恋は静電気とよく似ている。何気無い日常で蓄積されたその感情は、ちょっとしたことで放出され、薄い皮膚を突き破り、耐え難い痛みを神経に伝わせる。

「僕は、貴方が好きです」
「……やめときな。怜にはもっといい人がいるよ」

    部活の後に二人きり、そんなちょっとした切欠で放出された僕の静電気は、これまで体験したことのない酷い痛みをもたらしてくれた。



    「振られました」と報告された渚くんはきょとんと目を少し開いて、考えた後「ふうん」と言った。つまらなそうな声音だった。仮にも友人の恋が破れたことを聞いた反応にしては随分と軽い。けれど多分彼にとって、僕の振られました報告は、それほど重要視すべきことでは全く、なかったからだろう。
    何しろ僕が想い人、一学年上で水泳部の部長、橘真琴先輩に振られたのは今回でもう七度目になる。それほど繰り返したのなら、破れた恋も猫も杓子も取るに足らない事柄へと変わってしまっておかしくはない。
    それでも今日の報告の一つ前。六度目の振られました報告の時は「ふうん、そうなんだ」と二言が僕に与えられていたはずだ。このまま順当に反応への労力を削れば、次の機会はきっと「ふうん」すら失われて、無言でちらりと一瞥されるだけになるのだろう。たとえ、そうなったとしても、僕が振られたことを一番に報告するのは渚くんだと決めている。何しろ、僕と渚くんは友人というものなのだから。

「何度目だっけ」
「七度目です」
「懲りないね、怜ちゃんも。七回も振られてまだ諦めないの」
「君は何も分かっていない」
「いつも言ってる、恋は静電気、ってこと?」
「それもありますが。……言うなれば、真琴先輩は絶縁体だ」

    ぜつえんたい、舌足らずな言い方で渚くんが素っ気なく呟く。授業で聞いたことがあるはずなのに、まるでその言葉を生まれて初めて聞いたような顔をする。それもまた、いつものことだ。僕は説明が嫌いではないし、渚くんは説明を疎まない。彼なりの聞く姿勢なのだろう、椅子の背もたれに両腕を組んで、その上に顎を乗せた渚くんが、僕を上目に促した。こほん、と軽く咳払いをして。

「僕たちが導体であり、感情が電子だということは?」
「前にそんなこと言ってたね」
「覚えていてくださって嬉しいです。僕たち導体が持つ自由電子とは解放された感情のこと。思うまま、感じるまま、抑圧のない感情です。しかし真琴先輩は、電子、つまり感情を拘束してしまっている」
「だから、マコちゃんは絶縁体?硝子とか、陶器とか」
「エボナイトやアクリルですね。では、絶縁体に通電するにはどうしたらいいと思いますか」
「自由電子が無くて、通電できないから絶縁体って言うんじゃないの」
「出来ないわけではありません。必要なのは、絶縁破壊を起こせるだけの高圧。アンペアではなく、ボルトです」

    ゆらゆら背もたれごと揺れながら、渚くんは首を傾げた。僕の言っていることをどうにか噛み砕いているようだ。思考を一度整理する。渚くんの凪いだ瞳が焦点を合わせる瞬間を待たずに、結論を言い切った。

「僕は真琴先輩が、僕のことを好きだと確信しています」
「怜ちゃんの言う絶縁破壊を起こせばそれがわかるってこと?」
「今の真琴先輩は電荷が極めて移動し辛い状態ですが、あるいは」
「どこからくるの、その自信」
「分かりませんか?」
「わかんない」
「そうですか。そうでしょうね」

    一人納得するばかりで、結局答えを寄越さない僕に呆れたような視線を向けて

「ねえねえ、ところでさ」

    渚くんが強引に話の筋を奪い取る。机の横に掛けられた自らの鞄をごそごそと探り、一冊のノートを取り出した。甘やかな癖のある渚君の字で、数学、と書かれた青いそれが、ひらひら僕の目の前で踊る。
    次の言葉を聞く前に、何を言われるか察しがついた。僕のため息を遮るように、渚くんは楽しげに笑った。

「宿題教えて。もう全然わかんなくて」
「僕の話より?」
「多分、そうかも」

    なぜか誇らしげに言う通り、ノートの中身はかろうじて、問題文が写されているぐらい。長かったはずの昼休みが終わりを告げる十分前。どうしてもっと早く、なんてこと僕が言えた立場ではない。何しろ真琴先輩についての持論を思う様語ったばかりなのだ。絶縁体と電子と電荷、電圧についての例え話なんて、渚くん以外誰一人聞いてくれる人などいないのだし。
    半ば諦めた僕のことを、シャープペンシルを手にした渚くんが期待を込めた瞳で見つめた。説明に必要なプロセスを、思考の中でまとめていく。わかりやすく、なるべく簡潔な言い回しを心掛けながら、問題の答えに至るまでをパズルのように組み立てていく。
    切羽詰まったこの状況ですら、教えを請い、ノートを写させろとは口にしない、渚くんの途方もない潔さを僕はそれなりに気に入っていたから、その行為は決して苦痛ではなかった。



    その日、部活がひとまずの終わりを迎えた後、ひとりプールに居残った。自主練習の名目ではあったが、主目的はまた別にある。とはいえ、折角残ったのだからとひととおりのメニューをこなし、心地よい疲労感を纏わせて部室に戻った僕のことを、予想通りの人物が出迎えてくれた。

「練習はもういいのか?」
「はい。……僕を待っていてくださったのですか」
「まあ一応ね」

    こうなることを分かっていた上で、白々しく問いかける僕を訝しむ素振りすら見せず、真琴先輩はささやかに微笑む。蒸し暑い部室の中で、制服のスラックスを膝下まで捲った彼は、珍しく眼鏡を掛けていた。手にしている文庫本を読むのに必要だったのだろうか。セルフレームの黒縁は、僕が今掛けているものと少しだけ似たフォルム。くだらなくも、胸が高なる。
    前髪から滴る雫を首を振って弾く僕に、洗いざらしのタオルが差し出された。ありがたく受け取りはしたものの、煩わしい水滴を拭う気には何故かなれなくて、自分の家のものとは違う柔軟剤の香りがするタオルを首にかけ差し出した人に歩み寄った。真琴先輩はまだ微笑んでいる。拘束、高圧、自由電子。渚くんと話したことが、頭の中で忙しなく廻る。七度告白されても、真琴先輩は僕の感情を斟酌せず、遙先輩や渚くんと同じ対応を崩さない。そのことを僕に分からせるため、わざわざ今日も、部長として、僕を部室で待ったのだろう。

「やはり先輩は絶縁体ですね」

    心からの呟きの意味は、真琴先輩に伝わらない。当然だった。この想いは、渚くんにしたような説明もなしに、伝わるはずがないのだ。戸惑いを表情に滲ませて真琴先輩は僕を見た。破壊しなければ。高圧電流によって、彼の閾値を超えなければ。衝動に任せその足元に跪く。空気に直接さらされた白い足首を捧げ持つ。前髪から水滴がこぼれた。

「僕はこんなにも、貴方が好きなのに」
「……困ったな」

    余裕が僅かばかり崩れた。狼狽を露わにした真琴先輩が、自らの手の甲を口元に当て、睫毛の震えを押し殺した。けれど、まだ足りない。絶縁破壊を起こすには、静電気では足りないのだ。真琴先輩の内にある筈の、僕への想いを口にしてもらうためには。
    それはさながら電子雪崩。恋は雷、増殖と決壊。ただひたすら、真っ直ぐに、水気を帯びた翠色の双眸を貫き、真意に手を伸ばす。耐えきれないと言うように、真琴先輩が視線を逸らす、その瞬間。
    厳かに捧げ持った形の良い爪先。彼の頭上から降り注ぐ、烈しい高圧電流を呑み込むために口づける。愛おしい痛みが僕を貫いた。

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