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寂しくはないのですか。そう尋ねると、真琴先輩は緩やかに首を振って、微笑んだ。
「怜が来てくれるから」
真琴先輩がそう言う事を、僕はどこかで、期待していたのかもしれない。自分の浅はかさが嫌になって、けれど、とても美しい気分だった。
冷たいフェンスにもたれたまま、真琴先輩はその場に座り込んだ。僕も隣に並んで座った。二人で空を仰ぎ、話したいことがあるような顔をしている真琴先輩の言葉を、微動だにせずじっと待った。長いような、短いような、時間が流れて、声が聞こえる。
「ここにいると少しずつ、昔のことが思い出せなくなっているような気がするんだ」
「記憶の磨耗、ですか」
「そんなはずないのに。なあ、怜。俺にもまだ、時間が流れているのかな」
忘れてしまうのと、磨耗するのとは、一体何が違うのだろう。僕にはどちらも同じように思えるけれど、きっと真琴先輩にとってそれらは全く違う意味を持っているのだ。彼の不安を取り除きたかったけれど、僕には叶わない願いだった。
あなたに触れようと試みる。手を伸ばして、直前で怖気づく。
真琴先輩が唇を噛んだ。何かに耐えているようだった。僕の水晶体を真っ直ぐに見つめて、夢から覚めた声で言った。
「怜は、ここに来るべきじゃない」
俺のことは忘れてよ、なんて。
そんな酷いこと、言わないでください。僕はあなたがいない場所で、満足に息もできないのに。
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