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屋上には、先客がいた。真新しく高いフェンスに手をかけて、その人は立ちすくんでいた。音もなく、静かに歩み寄ると、気配に気づいたその人は背後の僕を振り返った。何か言われるより先に、声をかける。
「珍しいですね。あなたがここに来るなんて」
遙先輩、と僕に呼ばれたその人は、ゆっくりと一度瞬きをした。怜、と僕の名前をつぶやいた。
「真琴を探してる。見てないか」
「すみません」
「そうか。お前なら知ってるんじゃないかと思ったんだ」
遙先輩はそれほど残念でもなさそうに、再びゆっくりと瞬きをする。何もかも最初から分かっていたような顔をする。他愛のない話をしたいと思った。例えば、そう。
「今日はセンターの説明会のために?」
「そうだ」
「受験勉強はどうですか」
「ああ、……問題ない」
「県外に、行くのですよね。凛さんと同じ大学に」
遙先輩と、凛さんが希望する大学は、水泳部に力を入れている。結局彼らは水から離れては生きていけないのだ。素直にとても羨ましかった。彼らはきっとこれからもずっと、水と一緒に過ごすのだろう。
今日はいつもより寒かった。だからこそ遙先輩は、あの日から訪れることのなかった屋上に姿を見せたのかもしれない。
「教室に戻る」
「そうですか」
「さよなら、ハル」
「……何か言ったか?」
「いいえ、何も。それじゃあまた」
遙先輩は振り返らなかった。ここにはもう二度と来ないつもりかもしれなかった。最後に僕を見たその瞳は、諦めと、落胆に近い感情を深く宿らせて、凪いでいた。
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