また今日も、真琴に好きだと言えなかった。自分の不甲斐なさに歯噛みする。字面にしてたった三文字、それだけの言葉だというのに。いざ真琴を目の前にするとどうして、声に出せないのだろう。
    真琴と二人きりになる機会は多い。気がつけば真琴は俺の隣にいるし、俺は無意識のうちに真琴の隣へと収まっている。常からそんな状態であるのだ。あとは、どこか人けの少ない場所に連れ出しでもすればいとも簡単に真琴と俺は二人きりになれる。だというのに、未だこの心のうちを真琴に告げることが出来ていないのは、単純に俺が臆病であるからなのだろうか。

    俺と真琴は日当たりの良い屋上で、二人並んで昼食を摂っていた。渚と怜はまだ来ておらず、自分たち以外の人影も無かった。おあつらえ向きに整ったその状況で、俺は景気付けに大きく一口、程よく焼かれた塩サバをかじり、よく咀嚼して飲み込んだ。隣でそこまで大きくはない卵焼きを半分にしている真琴に向き直り、あまり抑揚のない、けれど幼い頃からずっと一緒だった真琴には十分過ぎるほどの真剣な声音で名前を呼ぶ。真琴は「ん?」と小首を傾げた。

「なあに、ハル」
「話が、あるんだ」
「うん」
「大事な話だ」
「そっか。なに?」
「お前は聞きたくないかもしれない」
「大事な話なんでしょ?聞くよ、ハルのことならなんでも」
「ああ、俺はお前に聞いてほしい」
「分かった。それで、どうしたの?」
「……俺は、その」
「…………」
「俺は、……お前の、ことが」
「ハルちゃん、マコちゃん、お待たせー!!」
「渚くん!そんなに勢いよく扉を開けたら危ないですよ!!」

    けたたましい音と共に、給水塔の扉が勢いよく開いた。飛び出してきたのは可愛らしい布地に包まれた弁当箱を高く掲げた渚だった。後から怜も追ってきた。がくりと思わず肩を落とす。まただ。またこのパターンだ。渚はどうしてこう、タイミングの悪い時を見計らったように訪れるのだろう。
    二人はいそいそと俺たちの向かい側に腰掛け、持ってきた弁当箱を広げると早速昼食に勤しみ始める。一息つく暇もない。渚が真琴の弁当箱を覗き込み、わあ!と感嘆の声をあげた。

「マコちゃんの唐揚げ美味しそう!僕のエビフライと交換しようよ!」
「いいよ。はい」
「ありがとー!あっ怜ちゃんのおひたし美味しそう!」
「ちょっと!あげるなんて言ってませんよ!」
「えー。いいじゃん少しぐらい」
「ダメです。どうしてもと言うのならそのプチトマトと交換です」
「しょうがないなあ」

    多分、微笑ましい光景なのだろう。渚の弁当箱にはこんがり美味しそうな唐揚げが増えて、真琴の弁当箱には尻尾までからっと揚がったエビフライが増えている。怜と渚はほうれん草のおひたしとプチトマトを交換した。口いっぱいに食べ物を頬張り、リスのようになった渚を仕方のないものを見るように怜は一瞥し、ソースがついてますよ、とティッシュを差し出す。真琴はそれを見て笑っている。
    騒がしい光景をぼんやり見つめながら、俺は先ほど言いかけた三文字の言葉を胃袋の底へと飲み下した。途端に重たくなった言葉が沈んで溶かされていくような気がした。黙ったままでいた俺の方を、真琴が振り向き、口を開いた。

「ごめん、ハル。大事な話って」
「……いい。今度にする」
「そう?」

    真琴はどこか納得のいかないような、釈然としない表情を浮かべて、けれど何も言わなかった。言い募ってもらえたら今すぐにでもここから連れ出し、大事な話を口にできていたのかもしれない、なんて酷いことを考えてしまった。俺自身の躊躇いを真琴のせいにするなんて。
    情けなくて、腹立たしかった。苛立ちに任せて弁当の中身を掻き込んだ。行儀良く綺麗に弁当を食べていた怜が、珍しいものを見る目で俺を見た。その隙をついて渚は怜の弁当箱からおひたしの最後一口を奪い去り、素早く口内に収める。怜の短い悲鳴が聞こえた。

    喧騒がどこか遠い場所のようで、もそもそと米粒を噛んでいると唐突に視界が滲んでいった。見る間に目の前が全てぼやけて、弁当箱に残された塩サバにぽたり、と音を立てて雫が落ちた。一瞬雨かと思ったが、どうもそうではないらしい。自分が泣いているということに気付き、俺はとても驚いてしまう。俺の異変にいち早く気づいた真琴が、小さく短く息を飲んで、ハル?と俺の名を呼んだ。

「どうしたの」
「……わからない」

    分からないというのは、正直な気持ちだった。本当に、どうして自分が泣いているのか全く理由が掴めなかった。ただなぜか、胸が一杯になってしまって、詰まった何かに押し出されるように涙が次々頬を伝った。止めようと思っても止まらない。
    あんなに騒いでいた渚も、怜も、揃って言葉を失っている。当然の反応だと思った。黙々と弁当を食べていた人間が、何の前触れもなく泣き始めたらそれは、驚くほかないだろう。俺だって同じ状況ならそうなるはずだった。
    静かに涙を流す俺を、しばらくの間じっと見つめていた真琴が不意に俺の手から弁当箱を取り上げた。手際良く青い布地で包み、食べかけの弁当を渚に預けた。両手を握られ、立ち上がるよう促される。俺は困った顔をする真琴にされるがまま引っ張られた。
    背後で鉄製の扉が閉まる。誰もいない階段の踊り場で、俺と真琴は向かい合う。俺の涙は止まらない。真琴まで泣きそうな顔をしている。

「ごめん、ハル。本当にごめん」
「なんで謝るんだ」
「俺がハルの大事な話、ちゃんと聞かなかったからだよね」

    違う、と言おうとしたけれど、あながち間違いではないことに気づく。決して真琴のせいではない。でも、原因は告げられなかった言葉だ。胃の底に沈めて溶かしてしまった、たった三文字の言葉だった。

「こんなところだけど、俺と、ハルしかいないから」

    両手は隙間なく握られたまま、俺を逃がさないようにしているみたいだった。まっすぐこちらを見つめる瞳は潤んで、今にも眦から雫を落としそうで。泣いていたのは俺じゃなかったのか。わからなくなる。さっきよりもっと、多くのことがわからなくなって息が詰まる。舌は喉の奥に乾いて張り付き上手く動かせない。待っているのに。真琴が、俺の言葉を。
    こんな時まで臆病風を吹かせる自分の情けなさに眩暈がした。苛立ちに唇を引き結んだ。何度も、薄い皮膚を噛みしめ、繰り返し深呼吸をした。目の奥が熱い。煩わしい。真琴、と漸く声になる。

「大事な話が、ある。聞きたくなくても、聞いてほしい。受け入れろとは言わない。お前のことが、俺は、ずっと前から、好きだったんだ」

    堰を切ったように溢れた言葉は、三文字よりもずっと多くて、それでもまだ言い足りない気がした。床を見つめていた視線を持ち上げ、真琴をそろりと窺うと彼は大きく見開いた瞳を幾度も瞬いているところだった。

「大事な話って、そのこと?」
「……ああ」
「えっと……それだけ?」
「それだけ、ってどういう意味だ、真琴」
「あ、ううん。そうじゃなくて、ていうか、その、ハル」
「なんだ」

    言うべきか、言わざるべきか、何事か逡巡した真琴が躊躇いながらも口にした言葉は。

「あの、……知ってた」
「…………どういう、ことだ」
「むしろどうして知らないと思ったの?ハル、普段から俺に抱きついたり、キスしたりしてるだろ。あれってそういう意味だとばかり思ってたんだけど……」
「………………」

    困惑した表情で俺を見ていた、真琴が呆れた顔に変わる。言われてみればその通りなのだが、確かに真琴にしてみれば今更何を言っているのかという話なのだろう。自覚しているところではあるが、俺は普段から言葉が足りない方だと自負している。そんな俺の性格を重々理解している真琴が、キスという行為から推察して、いつものように言葉が足りない幼馴染の告白だと解釈してもおかしくはない。
    突然降って湧いたような、知ってたという言葉に混乱する。混乱しながらも、頭の中の妙に冷静な部分が幾つかの事実をつなぎ合わせていく。真琴は、俺が真琴のことを好きだととうの昔に知っていた。その上でキスも受け入れていた。これまでその行為を拒絶されたことはなく、今目の前にいる真琴からもそういう言葉は出てきていない。じゃあこの告白の意味とはなんだ。あんなに思いつめて、涙まで流したのに。暫く考えて結論づける。

「俺はちゃんとお前に好きだって言ってなかった。だから、これはけじめだ。これできちんと恋人になった、んだと思う」
「俺と、ハルが?」
「他に誰かいるのか」
「いないけど。……でもやっぱり、今更だなあって」
「……ちゃんと最初から、やり直す」

    言葉の意味を真琴が噛み砕いてしまう前に、俺はその両肩に手を掛け長躯を壁へと押し付ける。抱きしめるのは、まあ、友人同士でもやることだからいいだろう。渚もよく俺や真琴や怜に抱きついているのだし。少し意味合いは違うけれど、今はそれよりも。
    目を閉じろ、と告げる前に真琴は俺が顔を近づけると当然のようにまぶたを降ろした。顔を傾けて唇に触れる。舌先でかさついた薄い表皮をなぞる。真琴にとってはそうでないかもしれないが、俺にしてみれば恋人になって初めての真琴とのキスだった。柔らかさはもう随分前から覚えのあるものだったけれど、関係性が変化した、ただそれだけでこれまでよりも特別な気がするから不思議だった。

















モモさまからリクエストしていただきました『マコちゃんのことが好きだけど、なかなか気持ちを伝えることができなくて苛々するハルちゃん』になります!!
何故か、ハルちゃんが泣きました。理由はわたしにもよくわかりません。苛々というより、泣き落としですね、これじゃあ。
しかもハルちゃん告白前から手を出しちゃってます。そして自覚なし。まこちゃんの苦労が窺えますね……(´・ω・`)
しかし、そんなハルちゃんを仕方ないなあと甘やかす、包容力のあるまこちゃんであって欲しいと思います!
モモさま、リクエストありがとうございましたー!!

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -