橘真琴は美しい顔が好きだ。俗っぽい言い方をするのなら、面食いということになる。これまで人に告げたことはないが、恋人を作るにあたって何を最も重要視するのかと聞かれれば、躊躇いなく顔であると答えるほどには強固な意思を持っていた。あくまで、人に告げたことはない。
    その鉄よりも硬い意思が世間一般で、あまり手放しに賞賛されることはないものだと、年相応ではあれど処世術に長けた方であった彼はよく理解していた。それまで、彼に対してそのような話題を振ってくる人物がいなかったのも幸いした。時を積み重ね、形成された橘真琴という人物に、面食いという付属事項は恐らく似つかわしくはなかった。これからもまあ自分から、嗜好を人に告げることは無いだろう。

    そんな彼は高校生の折り、運命の出会いというやつに遭遇した。より正確に言うのなら、運命の再会というやつだった。未だ真琴が小学生であった頃、同じスイミングスクールに通い、留学を期に別れてしまった松岡凛との偶然の邂逅。おおよそ四年という歳月は、記憶に残る限り幼さの強調されていた凛の面立ちを、真琴にとって劇的に変化させていた。凛は面食いである真琴の好みの顔、と言って差し支えない様相になっていた。久しぶりの再会であったので、一目惚れというには少し違ったが、真琴自身の気持ち的にはだいたいそんなものだった。橘真琴は成長した松岡凛に恋をした。
    再会の場において、かつて肩を並べた友人に対するにしては厳しい言葉を投げつけられはしたが、美しい顔というものはそうあるだけで、面立ちを何より重要視する真琴には大した魅力なのだった。精巧な飛行機の骨組みのようになだらかな曲線を描いた鼻梁。名工の拵えた抜き身の日本刀のように鋭く容赦のない目元。面相筆を滑らせたように薄く生白く引き結ばれた唇。目を惹きつける真紅の髪と、同じ色の眉。それらがひとつずつ、寸分の狂いもなく、配置された凛の顔を見つめ、真琴は感嘆の息を吐いた。そんな真琴の視線にも気付かず、凛はただ自分の生涯のライバルを空虚な、憎しみのこもった目で貫くばかりで、真琴の方は最初の一瞥以外ちらりとも見ることはなかった。それでも、真琴の凛に対する恋心は、凛がその顔である限り消えもせずじりじりと燻っている。燻らせ、持て余し続けて、半年にもなろうかという頃だった。


    春にかつての友人と再会してから、そろそろ秋へと差し掛かる時期。凛は、長く囚われ続けていた七瀬遙との因縁に一応の決着をつけていた。釈然としない部分は残れど、その決着は彼にとっておおよそ納得できるものだった。スイミングスクールでのリレーから五年を経て、凛は過去の呪縛からまさに漸く、解き放たれた。和解を果たした遙を含む、岩鳶水泳部の面々と、ぎこちないながら連絡を交わすようにもなった。
    元来器用ではない質の凛をそこに至るまで橋渡ししたのは、いまだ凛に恋をし続けている、世話焼きで面倒見のいい真琴だった。その行い自体は、別段なにか見返りを求めたわけではなくて、純粋にまた昔のような、凛との関係を取り戻したいがための行動であったのだけれど、結果的にその行動は真琴にとってよい展開をもたらした。しがらみをなくしたことで、幾ばくかは素直さを表出すようになった凛が、甲斐甲斐しく連絡を寄こす真琴に好意というやつを傾けるようになったのだった。
    真琴から凛に、一方的だった連絡は、やがて少しずつ双方向になり、休日に二人で出かけたり、ちょっとしたきっかけで手を繋いだり、そういった順序を踏まえながら、真琴と凛はその年の冬に、晴れて恋人となったのである。



    普段の高校生活に加え、部活でそれなりに忙しく過ごしていた真琴と凛の休みが重なったある日のこと。
    二人きりで過ごしたい時、凛は同居人のいる寮住まいであるから、必然的に逢瀬の場所は真琴の自室が多くなる。本日、真琴以外の家族は用事で出かけていることもあり、誰かに遠慮する必要もない。胡座をかいた凛の膝の上に体ごと乗り上げた真琴は、両手のひらで凛の頬を掴み、思う存分その顔を眺めていた。かたち造る隅々までを、飽きることなく長い時間、眺めて触れて消費していた。美しさは減るものだと思っている。一分一秒ごとに変わってゆくものであるべきなのだ。
    凛はそんな真琴に対してなにか文句をいうようなこともせず、彼は彼で真琴の顔を、真琴ほどの情熱は無くともなんとはなしに見つめていた。はたから見ればさぞ奇妙な光景だろう。幸か不幸か、二人をはたから見るような人はそこに存在しなかった。
    綺麗な顔、と思ったのを、真琴はそのまま口にした。凛が黙って眉をひそめた。先ほどの言葉は独り言のようなものだったので、今度は目の前の凛に向けて

「凛の顔は綺麗だね」

    そう言うと、ますます凛は眉間のしわを深くした。嬉しくない訳ではなさそうだが、単純にそれだけでもなかった。薄々ながら、凛は真琴が自身の何を好んでいるのかについて勘づき始めているのかもしれない。真琴が面食いであるという事実に。
    その点に関して真琴に言い訳の余地はなかった。真琴が凛に恋をしたのは、紛れもなくその面立ちがあったからであり、凛が真琴好みの顔でなければ今の関係も恐らく存在しない。だからと言って今現在、真琴が凛の顔だけを愛しているのかというとそれも違う。入口は面立ちだったとしても、こうして付き合うようになるまで、凛から受け取ってきた不器用な優しさや控えめな好意を真琴は確かに好きだったし、それも含めて凛の恋人であるつもりだった。ただまあ、優先順位となると、やっぱりどうしても顔が一番に来てしまうだけで。
    難しげな表情を浮かべて凛はなにかを言おうとした。真琴は慌てて唇を塞いだ。今はまだ、もうしばらくは、知らせない方がいいと思った。ちゃんと全部好きなんだよ、と今の真琴が言ったとしても凛には伝わらない気がした。一番は顔だけれど。ほかはすべて、二番目だけれど。
    言い訳をするように、仕方ない、と頭の中だけで繰り返す。面相筆を滑らせたような凛の唇にゆるく噛み付く。もぐもぐと二、三度咀嚼してから真琴はゆっくりと顔を離した。露骨に誤魔化されて不機嫌な凛に、ぼんやりと甘い笑みを向けた。

「ねえ、凛。今度の休みはデートしよう」
「行きたい場所でもあんのか」
「そうじゃないけど、凛とならどこでも楽しいから」
「……駅前の」
「うん」
「前までファミレスがあった場所。新しいスポーツショップが出来てるらしい」
「じゃあそこにしよう。……雪、降るといいな」
「降ったら電車止まるだろうが」
「ちょっとでいいんだよ。雪が降るとね、」

    言いかけて、口を噤んだ。どうしようか、この先は、言ってしまってもいいものだろうか。凛の面立ちについての話はしないと決めたばかりではなかっただろうか。さて、と困っているうちに凛はまた不満そうな表情になった。それでも顔は綺麗だった。だから、いいかな、と思って。

「雪が降ると、凛の髪に積もって、白くて、赤くて、まるで冬の七竈みたいで」

    ごめんなさい、と言葉の合間に小さく謝る。またそんな顔をさせてしまった。全部好きなのに、ちゃんと、余さず全部。でも、凛。ごめんね、やっぱり俺はどうしたってその顔が。面立ちが。かたち造る隅々までが。

「……好きなんだ。凛が、好き。本当だよ」

    自分にだけでなく凛にまで心からの言い訳を紡ぐ。本当なのにどうしようもない。嘘などつかない。そんなに愚かでありたくはない。無防備な凛に抱きつくと、顔が見えなくなる代わりに凛の腕が背中に回った。ぎゅう、と抱きしめられて思う。ほら、やっぱり、この腕も好きだ。何も言わずに抱きしめてくれる凛の優しさも好きなのだ。でも、もし、凛の顔がこうではなかったら。飛行機の骨組み、抜き身の日本刀、面相筆の唇、七竈の髪。そのどれかひとつでも、欠けていたら。
    考えたくないなあ、と思うのは単なる俺のわがままだろうか。目前のシャツに額を擦り付け、ぐずぐずと考え込む真琴の背を凛の手のひらがやわらかく叩いた。諦めたような手つきだった。

「俺のこと嫌いになった?」
「……ならねえよ」

    なればいい、真琴は呟く。凛には何と言ったか聞き取れない程度の音量で。嫌いになったと言われれば、その時こそ本当に全部が好きだと言える気がするのに。考えるまでもなくこれも言い訳。
    そっと視線を持ち上げると綺麗な面立ちが変わらぬままそこにあった。他の誰でもなく真琴のために諦めてくれる凛の優しさを、一番の好きにできたのならどんなに良かったことだろう。凛が好き。その、かんばせが。何よりも。














零さまからリクエストしていただきました『凛真で面食いなまこちゃん』です。
あれ、面食いってこういうことでしたっけ……。
や、あの考えているうちにどんどん面食いとはなんなのか、分からなくなってしまって、迷走した結果がこれです。なんだかすみません(´・ω・`)
予想外の重たさになってしまったのですが、書いているわたし自身はとても楽しかったです。
何はともあれ、零さま!リクエストありがとうございました!!

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