「はいこれあげる!」
「なんですか……遊園地のチケット?」
「そのとおり!」

 くるくるとその場で回り始めた渚くんがセリフに合わせてぴしりと背筋を伸ばし、たん、と足を踏み出した。彼のたいへん素晴らしい持ち味であるところの輝かしい笑顔で僕を見、そして一枚の紙きれを僕の胸元に押し付けた。
 反射的に受け取ってしまったそれをまじまじと眺めるとメルヘンチックでカラフルな絵柄の表面にはこれまたかわいらしいフォントのおふたりさま限定ペア招待券という文字が印字されている。光沢のある表面をあらかた眺め、そこに僕の知りたい情報は記されていないと分かったので

「どうして僕に?渚くんが使えばいいでしょう」
「それさ、今度の日曜日までしか使えないんだよね」
「はあ、そうみたいですね」
「でも僕今度の日曜日、用事で出かけなくちゃいけないんだ」
「ああそれで。しかし僕には一緒に遊園地に行くような人など……」
「何言ってるの怜ちゃん?本気?」

 透き通った桃色の瞳が不穏な色に煌めいた。背筋をなにかわけのわからない予感めいたものが駆け巡り無意識に体をこわばらせた。芝居がかった大仰な動作で渚くんは僕に詰め寄った。「怜ちゃんには恋人がいるじゃない」。
 顔面の筋肉がぎしっと音を立てて固まった。「……なぜ、それを」口から漏れ出てしまった呟きは渚くんの確信めいた指摘を肯定するものにほかならなかった。誰にも言っていない。誰にもばれていないと思っていたのに。なぜだ。どこから。ああ、それよりも。

「君は一体、どこまで……」
「マコちゃんでしょ。付き合ってるの」

 頭からつま先までを血の気が音を立てて駆け降りる。当面は誰にも言うつもりがなかった秘密をさも当然のように渚くんは知っている。彼の言うとおり僕は真琴先輩と付き合っている。大体ふた月ほど前からだ。

 男同士で。間違っていると。言われるのだろうか。想像するだけで寒気がした。渚くん、僕の一番の親友。君にだけは知られたくなかった。今はまだ。もう暫くの間は。

 二の句を継げずに黙り込む僕を低い位置から覗き込み渚くんは零れ落ちそうに大きな瞳をぱちくりと一度開閉した。絶望感に満ちた僕の表情を受け取り何ごとか思案している。かと思えば両手を打ち鳴らし飛び跳ねながら僕の両手を握りしめ

「もしかして誘う勇気がないの?僕が代わりに言ってあげようか」
「は?いや、別にそういう訳では……。というか、君は何とも思わないんですか」
「なにが?」
「なにがって……僕と、真琴先輩のことですよ」
「応援してるよ?だからチケットあげるんじゃない」

 僕がどうしてこんなことを聞くのか心底不思議だとでも言いたげに渚くんは屈託のない顔で笑った。メルヘンチックでカラフルで、色とりどりのアトラクションとキャラクターの絵が描かれた遊園地のチケットを指差して言った。

「ふたりでたくさん楽しんできてよ。あとでどうだったか聞かせてね」






「と、いう訳で!見事怜ちゃんとマコちゃんを遊園地に送り出すことに成功しましたー!」

 ぱちぱちぱち。ひとり分の拍手が教室内に響く。最前列に陣取った遙のものだ。そこからずっと離れた場所の席、窓際の後ろから二番目に苦虫を噛み潰したような顔の凛が乱暴に腰かけていた。苛々と尖った歯を鳴らしては窓枠を指先で何度も叩き、ここに居るのはいかにも不本意だとでも言いたげな雰囲気を醸し出している。
教壇に立ち演説じみたことをする渚も、無表情ながらどことなく真剣な瞳で渚を眺める遙も、凛のそんな様子など気にも留めていなかった。彼をこの場に連れてきた張本人たちであるのにもかかわらず。

鮫柄で本日分の部活を終えて、さあこれから寮に戻りやるべきことを片付けた後は自主練習に勤しもうと心決めていた凛は突如その場にあらわれた遙と渚によって強引に岩鳶へと連行された。なんの用だと聞いてもとにかく来て!としか言われず、しかもその顔が見妙に切迫味を帯びていたものだからもしやなにか事件でもあったのかと大人しくついてきてみればこれだった。
黒板にはでかでかと『本日の議題・怜ちゃんとマコちゃんをラブラブさせるためにはどうしたらいいか』の文字が躍っている。凛ははあ、とため息を吐いた。

知るか、そんなの。という気分だった。怜と真琴が付き合っていること自体は暫く前から知っていた。むしろくっつく前からあの二人がお互いを思い合っていることには気づいていたし、両想いからようやく恋人同士になったのだと渚から聞いたときは素直に祝福したいという気持ちになった。男同士だとか、しがらみはあっても、二人は大切な仲間なのだからどんな形でも幸せでいてくれる方がいい。
だかしかしこの状況はどうだ。渚も遙もいったい何を考えているんだ。怜と真琴をラブラブに?どうしてわざわざそんなことを。

「凛ちゃんご機嫌斜めだねえ。なんでだろ」
「さあな。腹でも減っているんじゃないのか」

 この静かな教室で聞こえていないとでも思っているのか、それともわざと聞こえるように話しているのか渚と遙がひそひそと凛について言葉を交わしている。その行為がますます凛を苛立たせていることなど知る由もない。
 とうとう席を立ち出口に向かう凛の背中から渚が抑え込むように抱きついた。鬱陶しそうに振り向いた凛が明るい金色の髪に手を乗せてぐぐっと向こう側に押し返す。わああなにするの、やめてよ凛ちゃん。騒ぐ渚を押し返していた腕が横から伸びた別の手に掴まれた。

「お前は真琴と怜が心配じゃないのか」
「ああ?んだよ、心配って」
「あいつらは付き合って二ヶ月も経つのに何もしていないんだぞ」
「そんなの俺たちがどうこう言う話じゃねえよ」
「だって手も繋いでないんだよ!怜ちゃんもマコちゃんも恥ずかしがりだから誰かが後押ししてあげないと!」
「後押しするなら」
「僕たちでしょ!」
「なんだその息の合い方……」
 
 突き放されてそれでもめげず再び凛に抱き着いた渚が上目にじっと凛を見つめた。腕を掴んだままの遙も一緒に目だけで訴えてくる。後押ししないと。心配じゃないのか。二対の視線に晒され続けて結局凛はぱきんと折れた。がしがしと思い切り頭を掻いて「わぁったよ、協力してやる」渚と遙の表情が輝く。

「やったあ!さっすが凛ちゃん!」
「見直したぞ、凛」

 本当に好き放題言ってくれる。はいと言わなければこの場から逃がしてくれそうにもない目つきだったのはお前らじゃないか。
 そんな風に文句を言いたくなるのをぐっと堪え、相変わらず腰に抱きついたままの渚に向かって問いかける。

「で?後押しって具体的にどうするつもりだ」
「えーっとね、遊園地のチケットは渡したから……」
「見守るんだ」
「はぁ?」
「今度の日曜、遊園地でデートする真琴と怜を、見守るんだ」
「何かあったら大変だからね!」
「いや何かってなんだよ」
「何かだ」
「答えになってねえ」

 答えのないクイズか、はたまた禅問答かというやり取りを飽きるまで繰り返したその結果。渚と遙は本当に本気であの二人の遊園地デートを尾行して、見守る。それしか考えていないことが明らかになった。後押しも何もあったものではない。これでは完全に野次馬だ。
 絶望する凛の前でやけにはしゃいだ様子の渚と遙がきゃっきゃと計画を練っている。軽い変装もしなくちゃね!なんだ、軽い変装って。鼻眼鏡でもつけて来いと言うのか、確か似鳥が持ってたような……ってつけるか。誰がつけるか。遊園地だからって鼻眼鏡つけてんのはおかしいだろ。はしゃぎすぎのレベルを超えてる。
 頭の中を好き勝手に乱舞する鼻眼鏡を一旦追い出し、渚と遙に声をかけた。二人とも相談に夢中になって忙しなく変わる凛の顔色に気づく様子がなかったからだ。

「どうしたの凛ちゃん、質問?」
「やっぱり俺は協力しねえ」
「何を言ってる」
「意味ねえだろ、尾行したって」
「一度は協力するって約束したじゃない!凛ちゃんは約束を破るような人だったの?」
「見損なったぞ、凛」
「何とでも言え。とにかく俺は行かねえからな」

 なおも言い募ろうとしている渚と遙をきっぱりと拒絶して、部活から持ってきたままだったスポーツバッグを肩にかけ今度こそ教室を出ようとしたところで。
 渚と遙の(恐らくまた自分に聞かせるつもりなのだろう)話し声が凛の耳に飛び込んでくる。

「あーあ、凛ちゃんなしじゃ人数が足りないよ」
「江はどうだ」
「そっか!江ちゃんなら協力してくれそうだよね!」

 待ってて、電話してみる。渚の指が慣れた動きで江の携帯番号をひとつずつプッシュしていく。最後の数字を打とうとしたその直前。

「わぁ!なにするの返してよー!」
「……江はダメだ」

 ダッシュで戻ってきた凛の手が渚から携帯を取り上げた。切断ボタンを連打して画面から江の携帯番号を消去する。ぶうぶうと頬を膨らませた渚が飛び跳ねながら携帯を取り戻そうと迫ってくるのを最小限の動きで躱しながら凛は

「俺がやる。協力するから江を巻き込むのはやめろ」
「ほんと!?わーいやったぁ!」
「見直したぞ、凛」

 彼にとっては苦渋の決断を口にした。可愛い妹がこんな茶番に巻き込まれていくのを良しとしなかったためである。というのが理由の半分で、もう半分はあの可愛い妹なら渚からこの話を持ちかけられれば二つ返事で了承しかねないと思ったからだ。それは、ダメだ。色々とダメだ。
 日曜日の朝から夕方まで部活仲間とはいえ男同士のカップルを付け回す江なんて、ちょっと想像したくない。ましてや付け回す間中興奮に彩られた江の顔など想像するだけで残念な気分になる。とにかく凛は妹を巻き込みたくない一心で日曜日の作戦に同行することを決意した。
 
 鮫柄高校2年生、専門はバッタとフリー、好きなものは水泳と妹。そんな彼の暗黒の日曜日が今、ここに決定したのである。





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