真白く薄い真琴先輩のまぶたが、舞台上の緞帳を降ろすように重たげな動作で翠の瞳を完全に覆い隠してしまう直前、弾かれたように持ち上がる。先ほどからもう何度も、その仕草を繰り返している。

「眠いんでしょう。真琴先輩」
「……眠くない。それより、怜」

    そして、この調子だ。明らかに眠くて仕方がないといった様子でいるくせに、こちらが指摘しても真琴先輩は認めようとしない。僕の正面でうつらうつら首を不安定に揺らしながら、他愛のない話を口にして、寝ましょうという提案はがんとして拒否し続けている。僕は困り果ててしまって、どうしたものかと考えている。こんなに眠そうな真琴先輩を放っておくのも忍びない。けれど真琴先輩はどうしたって眠ってくれない。
    僕は目の前の真琴先輩に腕を伸ばし、その長躯を抱きしめる。緩やかに背中をさすりながらその空気を肺一杯に収める。どうしたんですか、という僕の問いかけに真琴先輩は小さく、本当に小さく肩を跳ねさせた。

「どうも、しないよ。寝たくないだけだ」
「そんな我儘を言うなんて先輩らしくない。なにか理由があるんですよね」
「……寝たくない」
「どうしてですか?」
「寝たら、すぐに明日がくる、から」

    明日になったら戻らなくちゃならない。僕の肩口に鼻先を押し付けて、甘えるようにすり寄りながら真琴先輩が呟いた。ああ、そうか。僕は納得する。思い出さないようにしていたが、明日になったら僕たちはまた、離れ離れにならなければならないのだ。


    高校を卒業した真琴先輩は、当然県内の大学に進学するものと思っていた僕たちの予想を裏切り東京の大学に進学した。遙先輩にすら知らされていなかったそのことを、僕が真琴先輩から知らされたのはセンター試験を終えて数日、夜遅くの電話でのことだった。まだ決まったわけじゃないんだけど、そんな言葉のあとに続けられた「俺ね、東京に行くんだ」という声。
「そう、ですか」
「あんまり驚かないんだね」
「何となくですが、どこか遠くへ行ってしまうのだろうなと。最近の真琴先輩は無理に明るく振舞っているようでしたので」
「……敵わないなあ」
    希望大学、センターの自己採点、受かったあとの身の振り方。幾つかのことだけを僕は聞いて、その後はもう二度と進路について話すことはしなかった。ただいつものようにありふれた言葉を、他愛のない話を続けて、おやすみなさいという囁きを最後に僕と真琴先輩は電話を切った。真琴先輩はその年の春、卒業式を終えて数週間後、東京へと旅立った。


    久しぶりに帰省してきた真琴先輩が東京に戻る前日を、僕たちは二人きりで過ごした。僕の家に泊まる真琴先輩は、時計の針が頂点を回っても眠ろうとせず、夜が明けるのを恐れていた。僕はそんな真琴先輩のことを抱きしめることしかできなくて、どうすれば彼の愛おしい不安を無くしてしまえるのか見当もつかない。
    まだ学生である自分と真琴先輩にとって、東京とこの町との距離は気軽に飛び越えてしまえるようなものではなかったから。次に会えるのは何ヶ月後だろう。毎日のように顔を合わせていた時がもう遠い夢のように思える。
    真琴先輩の身体には、ほとんど力が入っていない。半ば僕にもたれるようにして体重を預けている。頑なに強情を張り続けていたが、そろそろ眠気も限界らしかった。閉じかけたまぶたを必死にとどめ、不安そうに僕を見る、真琴先輩にそっと微笑む。そんな目をされてしまったら仕方ないじゃないか、そう思って。

「もう少し黙っていたかったんですが」
「なに、を?」
「僕は、東京の大学に進学しようと思っています」
「……え?」

    驚きにまぶたを瞬かせる、真琴先輩の唇に触れるだけの口づけを落とす。先輩の通う大学とは別の大学ではありますが。付け加えた言葉はちゃんと聞き届けてもらえているのだろうか。眠気さえ忘れてしまったように、真琴先輩が僕を見つめている。
    真琴先輩より一つ年下である僕と渚くんも今年、大学受験だった。夏の終わりかけたこの時期。校内はひどくざわめいていて、肌をちくちくと刺すような緊張感が周囲に満ちている。僕と渚くんはその中で、自分の進路を見つけるために毎日を忙しく過ごしていた。けれど、どこにも真琴先輩がいない。その事実が僕の進路に、何の影響も与えていないのかといえば嘘になる。でも。

「スポーツ工学について学びたいんです」
「そのために、東京の大学を?」
「はい。既に両親にも相談しました。僕の選んだ道だから、好きにしろ、と」
「…………そっか」

    どこか安堵したように真琴先輩が息を吐いた。彼のことだ、僕が東京の大学を選ぶといえば自分のせいで選択肢を狭めてしまったのではないかと気に病むのは予想できていた。事実が決してそうでなくとも、僕が否定しない限り後ろめたさを抱えてしまうだろう、と。けれどもう大丈夫。僕は僕自身の意思で進路を選んだのだということを、真琴先輩はきちんと分かってくれている。

「勉強、頑張りますね」
「うん。困ったことがあったら遠慮なく電話していいから」
「そうですね、受験の先輩としてよろしくお願いします」
「……困ってなくても電話ほしい」
「受験勉強の息抜きに、掛けてもいいですか」
「いいよ。待ってるから」
「はい。待っていてください」

    待つと約束したのは二つの意味。電話と、まだ遠い来年の春。言葉を交わす短い間に、真琴先輩は今更眠気を思い出したように、少しずつまぶたを降ろしていく。まるで夜の帳のように。明日を待ち望むかのように。















すみさまからリクエストしていただきました『眠たいけど怜ちゃんと話したいまこちゃんと話したいまこちゃんをうまいこと言って寝かしつける怜ちゃん』です!
眠たいまこちゃんが眠りたくない理由だとか、怜ちゃんが寝かしつける方法だとかを考えた結果このようなお話になりましたがいかがだったでしょうか!
まこちゃんは何となく、誰にも言わずに進路を決めてしまいそうなイメージがあります。ふらっと消えてしまいそうな危うさがあるというか。
怜ちゃんにはぜひともそんなまこちゃんをしっかり繋ぎとめていてほしいものですね。
すみさま、リクエストありがとうございました!

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