合宿。部活動に勤しむ学生にとってこれほど切り離せないものはない。学校ではない別の場所に部員全員で宿泊して、大体がおおよそ3日か4日練習に打ち込む一大イベント。
 夏休みを迎え、朝から暗くなるまでを水と過ごしていた水泳部内にその言葉を持ち込んだのはやけに昂揚した渚だった。

「それってすごくいいアイデアかも!」
「でしょ!さっすが江ちゃん話がわかるぅ!」
「しかし、合宿と言っても場所はどうするんです?」
「……水島はどうだ」
「水島ですか?あの無人島の?」
「あの近くなら民宿もありますね」
「でもでも、宿に泊まる部費なんかないよー?」
「そっか……うーん、遙先輩どう思います?」
「…………真琴」
「え、俺?」

 合宿やろうよ!という渚の連れてきた一陣の風は瞬く間に勢力を増して水泳部全体を飲み込んだ。すっかりやる気になっているらしい渚に江ちゃん、ハルと怜の4人がわあわあと計画を練り始めて。
 最初にぶつかった壁は部費。切実だった。
 こればっかりはどうしようもない。願ったって都合よく増えてくれるものではないのだし。夏の大会で実績を残すことができれば来年の部費に上乗せがあるかもしれないがそれじゃあまりにも遅すぎる。
 江ちゃんから話を振られたハルは何もアイデアが浮かばなかったのかそっくりそのまま問題を俺の方へと投げ寄越しこちらを見つめてくる。その様子に気づいたほかの3人も俺の方をじっと見て、合わせて4対の視線からプレッシャーがひしひし注がれる。

 一応、俺は水泳部の部長という立場だからこういう時に頼れる存在でありたいとは思う。それと同時に一介の高校生である以上どうしようもないことは存在する。
 お金の問題なんか最たるものだ。バイトもしていない学生の身分で大金をそうそうすぐに用意できるはずもない。この方向性で一番ありえそうな解決策は、やっぱり顧問の天方先生にお願いしてみる、というところではあるが。

(難しいな……)
 いくらほかの部活動より少人数とはいえ天方先生まで合わせて6人。食費は部費で賄えても、宿代全部を天方先生に負担してもらうのは実際非現実的だ。若い女性、赴任してきたばかりで貰っているお給料も知れているだろうし。
 さてどうしたものかと考えた結果。

「分かった。泊まる場所については俺が何とかするよ」
「なにかいい方法があるんですか?」
「江ちゃんと天方先生は民宿に泊まってもらうとして、俺たちは浜辺でテント泊だ」
「キャンプするってこと?!」
「うん。確か父さんが一式持ってたと思う」
「なるほど、それなら確かに宿泊費は掛かりませんが……」

 逆転の発想だ。使えるお金が無いのならお金を使わなければいい。
流石に女性である江ちゃんと天方先生を野宿させるわけにはいかないので二人にはちゃんとした民宿に泊まってもらうことになるけれど、そのぐらいならなんとか部費から賄える。
 一気に現実味を帯びた合宿の話に盛り上がる一年生組を見てふわりと心が温かくなる。
よかった、少しは役に立てただろうか。部長としての責務を果たせたのならそんなに嬉しいことはない。俺はみんなに迷惑ばかりかけているから。

 喘息の発作を起こさないために随分気を使ってもらっている自覚はある。先日など、場所柄風が通らず、どうしても空気のこもりがちな部室に空気清浄器を導入してもらった。お蔭で部室にいる時咳き込むこともかなり少なくなっている。
そういうところで助けてもらっている分、今度は俺が水泳部の皆に恩返しをしたい。

 父の所有するアウトドアグッズを思い出しながら必要そうなもののリストを作っていると、先ほどまでとは違う真剣な目でハルが俺を見つめていた。

「な、なに?」
「……お前も、宿に泊まったほうがいい」

 ハルがそんなことを言いだしたのは、当然俺の喘息を気遣って。ここにはいない凛とはまた違う意味でハルも俺のことを小さい時から心配してくれていた。凛よりも住んでいる場所が近くて親同士仲が良かったこともあり、ハルの家には何度も遊びに行ったことがあるしハルもよく俺の家に遊びに来てくれていた。
 最近はあまりお互いの家を行き来していない。大きな理由があるわけではなくて、ただなんとなくそういう感じになってしまっている。高校生になってからは特に。同じ学校の同じクラスには居ても、昔ほどべたべたはしなくなった。幼馴染なんてそういうものかもしれない。凛という例外も、まあ、たまにはいるのだけど。

「大丈夫だよ。夏は発作が起きにくいんだ」
「そうなのか」
「心配してくれてありがとう、ハル」
「……別に」
 
 もしかして照れているのか、そっけない返事と共にぷい、とハルが顔を逸らした。頬が薄らと赤く染まっていることには触れず、合宿についていろいろと考えを巡らせている一年生3人の話し合いへと口を挟む。

「細かい日取りとかは凛ちゃんが来てから決めようよ!」
「そうね、それがいいと思う」
「そういえば凛さんはどうされたのですか?」
「ああ、凛なら用事で遅れるって」

 時計を見ると活動開始からそろそろ1時間が経とうとしている。大した用事ではないのですぐに終わるという話だったから、そろそろ来てもいい頃だろう。
 案の定、それから幾分もしないうちに凛は部室の扉を開いた。さっそく渚と江ちゃんが合宿の計画を話しはじめる。もちろん凛も賛成してくれると思った。でも。

「俺と真琴は参加しねえ。やるんならお前たちだけでやれ」
「どうして?お兄ちゃん」
「みんなで行こうよ!じゃないと意味ないよ」

 驚くほど冷たい声で合宿を拒絶した凛は、江ちゃんと渚からの問いかけに表情を険しくした。なにかをぐっと堪えるみたいに唇の奥で歯を噛みしめた。
持ち上がった視線が俺を貫いて、足早に近寄ってきた凛が俺の腕を掴みその場から連れ出す。
 部室からある程度離れ、立ち止まるまで、いや、立ち止まってからもずっと、凛は怖い顔をしている。

「……なに考えてやがる、真琴」
「なにって、凛こそ。こんな場所まで連れてきてどうしたの」
「合宿なんてありえねえ。万が一のことが起きたらどうするつもりだ」

 叩きつけるような言葉は一切の俺の反論を許さないと言いたげで。
 煌々と光る凛の真っ赤な目が俺の甘さを苛んでいる。万が一のこと、万が一合宿先で重い発作が起きてしまったら。万が一それでみんなに迷惑をかけることになってしまったら。凛が言っているのはそういうことだ。

 確かにその可能性は合宿という話が出たときにまず考えたことではある。いくら夏場に発作は出辛いといっても夜半から明け方近くには気温も下がってくるだろうし、野宿ともなると影響をもろに受けてしまう可能性が高い。急激な気温の変化は喘息にとっていいことではないから。
 それでも。俺は凛を睨み返す。口を開いて反論する。

「最近はだいぶ安定してるし薬も持っていくよ。発作が起きたとしてもちゃんと対処できる」
「そんなの状況によるだろ。慣れたこの辺と違ってどうなるか分からねえんだぞ」
「せっかくの合宿なんだ。水泳部みんなで参加したい……!」
「おじさんとおばさんに余計な心配かけてえのかよ!!」


 息が止まった。俺を心配する父さんの顔と泣きそうな母さんの顔が頭に浮かんだ。真琴、無理しちゃだめよ。母さんは毎朝そう言って俺のことを学校に送り出す。

 どうしても合宿に行きたいと言えば両親は許してくれるかもしれない。けれど、俺が合宿に行っている間は俺のことを案じ続けるのだろう。
発作は起きていないだろうか。体調を崩してはいないだろうか。
 母はよく心配する性質だから。態度にはあまり出さなくても、父だって。


 口を噤んだ俺を見て内心を察したみたいだった。
凛が安堵したみたいに小さく笑ってうなだれる俺の肩を叩いた。さっきまでの張りつめた雰囲気からは想像もつかない優しい手つき。
 ぐっと肩の手に力がこもって俺の体は抱きしめられた。狭くあたたかい腕の中へと囚われた俺に凛は囁いた。

「わかったな、真琴」
「……うん。ごめん」

 現実の一番鋭い部分で打ち砕かれた俺の心。あさはかであることは許されない。長い付き合いの病のせいで誰にも迷惑を掛けたくなかった。できることなら心配だって。
 部室で俺たちの帰りを待っている4人はがっかりするかもしれない。でも、俺にはこれ以上凛に反論する材料が見当たらない。言われたことは何もかも正しい。誰よりも近くにいた凛だからこそ突きつけることのできた正論が深々と楔を打ち込んだ。

 俺は合宿には行けない。凛は違う。

「俺のことは気にしないで凛は合宿行ってきなよ」
「……お前が行けないんだ、俺も残る」
「俺なら大丈夫だから。合宿中は練習もやめておくし家にいる」
「行かねえって言ってんだろ」
「凛……?」

 強い陽光に晒されて身体中からじっとりと汗が滲みシャツが張り付く。そんなことに構いもせず凛は俺を抱きしめたままでいて、いつもと違うその様子に自分よりも低い場所にある凛の顔を覗き込む。

 どうしてそんなに苦しそうなの。なんで、そんな顔をしているの。

 尋ねる前に凛は俺から離れてしまった。抱きしめられたこともそうだけどやっぱり今日の凛はどこかおかしい。もしや俺を合宿に参加させなかったことを気に病んでいるのかもしれないが、それなら見当違いもいいところだ。
 俺は俺の意思で凛の言葉が間違っていないと思ったからこそ不参加を決めた。凛に強制されたわけじゃない。だから凛が気に病む必要なんてどこにもない。俺と一緒に残るだなんてそんなことをしなくてもいい。

 
 部室まで戻る道すがら、何度そう説明したって凛は一度も頷かない。ただどこまでも頑なに俺の言葉を拒絶している。


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