1.
もうとっくに放課後だというのに怜が部活に来ていなかった。
同じ学年である渚にそのことを尋ねてみたら、部活に遅れますとだけ言い残してホームルームが終わるや否や、どこかに走って行ってしまったのだとか。職員室とは別方向だったというから、呼び出しを食らったとか提出物があるとか、そういうわけではないらしい。
なんとなく胸騒ぎがして、すでに着替えていた水着の上からジャージとパーカーを手早く羽織った。
「ちょっと怜のこと探してくる」
「僕が行こっか?」
「いいよ、渚はハルとストレッチしてて。見つからなそうだったらすぐ戻るから」
「うん。わかった」
校舎に向かう俺の背に、渚のいってらっしゃい!という声がかかる。
「多分だけど怜ちゃん校舎裏に行ったんじゃないかな!」
「了解、ハルのことよろしく!」
まだ肌寒い時期だというのに、ちょっと目を離すとすぐにプールへと飛び込んでしまう困った幼馴染のことを渚に託す。
戻ってきたとき、唇を真紫に染めたハルに出迎えられるようなことがなければいいなと思った。
校舎裏へと続く道にはたくさんの木が植えられていて、地面の落ち葉を踏みしめるたびにしゃくしゃくと軽快な音が鳴る。
枝で太陽が遮られているせいなのか、ひらけたプールサイドより幾分も気温が低く肌寒い。パーカーの袖に手を引っ込めて寒さを凌ごうと試みた。
こんなことならパーカーだけではなく、シャツの一枚ぐらい着てくるべきだったかもしれない。今さらそんな後悔をしても遅すぎるけれど。
肩を竦めて木陰を歩き、広場手前の曲がり角に差し掛かった時、角の向こうからくぐもったような話し声が聞こえるのに気づいた。
「怜……?」
漏れ聞こえる話し声の雰囲気に出て行こうとした身を隠し、壁越しに広場を覗き込んだ。
そこには怜と、もう一人。髪の長い女生徒が俯いてじっと立ち尽くしている。
「君は、……が、…………」
二人は言葉を交わしていたけれど、女子の方は声が小さすぎて聞き取れない。怜の声も途切れ途切れにしか聞こえなかった。
息を潜めて耳を澄ます。盗み聞きだとわかっていても、目の前の光景から意識を逸らすことができない。
「…………」
「……で、……か。僕も、…………が好きなんです」
「っ!」
ぱきん、と足下で小枝の折れる音がした。静かな空間に思いのほか響いたせいで、怜と女生徒の視線が弾かれるようにして壁に隠れる俺を捉えた。
「真琴先輩……!?」
怜の目が見開かれる。何かを言われるより先に、両足に力を込めて全速力で走り出す。これ以上その場に居たくなかった。
冷たい空気を切り裂くように、俺はただひたすらハルと渚のいるプールを目指した。寒さのせいではなくまぶたの裏がじわりと熱を持ってきて、気づけば頬を幾筋も涙が伝い落ちている。
どうしてかはわからないけれど、走っている間中、俺の両目からはずっと涙が溢れて止まらなかった。