待ち合わせというものは誰しもに密やかな胸の高鳴りをもたらすもので、それは岩鳶町から一番近い遊園地のゲート付近で幾度も時計を眺めては腕を下ろす怜にとっても変わらないことだった。
時間まで長針半周分ほどもある。準備は大方昨夜のうちに済ませ、朝家にいても落ち着かず早めに出てきてしまったがやはりこれは早すぎたのかもしれない。
 念のため、遊園地のゲートにあるファンシーな鳩時計の文字盤と自分の腕時計を見比べてみてもどちらもぴったり同じ場所を指していてわずかな時間もずれていない。

 休日の遊園地だけあって家族連れやカップルなど溢れかえる人々が、そわそわと立ち尽くす怜の隣を絶え間なくすり抜けゲートの向こうに広がる世界へと消えていく。彼らの表情は一様に笑顔と昂揚感で彩られていたが、その明るさを目にしても怜の緊張は解けなかった。
真琴を遊園地に誘ったときからずっと抱いている不安が今も騒がしい。彼は本当に来てくれるのだろうか。高校生の男同士、しかも二人きりで遊園地なんて。いくら恋人関係だと言っても断られたっておかしくない。好きだから何でもできるという訳ではないから。

むしろ怜と真琴との関係には自分ではどうしようもない制約の方が多かった。
世間一般の恋人たちのように人前で堂々とできるわけでもない。友人にも打ち明けられない(渚の場合は打ち明ける前になぜか知っていたが)。親にだって、いや、親にこそこんなことは言えない。絶対に。

海のような葛藤に沈みかけていた怜がもう一度時計を見ると、長針はようやく三つほど先に進んでいる。先の長さに辟易する。あと何度自分のうちに沈み込めば待ち合わせの時間になるのだろうか。
到着した時はそれほどでもなかった日差しがますます強くなっている。額に浮かぶ汗を洋服の袖で乱雑に拭い、とりあえず飲み物でも買いに行こうとゲート近くの自販機へ足を踏み出したその時だった。

「怜!」
「あ、……真琴先輩」
「ごめん、待ったか?」
「いえ、あの、僕が早く着きすぎてしまっただけですから」

 待ち焦がれていたその人は怜の姿をすぐさま見つけ慌てた様子で駆け寄ってきた。肩で息をする真琴を見てどうにも申し訳ない気分になる。本当に、早く着きすぎてしまっただけなのだ。多分真琴の頭の中には待たせてしまった罪悪感がふつふつと湧いているはずだった。橘真琴という人は怜の知る限りそういう人だ。

「……とりあえず行きましょうか」
「あ、うん」

 気まずい沈黙に満たされかけた空気を振り払うように、怜は呼吸の落ち着いた真琴をゲートまで促した。先導する怜の後を真琴がてくてくとついてくる。僕たち二人は周りからどんなふうに見えているのだろうか。不意にそんなことを考える。
 真琴は先を進む怜の背中をじっと見つめ、俯いた。




「――――とりあえず待ち合わせは大丈夫だったみたいだね!」
「そりゃそうだろ……」
 
 怜の自宅からここまで尾行し、経過を見守る、もとい双眼鏡で観察していた渚がまるで一仕事終えたような顔でふう、と額の汗を拭った。できるだけ知り合いには見えないように渚から少し離れた場所で壁に背を凭れさせていた凛が深々とため息を吐く。

 大ぶりなサングラスにアイボリーのキャスケット。渚のいう軽い変装に身を包み、この期に及んで気乗りしない凛の背後からぱたぱたと足音が聞こえる。

「あっハルちゃん!おつかれさま!」
「ああ」

 駆け寄ってきたのは真琴を尾行するために別行動をしていた遙だった。遙もまた軽い変装、普段は無造作に下ろしている髪をワックスで背後に流し、伊達眼鏡をかけている。それだけで別人のような印象になるから軽いとはいえ変装というのはなかなか侮れないなと思う。しかしその点渚は残念ながら、どうあがいても渚だった。
 ふわふわと跳ねる金色の髪はいくらセットしてもふわふわだし、一応サンバイザーを着けているがなんとも渚だ。どう見ても渚だ。
 
 各々の変装に対するとりとめのない評価は一種の現実逃避だったろうか。空を仰いでいた凛の手が渚の高い温度に掴まれて引っ張られる。

「早くいかないと見失っちゃうよ!」

 できればこのままここに置いていってほしいと思ったが、反対側を固めた遙の様子からしてそれは許されないことらしい。これならいっそ早々と諦めてしまった方が楽かもしれない。いやでも尾行、なぜ俺が。
結局思考をまとめられない凛は自らの意思とは無関係に怜と真琴の後を追って遊園地へと足を踏み入れる。渚と遙に引きずられながら。抜けるような晴天の下。






 渚から貰ったチケットで無事にゲートを通過した怜と真琴は入り口横の広いスペースで貰ったパンフレットを広げていた。園内図と簡単なアトラクションの説明を見ながら最初は何に乗ろうかと額を突き合わせて相談する。
 メリーゴーランドやキャラクターものなど、小さい子向けのアトラクションはとりあえず除外するとして。

「僕の調べによれば、この遊園地はジェットコースターが有名なようですね」
「そうなのか?ジェットコースターならいくつもあるけど……」
「こっちのやつが落差世界一らしいですよ」
「へえ、じゃあとりあえずそれにしよう」
「そうですね」

 遊園地に入って一発目のアトラクションは無事ジェットコースターに決定した。万全な下調べと入念なルート考察を繰り返していた怜のお蔭でアトラクション巡りはスムーズに進み、ジェットコースターに乗った後もめぼしいものを次々に制覇した。
 あっちにミラーハウスがあるよ。そう言った真琴が12時を知らせる園内放送に耳を傾ける。

「あ、お昼だ」
「そういえばお腹すきましたね」
「何か軽く食べようか」
「お昼時ですから人が多いかもしれませんよ」
「あー……じゃあ、あそこなんてどうかな」

 真琴が指差した先にはホットドッグを売るこぢんまりとした屋台があった。何人か人は並んでいるもののそこまで多くはない。捌かれるスピードも遅くはないから、あれなら10分かそこら並べば食べることができるだろう。
 
「では買ってきますので、真琴先輩はあちらのベンチで待っていてください」
「え、ちょっ怜……」

 呼び止める声にも振り向かず怜は真琴をその場に残してホットドッグの屋台へと向かった。置いて行かれた真琴はしばらく戸惑った後、言われた通り空いているベンチに腰掛け二人分の席をとる。遠くに見える列に並んだ怜の姿をじっと見て、その横顔からなにかを読み取ろうと試みた。
 普段と何ら変わりのない怜の顔。だけど、何かが違う。なんだろう。
 
 ぼんやりと考え続けている間に怜が二人分のホットドッグを持って真琴の座るベンチにやってきた。片方を真琴に差し出して「マスタード苦手なんですよね?こっちには入っていませんので」と当然のように告げた。

「うん、苦手なんだ。でも怜に言ったっけ」
「遙先輩に聞きました」
「そっか、ハルから」
「食べましょう。冷めてしまいます」

 怜の気遣いで赤くなった頬を隠すため真琴は目の前のホットドッグに大きくかぶりついた。焼き直されているのだろう香ばしい風味のパンにジューシーなソーセージとザワークラウトが詰め込まれている。食べ慣れた味のチープなケチャップがそのすべてを調和させて、口の中一杯にホットドッグの素朴な美味しさが広がった。
 こういう場所で食べているのだという補正分を含めたとしても本当に美味しい。ちらりと隣に視線を向けると怜も同じことを思っていたようで、光を反射する硝子の奥でぱちぱちと目を瞬かせていた。

「美味しいね。このホットドッグ」
「はい。思ったよりも」
「怜と一緒に食べてるからかな」
「なっ、……そ、うですね。僕も真琴先輩と一緒に食べているからかもしれません」

 軽い口調で粉をかけてみると驚きながらもまんざらでもない答えが返される。ああ、今ならきっと。様子がおかしかった理由を怜に尋ねることができる。
 できるだけ慎重に言葉を選んだ。真琴はもぐもぐと口の中に留まるホットドッグを咀嚼して、飲み込み、次の一口を食べる前に「ねえ、怜」と切り出した。

「今日は俺のこと誘ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。来てくれてありがとうございます」
「だって俺すごく楽しみにしてたんだ」
「……遊園地を、ですか?」
「それもあるけど、怜とのデートをだよ」

 デート、と口にした瞬間怜の肩が強張るのがわかった。照れているのかとも思ったけれど、それだけではないことが噛みしめられた唇からわかる。怜の中にあるわだかまり、その正体を突き止めるべく真琴はさらに言葉を紡ぐ。

「怜は楽しみじゃなかった?」
「そんなことは……っ!」
「じゃあ、今は楽しくない?」
「っどうして、そんな」
「なんか落ち込んでるみたいだから」

 待ち合わせ場所で怜と会ったとき。真琴の姿を見て彼は紛れもなく安堵していた。今の今まで真琴が来ることを疑っていたような顔を。
信用がないというのとは違う。怜は思い悩んでいる。その原因が真琴との関係に要因するものであることは考えずとも分かることだ。

怜と恋人になったことについて真琴はそこまで難しく考えてはいなかった。もちろん男同士であるというハンデを乗り越えて気持ちを受け入れてもらえたことは何よりもうれしいし、その際に怜がどれだけの覚悟を決めたのかも知っていた。
だからこそ怜が自らの内に溜め込む不安をどうにか、少しでも軽くしてあげたいと、真琴は怜に対してできるだけ一貫した態度を心掛けてきた。
自分は怜が好きなのだと。
この関係はただそれだけの想いの上に成り立っているのだと。

もしかしたら考えているよりずっと不安定な関係かもしれない。それでもよかった。短い間でも、怜とたくさんの思い出を作ることができるのならそれで。
だから今日、初めてのデート。怜にもどうか楽しんでほしい。

待っている間に考えた言葉を言い終えた真琴が怜を見つめる。半分ほど食べたホットドッグに視線を落として微動だにしなかった怜が唐突に顔を上げた。真琴の方に向き直って「違うんです」と口にした。

「僕だって、今日を本当に楽しみにしていました。いえ、今だって楽しいんです。あなたとここにこられて。本当に、」

 初めは勢いのよかった言葉も後半に差し掛かるにつれどんどん尻すぼみになっていき、結局最後まで言い終わることなく完全に立ち消えてしまった。何か言おうと思うのに何も出てこなくなった、そんな雰囲気を怜から感じた。
 多分、まだ怜の中でも自分がなにをこんなに気にしているのかはっきりしない部分があるのだと思う。言葉に変えられなかった想いは喉の奥に留まってさぞかし気持ち悪いことだろう。再びしょんぼりと肩を落とした怜に、真琴は少し首を傾げ

「あんまり難しく考えないでさ。とりあえず、今日一日は俺のことだけ見ていてよ」

 さらりと告げられた言葉のとんでもなさに怜は驚いて息が止まった。真琴にとっては何気ない言葉だったのか、どうして怜がそんな風に顔を赤くしているのか分からない様子でもふもふとホットドッグをほおばっている。あの、その。先ほどとは別の意味で口ごもりながら怜は言った。

「そう、します。……はい、今日は、真琴先輩だけを」
「うん。まだまだ乗ってないアトラクションあるし早く食べちゃおう」

 真琴にならって怜もホットドッグの残りを急いで胃袋へとおさめていく。重たかった気分がいくらか霧散しているのは、やっぱり僕が真琴先輩に恋をしているからかもしれない。




「――――なんかいやな雰囲気だったけど大丈夫みたいだね!」
「そうみたいだな……」

 遠目に見える真琴と怜は先ほどまでの微妙な空気から解放されて笑っていた。仲良く言葉を交わしながらホットドッグを食べる二人に、見守っていた凛の方もなんとなく安心してしまう。あれほど嫌がっていたくせにすっかり見守るサイドの人間だった。
 安心しているのは隣にいる渚も同じようで、よかったねえ、よかったねえと何度も何度も繰り返している。その度に返事を返すのは流石に遠藤臭かったので、凛は適当なところで渚への返答を切り上げ、辺りを見回しふと気づく。

「おい、ハルはどこだ」
「ハルちゃんならさっきまでそこに……あれ?」
「アイツ一人でどこ行きやがった!」

 いつの間にか姿を消していた遙の携帯に急いで電話を掛ける。1コール。2コール。3コール目でつながった。電話口からの応答を待たずに

「お前今どこにいやがる!あれ程ひとりで行動すんなっつっただろうが!」
「うるさいぞ、凛。そんなに怒鳴らなくても聞こえる」
「だからどこにいるんだって……」
「こちら遙。ポップコーンを手に入れた」
「なんでだよ!!」

 先ほどから遙の言葉がもごもごとこもって聞こえていたのはポップコーンを食べていたからか。いやふざけんな。どういうつもりだあのバカ。
 会話を聞いていたらしい渚が凛の手から携帯を奪い「いいなあポップコーン!僕も食べたい!」と騒ぎ出す。ひとの携帯を使ってポップコーン談議で盛り上がるな。大体真琴と怜を見守るんじゃなかったのか。
 鈍い頭痛が凛を襲う。これじゃあこいつらのお守り役だ。いったい自分は何をしているのか、渚から携帯を取り返し容赦なく通話を切断する。
もう面倒で仕方ないので遙は放っておくことに決めた。とりあえず渚だけでも連れて怜と真琴の後を追うべく再びベンチに視線を戻すとそこに二人の姿は無い。

「おい、アイツらは?」
「えーマコちゃんと怜ちゃんならさっきどこかに行っちゃったよー?」
「言えよ!!」
「大丈夫大丈夫。行先はちゃんと分かってるから」

 首根っこを掴まれながらも渚はのほほんとしたもので、凛の手から逃れると迷いのない歩調で歩き始める。訝しみながらも凛はその後へと続き、当然の疑問を口にする。

「それで、アイツらどこに行ったんだ」
「んー?それはねぇ」

 くるりと振り向いて渚が言った。「お化け屋敷、だよ!」






「お願いがあるんですが」怜からのそんな切り出しに真琴はきょとんと首を傾げた。食事も終えてこれからまた遊びに行こうとしていた時のことだ。
 内容を聞かないことには叶えられることかもわからない。そう思ってとりあえず真琴はじっと怜を見つめた。お願いってなあに。顔いっぱいに書いてある。

「いえその、非常に言いにくいことではあるんですが」
「言いにくいお願いって、変なことじゃないよな?」
「違いますよ!そういうことではなく、その、つまり……」

 すう、と息を吸い込んで。はあ、と息を吐きだした。怜が真琴の両手を掴み、やわらかな力でぎゅう、と握る。真剣な目。

「お化け屋敷に行きません「嫌だ」

 にっこり。そんな擬音が似合いそうなほど見事に真琴が微笑みを浮かべた。言いきらせることすら許さなかった。穏やかで優しい真琴にあるまじき底知れない目をしていた。怜の背中を寒気がはしる。
 しかし、怜はめげなかった。先ほど言いきれなかった言葉をもう一度口にした。

「お化け屋敷に行きましょ「い、や、だ」

 今度はご丁寧に一文字ずつ区切られて拒絶された。付け入る隙など一片もない拒絶だった。今度こそ撃沈した怜がその場にうなだれるのを目にし、真琴はむずむずと唇を動かした。自らの内の葛藤をどうにか片づけようと努力し、結果真琴は怜に「なんでお化け屋敷に行きたいの」と聞いてみることに成功した。
 真琴がお化けというか、オカルト全般苦手であると知っていながら、わざわざ行きたいと言い出したのだ。何か深い理由があるのだろうと思って。

 そうすると怜はまたどうにも言いにくそうなそぶりでふらふらと視線を彷徨わせ始めた。その表情には罪悪感にも似た感情が見え隠れしている。そのくせお化け屋敷に行きたいという思いは全く揺らいでいないようだ。
「ね、どうして?」いつまでたっても口ごもる怜にダメ押しの一言を投げつけた。漸く怜の透き通った瞳が真琴を捉え、唇を動かす。

「お化け屋敷は、暗いでしょう。周りに人もいませんし」
「うん、そうだね」
「ですのでその、気兼ねなく、……手を繋げそうだと思いました」
「うん?」

 脈絡が、ちょっとおかしい。つまり怜が言うところのお化け屋敷に入る目的は人目につかない場所で手を繋ぎたいということになる。「別にお化け屋敷じゃなくてもいいんじゃない?」真琴の至極もっともな問い掛けに、怜は拳を握りしめ力強く反論する。

「ほかの場所は僕たち以外のお客さんが周りにいます!お化け屋敷だけなんです、暗くて、見えづらくて、孤立しているのは!」

 だからどうかお願いします!怜が深々と頭を下げる。反応しづらい微妙な理由にとっさに言葉が紡げなかった。お化け怖いという本能と怜の願いをかなえてあげたいという感情がせめぎあい戦っている。
そんなことを言われたって怖いものは怖い。無理なものは無理だ。でも目の前で怜がこんなにも必死に頭を下げている。どうしよう。
 しばらくの間。おおよそ3分程度の時間。思い悩んだ末、元来思い切りの悪い方ではない真琴はよし!と覚悟を決めた。お化け屋敷でもなんでも行ってやろうじゃないかと気合を入れる。こんなにも必死にお願いされてしまっては断るのも忍びない。ついでに怜の言葉が本当ならお化け屋敷の中にいる間手を繋いでいられるのだから少しはましだと思ったからだ。
 お化け屋敷なんて所詮作り物。本物に比べればどうってことない。
 自分にそう言い聞かせながら、未だ頭を下げ続けたままの怜に了承の返事をする。

「一回だけ、だからな」
「……えっ?」
「それと、なるべく早く出ること!」
「は、はい!」

 そうと決まれば決意の鈍らないうちに行動するのが吉だった。真琴はまだ信じられなそうにぼやっとしている怜の背を押し観覧車の向こう側に見えているおどろおどろしい建物を目指す。黒い外壁に蜘蛛の巣や妖怪のオブジェ、近づくにつれ明らかになる全容は見れば見るほど不気味で足が竦みそうになる。
 大丈夫、絶対大丈夫。怜が一緒にいてくれる。
 いざという時は守ってもらおうとちらりと視線を寄越した先の怜が真琴の縋るような瞳に気づく。大丈夫です、と言う代わりに安心させるような微笑みを浮かべた。


/

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -