勝手知ったる、と言えるほど入り浸っているわけではないが、少なくともこの部屋の中で居場所に困ることが無いぐらいには、僕はここを訪れていた。僕の先輩であり、恋人でもある、真琴先輩のプライベートルーム。恐らく他のどんな場所よりも真琴先輩に近づける空間。
    僕と真琴先輩は、向かい合って座っている。お互いの両手を指ごと絡め、時折緩く力を込めては面映く笑いあう。今日までに少しずつ積もっていた、お互いに話したいと思っていた幾つかのことを、一歩ずつ階段を踏みしめるような速度で言葉にして捧げていく。笑い声さえ密やかだった。こんなに静かで、懐かしい時間。妨げるものは何もなかった。
    脚の短いテーブルの上で、表面に水滴を滴らせたグラスが飲み込んだ氷を溶かしていく。喉の渇きを自覚しても、薄まった麦茶に手を伸ばす間さえ、惜しいように思えてしまう。僕と真琴先輩に与えられた時間は、長いようでとても短い。こんな風にゆっくりと、二人きりで過ごせる機会など、もうあとどれだけあるか分からないぐらいだった。僕たちは毎日を追われるように、慌ただしく通り過ぎていく。


    今週末は休養日だと、笹部コーチから指示された日の、帰り道。「よかったら今週末、家に来ないか?」どことなく緊張したような面持ちで、部活終わり、二人きりで連れ立って帰路につく最中に真琴先輩から提案された、その申し出に僕は一も二もなく頷いた。反射的な動作だった。考えるより先に頷いた僕を見て、真琴先輩が安堵したように口端を噛んだ。一拍、呼吸を挟んでから、真琴先輩は楽しそうに続けた。「両親は、蓮と蘭を連れて遊園地に行く予定だから」言外に、その日真琴先輩の家には、真琴先輩と僕以外誰もいなくなるのだと、示された事実に、眩暈がした。


    真琴先輩の柔らかな髪に、指先を差し入れ、引き寄せる。抵抗なく倒れこんできたその、緑がかった栗色を僕は胸元に抱え込んだ。真琴先輩が息を吸い込む。空気が動く、その感覚に背筋をあたたかさが這い登る。僕のものではない広い手が、眼鏡を取り去って、瞼を撫でた。見上げる両瞳、交差した視線。耳朶を淡い赤に染め、あなたは僕に微笑んでいる。

「久しぶり、だな」
「こうして触れ合うことが、ですか」
「……うん。手、貸して」

    言葉に応じて差し出した僕の手は、幼い子が宝物を抱きしめるような強引さでもって、真琴先輩の支配下におかれる。関節のひとつひとつから余分な力を取り除くと、皮膚の下を通る血管の脈動さえ、共有しているような気分になる。僕と、真琴先輩は紛れもなく別の個体だから、溶け合うなんて夢物語、叶わないと分かっているけれど。
    きらきらと僕の手を弄ぶ、真琴先輩をじっと見つめる。彼の視線が、僕ではなく、僕の手指だけに注がれている、その事実に少しだけ苛立つ。自分の手にさえ嫉妬した。今この時間だけでも、彼の狭い視界から僕の姿が、一瞬たりとも外されなければいいと思った。その、傲慢で、独りよがりな感情を躊躇いなく表出す。眉間にしわを寄せた僕の表情に、真琴先輩は今更気付く。

「楽しいですか」
「楽しいよ」
「僕を見てください。手ではなく、こっちを」

    半ば無理やり、真琴先輩の視線を上向け、僕の姿を視界に入れ込む。僕は遠慮をしなかった。真琴先輩は、先輩だけれど、恋人だから、僕は僕の独占欲をでき得る限り露わにした。そうすると真琴先輩は喜ぶ。不自由なく、縛られることを好んでいるようだった。制限という恋。誰にでも優しい真琴先輩を閉じ込める。享受する。ここには僕たち二人だけだから、今だけは必要なくとも。
    そんな僕に怒るでもなく、真琴先輩は僕が望んだ通り、白い喉元を目一杯反らせて両瞳を渡してくれる。なぜか、幸せそうに眦を綻ばせている。彼の小さな弟妹にするものと、僕の前だけで見せる甘えたようなものを綯い交ぜにして、僕の名を呼び、頭を撫でた。

「よしよし。怜は可愛いね」
「……認め難い形容詞ですね。素直に頷けない」
「そんな顔しなくても、怜だけだよ」
「心配はしてません。ですが、納得と理解は別物ですので」
「もうちょっと簡単に考えたら?折角二人きり、なんだしさ」
「……誘っていますか」
「どうかな。怜はどう思う?」
「そうあって欲しいとは、思います」
「うん。俺も、そう思って欲しいと思ってた」

    やおら身を起こした真琴先輩が、手のひらで僕の両頬を挟み、はにかみながら覗き込まれる。今朝この家を訪れた時に、真琴先輩が口にした「俺以外誰もいないから」という何でもない言葉が脳裏をよぎる。やけに強く、焼き付いていた。
    向き直った身体ごと、抱きしめるようにして背後の寝台に倒れこむ。背の高い真琴先輩にも余裕のあるサイズの寝台が、二人分の体重を受け止めて僅かに軋んだ音を立てる。その重さを、十分に楽しみ、息を吐いた僕の肩口に、真琴先輩が鼻先を埋めた。猫がするような仕草で、額を布地に擦りつけた。額に血流が集まって、熱を持つ。落ち着かない鼓動は僕と、真琴先輩と、どちらのものか分からない。
    僕が先輩を甘やかしているのか、それとも先輩が僕を慈しんでいるのか、境目の曖昧な美しい時間。時よとまれ、僕は口中でそう呟く。














彩里さまからリクエストしていただきました『怜真でたまの部活休みにまこちゃんの家でまったりとした休日を過ごす2人、家族も出掛けているので気にすることなく甘えて甘やかしてといった感じ』ですー!!
年下ならではの余裕のない怜ちゃんを、年上ならではの余裕で包み込んであげるまこちゃん、ダメでしょうか。私個人としては大変ときめくのですけども!
リクエストでいただいたような、日常的にいちゃいちゃする二人、とても好きです。
当初はもっとふわふわしたまこちゃんと怜ちゃんになるはずだったのですが、書いている内に方向性がこんな感じに定まりました。いかがだったでしょうか。楽しんでいただけましたか?
大変楽しく書かせて頂きました!!
彩里さま、リクエストありがとうございました!!

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -