるときに日常生活に必要なものは大体買い揃えた。
お揃いの歯ブラシやマグカップ、枕なんかを二人で選んで妙に気恥ずかしい気持ちでレジに並んだのはまだ記憶に新しい。

(買い物かあ…欲しいものがないわけじゃないけど)

リビングに合いそうなおしゃれな壁掛け時計や、今使っているものよりも可愛いデザインのエプロン。
気になっているものはいくらでもあるし、それをレンと二人で選んでいくのはきっと楽しいだろうけど…。
明日の予定を思うと考えなしに買い物に出るのは躊躇われた。

「うーん、明日ミクちゃんたちと買い物に行くからあんまり出費するのもなあ」

女友達との買い物は意外とお金がかかる。
お気に入りのショップを何軒もはしごしたり、おしゃれな雰囲気のカフェでランチを楽しんだりしていると自分が思うよりもずっとはやく財布の中身が減っていくのだ。
特に浪費家でも倹約家でもないつもりだが、親のすねをかじって学生なんかをしていると連日出費を重ねることには抵抗を感じてしまうようになる。大学を卒業してしばらく経つが、いまだにその癖は抜けないようだ。

「そっか、明日は初音さんたちと出かけるんだ」
「うん。最近はゆっくりお喋りもしてなかったしね。お土産も渡したいし」
「ああ、新婚旅行の」

明日は先週行ってきたばかりの新婚旅行で友人たちに選んだお土産を渡すついでに、仲のいい女友達で集まることになっている。
電話でその予定を立てているときにミクちゃんが「旅行の話はもちろん、リンちゃんの新婚事情もしっかり聞かせてもらうからね」と言っていたのを思い出す。
明日はきっと盛大に冷やかされることになるんだろうな…うう。


「俺も早めに渡さないとなあ。そういや旅行で撮った写真もまだ整理してないな」
「結婚式の写真もだよね。あ、じゃあ今日は二人でアルバムつくらない?」
「いいね、そうしようか」

こうして午後の過ごし方が決まった。

片づけを終えて、リビングにある真新しい二人掛けのソファに隣り合って座る。
プリントしたあとそのままにしてあった写真を出してきて木製のローテーブルに並べていく。

「あ、この写真のリン可愛い」
「どれ?…えー、それ?」
「あははっ。まあ、リンはいつでも可愛いけどね」

1枚1枚思い出を振り返りながら二人で選んだアルバムに大切に貼り付けていく。
結婚してからまだひと月も経っていないが、これまでたくさんの思い出を作ることができた。

結婚式は思っていたよりもずっと大変でへとへとになったけど、私たちの新しい門出をたくさんの人が祝福してくれて本当に嬉しかった。
彼と永遠の愛を誓った瞬間を私は生涯忘れることはない。
…二次会でのレンの羽目の外しっぷりはさっさと忘却の彼方に追いやることにしたけど。

「あ、ここも撮ってたんだ。素敵なお店だったよね」
「うん、マスターも穏やかでいい人だったな」
「奥さんもね。お店の看板猫ちゃんも可愛かったな」

新婚旅行で立ち寄った喫茶店の写真を眺める。初老の夫婦が営んでいる小ぢんまりとしたあたたかい雰囲気の素敵なお店だった。
マスターも奥さんもとても優しい人で、ハネムーン中だと告げるとお祝いにと手作りのケーキを出してくれた。
そういえばお店で飼われている猫ちゃんが膝のうえに乗ってきてレンがやきもちをやいたりもしたっけ。
猫ちゃん相手に嫉妬するなんてと呆れながらもなんだか嬉しくて、にやけていたらマスターに私までからかわれたことを思い出す。

(なんか懐かしい…まだそんなに経っていないのに)

旅先での出来事を思い、あたたかい気持ちになりながら写真をめくっていく。
見知らぬ土地をレンと二人で巡るのはとても楽しかった。
レンも子供みたいにはしゃいで、ちょっと可愛いなんて思ったり…ああ、そうでもないか。
宿泊先での激しすぎる夜を思い出して、先ほどまでのふわふわした気持ちがさめていく。
結婚式の二次会といい、新婚旅行といい…いくら新婚夫婦だからってあれはないよね、うん。

「リン?どうかした?」
「これまでの数々のレンの暴走っぷりを思い出してたの」
「さいですか。いやあ、あの時のリンは可愛かったなあ。涙目でこっち見上げてきてさ、もう許してって俺に縋り付いて…」
「それ以上言ったらつねるからね」
「えー、事実を言っただけじゃん」
「レンっ!」

有言実行。自重することを知らない旦那様のほっぺをぎゅうっと抓りあげる。

「いってぇ…やったな。ほら、お返し」
「ひゃ、あはは、レン、ちょ、くすぐったい」

元凶は自分だというのにレンは仕返しにと私の弱点である脇腹を擽ってくる。
堪えきれずにソファに倒れこむ私にレンが覆いかぶさり、さらなる刺激を与えられた。

「やあ、ふっ、あははは」
「リン感度良すぎだろ…あ、俺のおかげか」
「レンっ!きゃ、ふふ、も、勘弁してえ」
「しょうがないなあ、これぐらいで許してやるか」
「は、はあ、ぜえ、はあー」

身体を這いずりまわっていた手からようやく解放されるが、笑いすぎたせいで乱れた呼吸はなかなかもとに戻らない。

「はあ、はあ…もう、レンっ!」
「あははっ」

なんとか呼吸を整えながら怒鳴りつけても、レンは楽しげに笑うばかりで私を腕の中に抱え込んだ。

(うっ、その笑顔は反則…)

レンの無邪気な笑顔を見てると怒る気も失くしてしまう。

(これだからレンには敵わないなあ)

こっそり苦笑を浮かべながらレンの背中に腕を回すと、嬉しそうにこちらを見つめてくる旦那様。
彼の瞳に映る私は驚くほどに優しい顔で笑っていて、ふとあたたかいものが胸にこみあげてきた。

(あ、なんか今幸せかも)

大好きな人の温もりに包まれて、穏やかな時間を過ごす。これだけのことが涙があふれるぐらいに幸せだった。
思わず涙ぐみそうになるのを堪える。本当に泣いたら彼はきっとびっくりするだろうから。
だから私は胸に溢れる愛しさをそっと唇に乗せることにした。

「レン」
「ん?」

ゆっくりと唇を触れ合わせる。私とレンの唇の温度が一つに溶け合っていく。
レンは私からの口づけに驚いているようだった。
いつもは恥ずかしくて、私からすることはあまりないから。

(どっちにしても驚かせちゃったかな)

こういうのを本末転倒というのかもしれないが、普段のレンの余裕を崩すことができたのでよしとしよう。
重ね合わせた時以上にゆっくり時間をかけて唇をはなすと彼は優しい瞳で私を見つめてきた。

「リン…」
「レン…」

ああ、なんでこんなに愛しいんだろう。
キスをしても彼への愛しさがおさまることはなく、むしろさらに膨れ上がっていく。
少しでもこの気持ちを彼に伝えたくて、今度は愛しさを言葉に託すことにした。

「レン…私と結婚してくれてありがとう。私、きっと世界で一番幸せだよ」

私の言葉を聞いたレンが目を見開いたかと思うと、次の瞬間にはぎゅうっと私を抱く腕に力を込めてきた。

「リン、リン!…ああもう!何これやばい。俺の奥さん可愛すぎるだろ。ってか世界一幸せなの絶対俺だし!」
「えー!リンだよ!」
「いーや、絶対俺。リンは二番目だな」
「なにそれ!一番はリンだよ!」
「俺」
「リン」
「俺だって」
「リンだって言ってるのに!もう!…ふふっ」
「ふ、あははっ」

妙なことで張り合っている自分たちがおかしくて、思わず吹き出すと彼も同じように笑い声をあげた。




笑い声の響く昼下がりのリビング。
こんなどこにでもあるような幸せが愛しくてしかたない。
これからずっと彼とこんな風に時を重ねていくことができるんだ。それはなんて幸せなことだろう。
共に過ごす長い時間の中ではきっとお互いに傷つけあうことも、すれ違うことだってあるんだろうけど。
それでも私はあなたと一緒に生きていきたいと願ったから。

不束者の私だけど、病める時も健やかなる時もずっとそばにいてね、旦那様。



あなたといられるだけで
私は世界一の幸せ者ね


うちの鏡音はお互いにメロメロ状態がデフォみたいです。てか長っ!


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