進展はあった?と聞かれて、いいえなにも。と答えるのがお決まりになっている。不肖この僕竜ヶ崎怜の恋についての話である。


女子のように可愛らしいお弁当をつつきながら渚くんが深々と溜息をついた。
「もうそれ何度目?いい加減告白しちゃえばいいのに」
「勝算のない勝負に打って出るほど僕は無謀じゃありませんので」
「それって逃げてるだけだよね。ちゃんとはっきり言わないと意識すらしてもらえないと思うなぁ。昔から鈍いもん、マコちゃん」
タコさん型の赤いウインナーを鼻先に突きつけられ、僕は言葉に詰まった。渚くんからちゃんづけで気安く呼ばれるその人こそ、僕が恋い焦がれる相手。橘真琴先輩である。つい先日入ったばかりの水泳部で部長を務める背の高い人。得意種目はバック。遙先輩と渚くんの幼馴染で妹と弟がいるらしい。僕の知る情報はそのぐらいで、あまりに少ない。
ではなぜ好きになったのかと聞かれれば、迷わず一目惚れだったと答えるだろう。僕は真琴先輩を目にした瞬間に自分が恋に落ちたことを自覚したし、すんなりと受け入れた。それほどまでに抗い難い衝動だったのだ。たとえ相手が男だろうと、先輩だろうと、そんなことは露ほども関係ない。真琴先輩に一目惚れをしたその日から僕は自分の感情を妨げなかった。
手始めにと視界の端で真琴先輩を見つめることに終始して二日か三日ばかり経った頃。昼休みを一緒に過ごしていた渚くんから「怜ちゃんはマコちゃんが好きなんだよね」と断定された。あまりにも唐突なことだったので、その時食べていたサンドイッチをうっかり取り落としそうになったほどだ。僕は決して他人に恋心を悟られるようなことをしていなかったので、渚くんの意外な聡明さには素直に舌を巻く思いだった。以来、時折昼食を共にする時はこうして相談のようなものに乗ってもらっている。相談とは名ばかりで、無責任な発破をかけられているだけのような気もするが。
僕の片思いをどこか面白がっている風のある渚くんが小さなグラタンを掬い上げながらううん、と考え込んでいる。どうせまた、突拍子もない作戦とやらを勝手に考えているのだろう。渚くんから提案されるそれらを僕は実行したことなどないし、今後もする予定はない。けれど、提案されると面倒なのは確かなので、渚くんの思考を中断させるべく僕は口を開く。
「理論上、恋愛感情というものは時間をかけて育むのが一般的です。一目惚れである僕はともかく、真琴先輩に僕を意識してもらうのであればそれなりの手順が必要だと思うのですが」
「手順?たとえば?」
「そうですね。昨晩読んだ恋愛小説によると、パンを咥えた主人公とヒロインが曲がり角でぶつかって「ちょっと待って!ストップ、ストップ!!なにそれ、いつの時代の話?!」……渚くん、人の話は最後まで聞くべきだ」
「じゃあ怜ちゃんは本気でパン咥えたマコちゃんとぶつかれば恋が始まると思ってるの?」
「それは……いや、あくまでそういうこともあるという話で」
「大体マコちゃんはごはん派だから!」
そうですか、と頷いた。なるほど、真琴先輩はごはん派らしい。思いがけず得られた情報をしっかりと頭に刻み込む。いつか役に立つかもしれないからだ。
ではどうすればいい、とは聞かなかった。聞いたところでろくでもない答えが返ってくるに決まっている。パンを咥えて衝突作戦が使えないとすれば他には何があっただろうか。ぱっと思い浮かばないところをみると僕はまだまだ勉強不足らしい。恋愛小説だけではなくて、今度は恋愛映画まで手を伸ばしてみるべきか。帰宅途中のレンタルビデオ店に思いを巡らせる。
食べ終わったらしいお弁当箱の蓋を閉じて、黄色いバンダナで包み直しながらじとりと渚くんが僕を見た。
「怜ちゃん、マコちゃんと付き合う気あるの?」
「……僕にあっても、真琴先輩に無ければ意味がない」
「そんな弱気じゃダメだよ!恋は当たって砕けろっていうじゃない!」
「できれば砕けたくはないんですが」
「じゃあ当たって抱きしめちゃえ!」
「そんなことができれば苦労しません」
当たって砕けず抱きしめられたらどんなにいいか。真琴先輩は背が高いから、きっと僕の腕には収まりきらないだろうけど。でも、あの人を抱きしめられるのなら僕は一生パンが食べられなくなったっていい。パンを咥えて誰かと衝突する恋の始まりをすべて捨ててしまっても構わない。
難しい願いだ。僕のこの思いは、受け入れろと言ってはいそうですかと返せるものでもない。男同士の恋愛というやつは一般的な男子高校生にとって身近な存在ではないし、嫌悪の対象にすらなり得る。むしろその可能性は非常に高い。渚くんのように、なんでもない風に振る舞える方が特別なのだから。内容はともかくとして、普通の恋愛相談のようなやりとりを交わしてくれる渚くんの存在は僕にとってとても心強いものだった。その点は本当に感謝している。
お互い昼食を食べ終わったが、まだ昼休みは半分近く残っていた。今日はもうこれでおしまいだと示すように、僕は読みかけの文庫本を取り出して挟んでおいたしおりを抜き取った。がたん、と大きな音を立てて渚くんが椅子から立ち上がる。
「僕、怜ちゃんは悲観しすぎだと思う!」
「はあ、そうですか」
「だからえっと、屋上で待ってて!約束!」
そう言い残し渚くんは教室を飛び出していった。待ってて、と言われてもあんな一方的な約束、本来なら聞く必要はないだろう。しかし、うん。先ほど話を聞いてくれる渚くんに感謝の念を新たにしたばかりだった僕は、再び文庫本にしおりを挟みなおして頁を閉じた。





廊下の端にある階段から屋上へと向かう。重たい鉄製の扉を開くと強い風が顔に吹き付けてくる。給水塔の下の壁に背を凭れ、渚くんを待った。
おそらく五分かそこら。時間が経って、ぎい、と扉の開く音がした。
「怜?」
「なっ、ま、真琴先輩?」
驚きに目を見開く僕の前にいるのは僕を呼び出した張本人ではなく、紛れもない真琴先輩だ。僕の片恋の相手だ。何故ここに、と問おうとしてすぐに思い当たる。渚くんの仕業だ。
「怜から俺に話したいことがあるらしいって、渚に言われたんだけど……」
案の定、困ったように頬を掻きながら真琴先輩がそう言った。なんてことをしてくれたんだ、この場にいない渚くんへの恨み言が次から次へと身体中を吹き荒れる。
「それで、俺に話って?」
「えっ?あ、ああ、はい。あの」
とにかく、今は渚くんを責めている場合じゃない。なんとか真琴先輩をごまかして何事もなく収めなければ。小さく深呼吸をして、高鳴った心臓を落ち着かせる。
「あの、真琴先輩」
「うん。なに?」
「て、天気がいいですね」
「今日は曇りだけど……怜は曇りが好きなの?」
「い、いや!別にそうでもありません!」
「あ、そうなんだ……。話って、それだけ?」
真琴先輩の眉が下がる。ああ、困らせている。どうしよう。
真っ白になった僕の脳裏にふと渚くんの言葉がよみがえった。じゃあ当たって抱きしめちゃえ!なんてとんだ無責任だ。砕けない保証がどこにある。そもそもどうして僕は今こんなことを思い出しているんだろう。
「……悪いけど、次の授業の準備があるから。また部活で」
「待ってください!!」
立ち去ろうとする真琴先輩を反射的に引き止めてしまった。僕は必死に言葉を探す。舌が勝手に動き出す。
「真琴先輩は、今現在好きな人はいますか」
「へ?好きな人?」
「真琴先輩は、男同士の恋愛をどう思いますか」
「えぇ?!お、男同士?!」
「真琴先輩、僕はっ!」
理論なんてもうどうでもいい。言ってしまえ、もう、どうにでもなれ!
「僕は、あなたが好きです!僕と付き合ってください!!」
勢いよく頭を下げて、固く瞼を閉じた。言った。言ってしまった。取り返しがつかないことをしてしまった。直角にお辞儀したまま真琴先輩の言葉を待つ。じっと、微動だにせず。
沈黙は長く、空間を包み込んでいた。僕は恐る恐る頭をあげて、幾分か高い場所にある真琴先輩の顔を見上げてみる。嫌悪に満ちた表情だろうか。それとも、優しい真琴先輩のことだから、困った顔だけで済ませてくれるだろうか。僕の予想はそのどれも外れていた。
「真琴先輩、……顔が赤く見えるのは、僕の勘違いでしょうか」
「あ、あの、怜」
「気持ち悪いと思わないんですか」
「……気持ち悪くはない、な。ええと、でも、付き合うとかは、俺あんまり怜のこと知らないし、怜も同じだろ?だからその、……保留、ってダメ、かな」
つっかえつっかえに真琴先輩が提案する。恥ずかしいのか目を合わせてはくれないが、その表情からマイナスなものは窺えないと思う。どうやら奇跡的に僕は砕けなかったらしい。ひびぐらいは入ったみたいだが。
つかつかと足音を立てながら真琴先輩に近寄った。多少怯みはしていたが逃げられるようなことはなかった。返事は保留。いまはまだ早い。ならば今後はどうなのだろう。少しぐらい期待してもいいのかもしれない。きっと僕の顔は輝いている。美しいものを前にしたように喜びに満ち溢れている。
「今後、僕は二度とパンを食べませんので」怯える真琴先輩ににじり寄る。「抱きしめてもいいですか」
「えぇ?!抱きしめるって、いや、ていうかパン?!何の話?!」
「こちらの話です。いいですか?」
返事を聞く前に僕は思い切り真琴先輩を抱きしめた。やっぱり腕には収まり切らない。だけど思っていたよりあたたかい。真琴先輩は体温が高い、また新しい情報を入手してしまった。きっといつか役に立つだろう。
何事もなかったように身体を離し固まる真琴先輩に微笑みかける。
「僕は真琴先輩のことを知りたい。真琴先輩にも僕のことを知って欲しい。そしていつか、お互いをよく知ることができたら、その時は今日の返事をください」
「わ、かった。その時は、……うん」
「きっと、ですよ」
昼休み終了五分前の予鈴が鳴った。僕と真琴先輩は顔を見合わせてどちらともなく少し笑った。また部活で、と言葉を交わしてそれぞれの教室への道を急いだ。一年教室が並ぶ廊下に渚くんがひとり佇んでいる。屋上から戻った僕の顔を見て、渚くんの目がきらりと光った。
「だから僕言ったでしょ。怜ちゃんは悲観しすぎだって」
その言い方があまりにも誇らしげで、憎らしかったので、何も言わずに通り過ぎてやると背後から抗議の声が響く。ひどく幸せな僕の耳にはほとんど届いていなかったけれど。

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