「ハルの家の近くに猫がいるんだ」
「猫?」
「白猫でね。まだ小さい仔が一匹と、大きいやつが一匹」
「……それで?」
「うん。だからさ、凛、一緒に見に行こうよ。猫好きだっただろ」
「嫌いじゃねえ、けど」
「本当に可愛いんだよ。……それと、猫に会ったあと、もし時間があったらハルの家にも、行ってみない?」

    ゆるく眦を下ろした、優しい顔で真琴は言った。なにも強制することのない、ただ穏やかに、促すようなあたたかい声音で。微笑む真琴に、凛は暫く口を噤む。なにか逡巡するように、七竈色の双眸を不安定に揺らめかせる。やがて凛は引き結んでいた薄い唇をわずかにほどき、返事を待つ真琴に告げる。簡潔な、その答えに、真琴はとても嬉しそうに笑った。




    秋の匂いが風を満たす。真琴と並んで、小道を歩く。ふわふわとした足取りの真琴は、凛の先を歩いては振り向き、まるでちゃんと着いてきているか確かめているような仕草を幾度も、飽きもせず繰り返す。その度に向けられる微笑みを凛はただ、面映いような気持ちで受け止めている。屈託無く笑みを返すことはできそうになかった。嫌なのではなく、どうにも、気恥ずかしくて。
    少し首を巡らせると、そこは懐かしい道筋だった。遙や、真琴、それに渚と同じスイミングスクールに通っていたかつて、毎日のようにこの道を辿ってハルの家へと遊びに行っていたことを思い出す。懐かしい日々は今でも色鮮やかに、目を閉じればあの空気の匂いさえ浮かべられそうだ。
    昔と少しも変わらない、舗装の行き届かない砂利道と、隙間から雑草を生やす短い石段。前を行く真琴に先導されて、ハルの家へと続く道を一歩、また一歩と進んでいく。指先が震えているような気がした。緊張、しているのだろうか。ゆっくりと拳を握りしめる。潮風を吸い込み、息を吐く。そんな凛を静かに見守り、真琴は「ここだよ」と言って歩みを止めた。

「おーい、出ておいで」

    石段の中ほどで立ち止まった真琴が、傍らの茂みに声を掛けると、転がるように飛び出してきた白い毛玉がその足元にまとわりつく。じゃれつく子猫を驚かせぬよう、静かにしゃがみ込んだ真琴は繊細な手つきで指を伸ばし、子猫の喉元を擽った。ごろごろと甘えたように喉を鳴らす音。指に擦り寄るその温度に、真琴は口端を綻ばせた。
    その傍らに凛も腰をおろし、白い子猫を怯えさせないよう気遣いながら手を伸ばす。元来人懐っこいたちなのだろうか、子猫は幾らも警戒心を抱かないで凛の指にじゃれついた。差し出された人差し指を、前脚で抱え込むようにして捕まえ、短く爪の切りそろえられた凛の指先を甘噛みする。愛らしいその姿に、凛の頬がやわらかく緩んだ。

「かわいいね」
「……ああ」
「本当はもう一匹居るんだけど、そっちは気まぐれだから」
「どんなヤツなんだ?そのもう一匹って」
「うーん……なんていうか、ぶにゃっとしてる」
「ぶにゃっと……?んだよ、それ」
「見ればすぐ分かるんだけどな」

    そのうち出てきてくれるかもね、とそう言って笑う真琴の膝に、子猫が勢いよく飛び乗った。軽い感触によろめきはしなかったものの、多少驚いて声を漏らした真琴は、膝の上に陣取って、悪びれもせず毛繕いをする子猫に仕方なさそうな表情を浮かべる。手のひらで覆うように、滑らかな毛並みを撫でてやると気持ち良さそうに伸びをする。
    眠たげに目の細められた子猫と、微笑ましく子猫を眺める真琴がなんだか、似ているような気がして。思わずそのことを口にすると、真琴は不意になにか思いついたような、どことなく幼い顔をして子猫の両前脚を掴んだ。胸元まで持ち上げ、背中よりも毛の薄い子猫の腹を凛に向ける。

「ねえ、凛」
「ん?」

    ちょいちょいと凛の肩を肉球でつつく。凛の視線が自分と子猫に注がれたことを確かめて、子猫にばんざいをさせたまま、真琴は小さくはにかんで、言った。

「にゃーん。……どう?似てた?」

    小首を傾げ、少しだけ照れ臭そうに、猫の鳴き真似をした真琴を瞬き一つせず見つめて、凛は固まった。間抜けに口を半開きにして、微動だにしない凛の目の前で真琴は子猫の前脚を振った。

「凛?凛ってば。どうしたの」
「…………っ!」

    頬を叩く肉球の感触に、ようやく我に返ったらしい。短く息を飲んだ凛の顔が瞬く間に赤く染まっていく。その様を見られたくないのだろうか、片手で自らの顔を覆った凛は、何も言わず俯いた。真琴からその表情は伺えないが、隠しきれなかった耳の赤さに気づき、遅ればせながら真琴の顔も凛に負けないほど真っ赤に染まる。ちょっとした冗談のつもりだった行為を受け流されず、今更気恥ずかしくなったのだった。
    俯いたまま、黙り込んでしばらく。構ってもらえないことが不満そうな子猫の鳴き声が沈黙を破る。ゆるゆると持ち上がった真琴の顔からはまだ赤みが完全には引いておらず、それは同じように顔をあげた凛の方も変わらなかった。お互いに顔を見合わせて、どちらともなく小さく吹き出す。そうしてひとしきり、笑い終えたあと。
    真琴は先ほどまでのものとは違う、ここに来ようと誘った時とよく似た笑みを凛に向けた。子猫をそっと地面におろし、慈しむように頭を撫でた。ゆっくりと、立ち上がる。

「そろそろ行こうか」
「…………真琴」
「なにも、心配することないよ」

    ハルが待ってる。そう言って真琴は凛に手を差し出した。ひととき躊躇い、肩を竦め、凛は頷いてその手をとった。どこか吹っ切れたように憂いのない凛の面立ち。引き起こされ、それでも繋いだ手を離さない凛が早足に歩き出す。歩調を合わせ、真琴も続く。

    並んで階段を上る二人の背を白い子猫が見送っていた。にゃあん、とはなむけのような鳴き声が空気に紛れ、小さく響いた。














なつさまからリクエストしていただきました『凛ちゃんとマコちゃんと白猫さんのお話』ですー!
白猫さんといいつつ、子猫の方だけですみません(´・ω・`)
あのぶにゃっとした子も出したかったのですが、またの機会に。
このリクエストをいただいた時、真っ先に思い浮かんだのが白猫ちゃんをばんざいさせてにゃーんと言うまこちゃんでした。言わせました。凛ちゃんが照れました。まこちゃんも、自分で言いながら照れてます。
そんなもだもだする二人が好きです。猫と戯れる凛真ほんと可愛いですよね!
ちなみにですが、時間軸的には本編終了後すぐ位をイメージしてます。
何を隠そう、猫派のわたしですので、今回のリクエストも大変楽しく書かせて頂きました!なつさま、リクエスト本当にありがとうございました!

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