特に並ぶ必要もなく係員に案内されて踏み入れたお化け屋敷の内部は肌に纏わりつくような冷たい空気に満ちていた。外の日差しで滲んでいた汗が瞬く間に引いていく。それと入れ替わるようにして項のあたりをじっとりとした怖気のようなものが這い上がってくる。
 行ってらっしゃい!お気をつけて!係員のやけに明るい声が響くと同時に背後で重たく扉が閉まる。途端に辺りは足元の誘導灯だけが頼りなく光る暗闇へとつつまれた。真琴の肩が大きく跳ねる。辛うじて耐えていたらしい、大きな体躯が小刻みにがたがたと震え始め、隣に立つ怜を必死に見遣った。

「れ、怜、なあやっぱり…」
「もう扉は閉まってしまいましたし、戻れませんよ」
「うう……」
「大丈夫です。霊なんて非科学的なものこの世には存在しません!ここにあるのは全て人工物です。理論で証明できます。それに、」

 一瞬だけためらいをみせて、怜が真琴の手を掴んだ。お互いの指を絡ませてしっかりと、解けないように繋ぐ。

「僕がついていますから」
「で、出るまでは絶対、離すなよ?」
「はい。お約束します」

 力強い怜の言葉に背を押され、真琴は奥に進むための一歩を踏み出した。順路を示す淡い光に沿ってほとんど何も見えないほどの暗闇の中を進んでいくと、右側にぼうっと浮かび上がった白い障子が見えてくる。ああ、嫌な予感が、する。
 恐々と、足を踏み入れた瞬間。

「うわああああああっ!!」
「わぁああああああ!!まっ真琴先輩っ!ちょっまっ!!」

 障子紙を突き破り真琴と怜を掴もうとして伸びてくる無数の真っ白な手から逃れるため叫びながら駆け出した。固く手を握りしめたままの真琴に引きずられ、足をもつれさせながら怜が必死に後をついてくる。駆ける途中で天井から骸骨が降ってきたり、顔面に冷気が噴射されたり、なにかぬるりとした得体のしれないものが腕や足にぶつかってきたり、突然壁から現れた髪の長い女の人が後を追いかけてきたり色々あって立ち止まる間もなく走った結果。
 出口の暗幕が薄らと見える開けた場所で、怜はどうにか真琴をその場に押しとどめることに成功した。全速力で走り続けたお蔭で二人とも息を切らしていて、まともに言葉を発せないまましばらく経つ。肩を大きく上下させ、荒い呼吸を整えていく。

「真琴、っ先輩……」
「ごめ、……っ怜、俺、怖くて……!」
「いいえ、いいん……です、あの、それより、出口……」
「あっ……本当だ」

 端から光の漏れる暗幕の存在に気づいていなかったらしい真琴は、怜が指差した先を見てあからさまにほっと顔を緩ませた。瞳が潤んで今にも泣きだしそうだ。そんなに怖かったのだろうか。繋いだ手を見つめて、怜は真琴の指先の冷たさと強張りに息を飲む。

「出ましょうか。ね?」
「う、ん」

 ぐずぐずと鼻をすする真琴の頭に手を伸ばし、撫でながらそう問いかけると幼い仕草で真琴が頷く。あと少しだけ。手を繋いだまま暗幕までの短い距離を並んで歩く。あの分厚い布を捲る時にはこの手を離さなければならない。寂しさに苛まれる怜の視界の端を何かが掠めた。
 壁際に置かれた小さな人形が、かたかたと手を振っている。からくり仕掛けの口元には口紅で彩られた不気味な笑みが浮かべられていて。
 お化け屋敷の仕掛けの一つなのだろう。見送りまでついているなんてなかなか凝ったつくりだ。真琴の視界に入らないよう注意深く歩を進めながら暗幕へと手を掛ける。

どこか異質なその人形は真琴と怜の背中に向けていつまでも手を振っていた。






 お化け屋敷から出た後は、まだ乗っていなかった残りのアトラクションを制覇して最後に残しておいた観覧車から橙色に染まった遊園地の景色を眺めた。綺麗だね、と呟く真琴の横顔に怜はささやかなため息を吐く。
 真琴に辛い思いをさせてしまった。あんなに、冷たくなるほど怖がらせてしまった。正直なところ真琴の怖がりを甘く見ていた部分があった。本物の幽霊が出そうな場所という訳ではなく、お化け屋敷という最初から作り物だと分かっている場所ならば少しはましなのではないか、などと。
 自分のわがままに付き合わせて本当に悪いことをしてしまった。やはり謝っておくべきだろう。そう思い口を開こうとした怜に、真琴が外を眺めていた目を向けた。その表情は穏やかで怜の気勢がそがれてしまう。

「今日は楽しかったね」
「はい、とても楽しかったです。ですがその、お化け屋敷……」
「怖かったけど楽しかったよ?」
「えっ……?」

 予想外の言葉に驚く怜を見、笑う真琴の横顔を西日が赤く照らしている。その美しさに呼吸が止まった。呆然とする怜に身を乗り出し、間近で瞳を覗き込みながら

「怜と手も繋げたし、ちゃんと、離さないでいてくれたし」
「そう、なんですか」
「そうなんですよ」

 悪戯っぽく茶化して笑う。重たくなりかけていた心がそれだけで随分軽くなる。真琴の優しさが染み込んでくる。怜は思わずその肩に手を伸ばし、鼻先が触れ合うほどの位置まで顔を近づけて止まった。
狭い空間に響く息遣い。少しだけ驚いていた真琴が眦を緩め呟いた。

「渚に聞いたんだけどね。この遊園地の観覧車、ジンクスがあるんだって」
「ジンクス……?」
「頂上でキスをした恋人同士は一生、しあわせになれる……らしいよ?」

 真琴の頬が、耳たぶが、西日のせいだけではない色に赤く鮮やかに染まっている。音を失くした深呼吸をして、タイミングを見計らい、そして。






「――――――と、いう感じです」
「ちゅーしたの?!怜ちゃん、ちゅーしたんだね!?」
「し、しましたよ」
「ひゅーひゅー!!」
「ひゅーひゅー」
「もう何なんですか一体!!遙先輩まで!!凛さんも見ていないで助けてくださいよ!」
「無理だな」
「どうしてですか!」

 叫んで立ち上がった怜が帰ります!と宣言し教室を出ていこうとするのを渚が宥め、席に座り直させる。かわいそうに顔を真っ赤にした怜はもう何もしゃべらないという意思を表すかのように唇を噛みしめ、俯いているのにもかかわらず渚からの質問攻めは到底止まる様子がない。
 それでそれで?どうだった?何味だった?あったかかった?柔らかかった?美味しかった?可愛かった?感想を教えてよねえ怜ちゃん!矢継ぎ早に継がれる問いかけに無言を貫いていた怜が、ふと遙の視線に気づき俯いていた顔を持ち上げた。
 遙の群青色をした目がじっと、怜を見つめている。

「遙先輩?」
「お前は、真琴が好きか?」
「なっ……と、当然です。なんですか突然」
「いや。……それなら、いいんだ」

 遙は一人納得したように頷き、理由を説明されることなく取り残されてしまった怜は訳も分からず首を傾げる。暫く質問の意図を考え、遙の思考が読めないのはいつものことだからと結局分からないまま片づける。
 そういえばさ。渚が言った。先ほどまでの質問とは違う話のようだったので、怜は久しぶりに渚の声へ耳を傾け聞き取った。

「お化け屋敷の出口の近くで、怜ちゃんお人形見たんだよね?」
「ええ、まあ。日本人形、ですかね。笑っていて、手を振っていました」
「僕、そのお化け屋敷行ったことあるんだけどさ。うーん……確かに人形はあったと思うんだけど、手も振ってなかったし、笑ってもいなかったと思うんだよね」
「……仕様が変わったのではないですか?」
「そう思う?」

 凍りついてしまった怜に向けて、渚がにっこりと笑顔を向けた。

「事情は伏せておくけどね、僕がお化け屋敷に入ったの怜ちゃんたちのすぐ後なんだ」


 じゃあいつ僕が見たお人形と入れ替わっちゃったんだろうね?





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