待ち合わせ場所の駅に現れた真琴先輩は、大きめのボストンバッグひとつを肩にかけ、肌寒い外気を遮るように、薄手の上着を羽織っていた。これから行く場所はここよりも、少し寒いという話だったから、そのことを考慮したのだろう。真新しいカーディガンは真琴先輩によく似合っていた。

「ごめん、待たせちゃったかな」
「僕も今来たところですので」
「母さんがね、あれも持っていけ、これも持っていけって。玄関先で引きとめられちゃって」
「そうでしたか。にしては、荷物が少ないようですが」
「隙を見て大体のものは置いてきたから」

    困ったように眦を下げて、真琴先輩は苦笑した。どうせ一泊だけなんだし。感情を眠りにつかせたような、他意の無い響きでそう言った。

    電車に揺られて、二時間と少し。僕と、真琴先輩二人だけの、ささやかな旅行。ずっと前、それこそ一年より前から、真琴先輩が卒業式を終えたら旅行をしようと話していた。他愛のないそれが急に現実味を帯びたのは、真琴先輩が自らの進路を県外の大学に進学すると、決めてから数日の放課後だった。

    寂れた駅のホームから車体に錆の目立つ電車に乗り込む。大して多くない荷物を網棚に持ち上げ、がら空きの座席に並んで座る。裾の長い先輩の上着で隠すようにして、ひっそりと手を繋ぐ。僕たちより幾分か離れた場所に座っている乗客からは見えないよう、薄い布地を手にまとった。
    振動。窓の外を流れてゆく景色。繋いだ手の曖昧な温度。会話の始め方を見失ってしまい、どうしようもなく隣をみると、真琴先輩もまた僕を見ていた。思いがけず目が合ってしまい、視界が一瞬だけちかちかと弾けた。何か言おうと試みる。僕が言葉を発する前に、微笑んだ真琴先輩が

「桜、楽しみだね」

遠慮深いような、ひそやかな声でそう囁いた。その言葉に、僕は初めてこの旅の目的を思い出したような気にさせられた。どうしても桜が見たいと言った真琴先輩のために、桜の名所をいくつも調べ、学生の頼りない経済力でも問題ないような宿を見つけ、手配したのは僕だった。僕にとって大事なことは、真琴先輩と二人きりで遠くに行くことだったから。

「色々任せきりで、本当にごめん」
「いえ、引っ越しの準備でお忙しいでしょう」
「昨日大体まとめ終わったんだ。あとは向こうに送るだけ。部屋がずいぶん広く感じたよ」
「今度の土曜日、でしたか」
「そう考えると、近いね」
「……やっぱりやめましょう。今は、聞きたくない」

   今は、という言葉に込めた僕の我儘を汲み取って、真琴先輩はそれ以上何かを言うことはなかった。 レールの継ぎ目を乗り越える、規則正しい電車の走行音で身体を満たす。僕は固く唇を噤んだ。拒絶は本意でなかったけれど、そうする以外、何をすべきか分からなかった。
    腕時計に目を落とす。目的地まであと一時間。しばらくして隣から聞こえてくる静かな寝息に、どうしてか、許された気がしてそっと目元にくちづける。

    時間を惜しんだ僕たちは、素泊まりの民宿に荷物を放るように置いて、事前に調べておいた桜の名所へすぐさまその足を運んだ。入念な下調べのお陰で特に迷うこともなく、何の変哲もない田舎道を進んでいく。景色に変化は乏しい。傍らの真琴先輩が、不意に何かを感じ取って小さく息を吸い込んだ。その音を合図にしたように、視界が鮮やかに開けた。

「わあ……!」
「これは、……凄いですね」

    神社の境内を埋め尽くす桜に目を奪われる。感嘆の声を漏らした真琴先輩は参道に続く階段を駆けあがり、空と溶け込む無数の花を仰いでぱちぱちと目を瞬かせた。

「怜!はやく!」

    子供じみた仕草で僕を手招き、舞う花びらを捕まえようとする真琴先輩を追いかけて、朱塗りの鳥居をくぐる。あと数歩でたどり着けるという瞬間に、一際強い風が吹いた。視界が桜に遮られる。空気のうねりが耳元で聞こえる。すぐ側にいたはずの真琴先輩が、見えなくなって、溺れそうになる。
    桜は間も無く地面に落ちた。真琴先輩も、当然変わらずそこにいた。漸く息ができるようになった。驚いたように僕を見つめる、真琴先輩が名前を呼んだ。きっと僕の頬に伝う、涙について聞きたいのだろう。

「悲しくも、嬉しくもないんです」

    僕は心を吐き出すみたいに、ひとつひとつ、言葉を選んだ。真琴先輩を心配させてしまわないよう、大事にゆっくりと発音した。

「さっき、電車で出来なかった話の続きをしませんか」
「どうして?」
「僕は嘘をつきたくない」
「……二度と会えなくなるわけじゃないよ」
「それでも、寂しい。……寂しいんです」

    ほんの二週間前、岩鳶高校の卒業式でまだ桜は咲いていなかった。今はこんなに美しく、鮮やかに咲き誇っている。時間は流れ続けている。僕には止めようもないところで。卒業してしまった真琴先輩。僕を置いて行ってしまう貴方。
    おとぎ話を聞いているような、柔らかい表情を浮かべた真琴先輩が僕の涙を受けとめている。慈しみに満ちている。寂しい、行かないで、喉まで出かかった不毛な言葉を胃袋の底に押し込めた。代わりにまっすぐ、真琴先輩を見つめて告げる。

「会いに行きます。必ず。約束します」
「……うん。俺も帰ってくるよ」
「僕だけじゃない。遙先輩も、渚くんも、凛さんも、皆待っていますので、だから、すぐに、……」

    胸を詰まらせ声を失う僕の、頬に指先が触れた。真琴先輩の背中を引き寄せ、締め付けるように抱きしめた。腕の中で真琴先輩が囁く。

「明日また、ここに来ようか」

    約束は白くひんやりとして、触れているとひどく安心した。そうだ、すぐ近くにある未来はまだ、僕たちの手元に残されている。













たたみさまからリクエストしていただきました『怜真or渚真でまこちゃんの卒業後の春休みに旅行に行くふたり』です。
怜真か渚真ということでしたので、やはりここは怜真で書かせていただきました!
卒業後、というのがポイントかと思いまして、そこらへんに重点を置いた文章にしたのですが、いかがだったでしょうか?切なさ成分が多めです。
このリクエストを頂いてからというもの、卒業式を終えた怜真の春休みについて思索することが多くなりました。素敵な時期ですよね、春休みって。
怜真が幸せになることを祈っています。
書いていて大変楽しい文章でした!お気に召して頂ければ幸いです。
たたみさま、リクエストありがとうございました!!

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